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インタビューには成功も失敗もない。あるいは『なんとなく、クリティック』。

『なんとなく、クリティック 1』


 かつて。誰もそんなことを本気にしていたわけではなかったのかもしれないが。ネットが流通していく過程で伝播されていたのは個人個人が発信=表現するような世界の実現ではなかっただろうか。あれは理想論ですらないただの誇大(古代?)妄想だったのか。フタを開けてみれば。少なくとも我が国においてはTwitterは「裏の顔」でFacebookは「表の顔」というように「使い分け」の細分化がはっきり押し進められただけだった。Twitterで毒を吐きFacebookでリア充をストリップすることで成立する架空のアイデンティティ。それはもはや日本古来の(笑)「本音と建前」のトレースですらない。「闇(病み)わたし」と「いい子ちゃんワタシ」というダブルスタンダードを生きる二重演技。結局「悪い私」も演じられているにすぎないのである。
 そうした個人メディアの急速な発達とは別に「情報はタダ」との概念は一般化し雑誌はどんどん売れなくなった。「ネットでいい」が「ネットがいい」になり「ネットしか知らない」になるまで時間はかからなかった。
 リトルマガジン『なんとなく、クリティック』にはそうした時代に対する異議申し立てというつもりはさらさらないだろうが多くのことを考えさせる。編集・発行人は一九八三年生まれの森田真規。つまり雑誌名の元ネタである田中康夫の出世作が発刊されたとき彼はまだ生まれていなかった。しかし森田はその『なんとなく、クリスタル』の引用からこの創刊号を開始する。
「(僕らって)本もあんまし読んでないし、バカみたいになって一つのことに熱中することもないと思わない? でも、頭の中は空っぽでもないし、曇ってもいないよね。醒め切っているわけでもないし、湿った感じじゃもちろんないし。それに、人の意見をそのまま鵜呑みにするほど、単純でもないしさ」
 こうした皮膚感覚にサブカルへの憧憬を潜ませながら森田は「現在形のカルチャー誌」(編集後記より)を作った。佐々木敦や磯部涼や粉川哲夫といった書き手からの寄稿もあるが刮目すべきは森田自身によるふたつのインタビューである。山本精一と鶴見済。敬愛する音楽家の源流を探ろうとして軽く怒られる。『完全自殺マニュアル』の著者には十二年ぶりの『脱資本主義宣言』での変貌について問いただそうとしてあっさりいなされる。その過程を森田は誠実に構成する。そこには雑誌によくある「建前」を補強するパブ機能は一切ない。森田は山本の作品=活動ではなく山本そのひとを知ろうとする。鶴見の書物ではなく鶴見の思考=思想に近づこうとする。とはいえ「本音」を聞き出す強引さもそこには見当たらない。多くのインタビューが人物の「公」と「私」を統合しようとしているのに対し森田は「知ることができなかった」「近づくことができなかった」結果を読み手にわたすことで可能性を隆起させる。個人と呼ばれるものが「表」と「裏」だけの一枚岩になりつつある二十一世紀において二元論に回収されない森田のインタビューは新鮮だ。
 突き詰めていけばインタビューには成功も失敗もない。それは人と人とがたまたま出逢うこと。個と個が束の間触れ合うこと。そもそも不安定な遭遇なのだ。意気投合(Facebookの基本原則)や激論(Twitterの罵詈雑言)ばかりがコミュニケーションではない。ときにはすれ違うことからだって「公」でも「私」でもない特別な領域が顔を出すことはある。

2013年執筆

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