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岩田剛典的なめらかさについて。あるいは「モノクロの世界」

 岩田剛典「モノクロの世界」は、未練のうたである。

 愛しい相手は死別した可能性も僅かにあるが、ここではお付き合いが終焉を迎えたと考えたい。そのほうがしっくりくる。うたには「あなた」が立ち去った後のニュアンスがあるし、岩田剛典もそのようにうたっている。

 「あなた」のいない世界。それが「モノクロの世界」である。

 つまり主人公は「あなた」と出逢う前も「モノクロの世界」を生きていた。そして、いまも「モノクロの世界」を生きている。

 色彩(いろ)が存在した世界は、「あなた」と一緒にいた時だけだった。それがどれくらいの期間だったかはわからないが、決して長くなかったことは想像できる。

 なぜなら、これは反芻のうただから。

“過ぎ去っていく日々に
微睡んだ帰り道”

 回想に回想を重ねる「過去過去形」のうたいだしからして、入れ子形式の構造が際立つ。

 すべては、想い出の反芻。

 微睡んだ(まどろんだ)
 燻んだ(くすんだ)
 降り積もる(ふりつもる)
 塞いだ(ふさいだ)

 ネガティヴではないが、実にダウナーな元素の言葉たちが、雪のように宙を舞う。

 もちろん岩田剛典は、それを陰鬱に響かせたりはしない。優しくなめらかに日常に溶けあわせる。

 想い出と現在の境い目が曖昧になり、現在のなかに想い出があるというよりは、想い出とともに生きている現在、いや、想い出なしでは存在しえない現在が、もはや主人公の存在証明であるかのように、うたが濾されている。

 主人公は女性なのではないだろうか。わたしには、男性が女性の目線でうたう「おんなうた」に聴こえる。岩田剛典は中性な声の持ち主ではないし、この曲には男性的なスキャットも盛り込まれている。だからこそ、「おんなうた」として輝く。つまり、たぶん「あなた」とは男性である。丁寧なうたいまわしが、そうおもわせる。彼のうたは、境界線上のアリアだ。

 基本的に間奏を必要としない岩田剛典の楽曲構造が、ここではさらに必然性を伴って迫ってくる。なぜなら、うたが立ち止まってしまったら、主人公は泣きくずれてしまうかもしれないから。涙を流してしまったら、過去は過去になってしまう。想い出がすぐそばにあるから、わたしは生きていられるのに。だから、この歌い手はかつて以上にブレスをブレスと感じさせない接続=持続唱法で、その心情に寄り添う。

 とりわけブレスレスな歌唱が際立つのは次の部分だ。

“あなたと居れば
I never let you go
忘れかけていた
温もりだけが”

 英語で「あなたを忘れない」とうたった直後に「忘れかけていた」とつづける。英語と日本語がシームレスにつながっている。「忘れない」「忘れかけていた」のミルフィーユ。この美しき混濁は、まさに想い出に抱擁された現在のありようを体感させる。「忘れない」「忘れかけていた」は密接で仲良し。岩田剛典の技術は思い遣りである。

 隙間を生じさせないが、息苦しさも感じさせない。これがパティシエのように正確な「岩田剛典的なめらかさ」だが、挿入されたラップもまたクリームのようにまみれていく。

 色彩重ねて。重ねた言葉。重ねてきたstory。歌詞を引用するまでもなく「重ねる」はこの曲の基本概念である。重ねる愉悦が、喪失を癒す。

 秀逸なのは、電気を消して、瞳を閉じれば、この「モノクロの世界」に光がさすという物語性だ。

“あなただけが私の光”

 光がさせば、「モノクロの世界」は色づくだろう。しかし、目を瞑らなければ、それは見えない。

 もはやそこでは「あなた」は「あなた」以上の存在になっている。しかし、それは決して大げさなことではない。恋とはそういうものだよ。そんなふうに岩田剛典はうたっている。

 「モノクロの世界」は、未練のうたである。だが、失恋のうたではない。恋は失われていない。恋はここにある。冬の空気のなかに恋が木霊するように岩田剛典は、うたを終わらせている。












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