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ワインは、わたしたちを隣人にしてくれる。ホン・サンス『逃げた女』について。

『逃げた女』



 ワインは、フランスやイタリア、ドイツやカリフォルニアだけで飲まれているわけではない。そう、高名なワイナリーのある土地のみで愛されているものではない。全世界で親しまれている。言うまでもなく、欧米だけでなくアジアとも親和性が高い。だが、外国映画を観るとき、つい、この視点を忘れがちだ。
 たとえば、わたしたち日本人が、日本酒やビールばかりを口にしているわけではないように、韓国の人も、マッコリや焼酎だけをたしなんでいるはずもない。
 ワインは、とても身近な存在だ。
 世界的にその作家性が知られている韓国の映画監督ホン・サンスの『逃げた女』は、この真実にハッとさせられる作品だ。
 結婚して5年。1日たりとも夫と離れた日のなかった女性が、夫の出張をきっかけに、初めての旅に出る。ソウル郊外へ。初老の先輩女性、少し年上の先輩女性、そして、同年代の(かつての)親友。主人公と3人の女性、それぞれの語らいが、作品のメインステージとなる。
 あえて言うなら、ガールズトーク映画。女性同士のおしゃべりが、ヴァリエーション豊かに繰り広げられる。相手が変われば、話すことも変わる。そこから見えてくる主人公の人柄、強さ、弱さ、内面も変幻し、グラデーションを描き出していく。同じことを伝えていても、伝え方、伝わり方が違う。コミュニケーションは無限だ。一面的な人間なんて、いない。相対するひとによって、ひとは変化する。万華鏡のように。
 賑やかなものをイメージするかもしれない。だが、逆だ。とても、静か。そして、たおやか。
 韓国の女性は、自己主張がはっきりしていて、裏表がない。大波のような起伏のある感情表現、タフで、しぶとい、へこたれない。
 なんとなく、そのような先入観があるのではないか。確かに、わたしたちが目にする韓国の映画やドラマに登場する女性キャラクターたちには、ある種の傾向があった。
 しかし、そのような女性ばかりではない。本音をカジュアルな建前の中に仕舞い込み、決して肝心なことは言葉にして発することはない、そんな女性もいる。この映画で描かれる3つの語らいからは、相手の領分に踏み込まない、自分の繊細な部分にも触れさせない、そんな女性たちの姿が浮き彫りになる。
 とりわけスリリングなのは、ふたつめの対話。芸術的な活動もしながら、専門職で高収入を得ている少し年上の女性は、ハイセンスなマンションを購入した。誇り高くシングルライフを謳歌しているように映る彼女の自宅での、主人公との語らいのテーブルの上には白ワインがある。
 眺めのいい部屋。窓の外に広がる風景をときおり見ながらの、ゆるやかで密やかな言葉と言葉の応酬は、くもり空からの逆光に照らされた黄金色の液体がおすまししているからこそ、より一層、身近に感じられる。
 互いに傷つかないために、フレンドリーな距離の中で、少しだけ空白を宙ぶらりんにしている彼女と彼女。
 そのとき、ワインはどんな香りと味わいで、ふたりを護ってくれたのだろう。
 ワインは、会話や食事に華やぎを付与するばかりでなく、緊張感や痛みを和らげる「こころの鎮静剤」の役割も果たす。
 わたしは男性だが、グラスを手に、澄みきったやりとりをしている女性ふたりの姿は、他人とは思えない。ワインは、観る者を「隣人」にする不思議な小道具でもある。



 
 
 
 

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