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子ども部屋に戻ってきたおじさん

 ああ姉さん久しぶり。電話かけてくるなんて珍しいね。ゴールデンウイークも夏休みもコロナでこっちに帰って来なかったから結構長く会ってないね。おかんはコウタたちに会えなくて寂しがってるけど、お義兄さんとかコウタ、かれんは元気?お義兄さん相変わらずタイガースに入れ込んでんの。あの恥ずかしい刺繍入りの特攻服みたいなハッピ着て、かれん連れて甲子園行ってるんや。お兄さん背え低いから、ぶかぶかの特攻服地面に擦ってなかった?姉さんはええ人見つけたもんやわ。いやいやバカにしてへんて。
 んで何の用だっけ。コウタの勉強見る件?ゴメンねまたコウタに直接LINEする。日本史のつづきやろうねって言っておいてね。叔父ちゃんに勉強習いに来るって今どき素直な子に育ったと思うわ。

 そう言えば僕らがコウタくらいの歳まで、鴨川の河原とか三条京阪のバスターミナルにいたホームレスの人憶えてる?そうそう河原町のジュリー。僕あの人めっちゃ怖かってん。いや、ジュリーは何もしてけえへんねんけど、あれはもしかすると未来の自分の姿かもしれんと思って心が凍るような気持ちになって、ジュリーを直視できひんかった。そやから何とか大人になるまでに一人でもちゃんと生きていける強さを身につけておかな、いつかはジュリーみたいに宿なし独りぼっちで放浪せなあかん人になってまう、って震えててん。

 なんかあの頃、30年前くらいってさあ、そういう雰囲気すごくなかった?家を出て、一人で身を立ててこそ一人前っていうか。家出なくてもええから、親から精神的に分離して独立することこそ素晴らしいというか当然、みたいな空気。アダルトチルドレンとかいう言葉が流行りだしたのもその頃ちごたっけ?そういう空気にずっと強迫的に気圧されてきた気がする。

 確か僕がコウタくらいの時に姉さん急に独り暮らし始めたよね。短大出て働きだしてからわりとすぐの頃、会社は市内やったから家から全然通えたのに、あれってあの時自立しなあかん、って思って家出たのかなーと思って。そのときすごい考えたんよなー。独り立ちすることとか、自分の場所を見つけなあかんのとちゃうか、とか。

 あの頃は今よりもめっちゃ本読む子やったから僕、「親離れできないかもしれない症候群」とかその類の本ばっかり読んで、将来の孤独とか不安を解消しようと躍起になっててん。僕が高校生の頃とか、家の中最悪に暗かったやん。おっさんはお酒ばっかり飲んで父親らしいことしいひん上に、勝手に仕事辞めて家でカウンセラーまがいのこと無資格で始めるし。それにあの頃姉さんはニッセイの営業向いてなくてだいぶ辛そうやったやん。僕は僕でわざわざ文転したくせに、やっぱり理系の大学目指してひとり迷走してて、クラスでめちゃ孤立してた。当時はおっさんが僕らの共通の敵で、おかんとうちら三姉妹が団結してたのが唯一の救いやったから、家出て一人で生きていくとか自分には絶対できひんことや、ってどうなるかわからへん先のこと想像しては暗澹たる気持ちになってた。そんな中でも自立とか親離れとか考えなあかんと思ってたこと、相当苦しかった。だからこそ姉さんが突然さらー、と家出たのはショックやったわ。
 あの時って給料もそんなに良くはなかったはずやのに家出たのはやっぱり、自立せなって考えてたから?あー、単におっさんから離れたかったからか。わかる。姉さん結婚式でもまだ父親健在やったのに、バージンロード独りでスタスタ颯爽と歩いてお義兄さんのところ行ったもんね。あれはいい結婚式やったわ。

 てか僕ってホモやからさあ、高校生の頃将来のことに希望のひとつも見い出せなくって。結婚できるとかできひんとかそれ以前の問題として、僕を好きになってくれる男の人っていうのが存在して、そのひとと心を通わせて一緒に暖めあって生きていく姿とか全然想像できひんかった。
 姉さんは、いい人見つけたよね。朝から嫁の実家のリビングに大音響で六甲おろし流すのはどうかと思うけど。

 でも今は僕もやっと、何とか穏やかな生活を手に入れられた気がする。厚木の独り暮らしに限界感じて実家に帰ってきた時点で、自立した大人になるのはとうに諦めてた。ほんまは臨床開発の仕事続けたかったし、コーディネーターとしての経験も積んで、今みたいな時期やったらコロナワクチンの治験の仕事してたと思う。でもあかんかった。続けられへんかった。精神的な脆さを克服できひんままここまで来てしもて、結局潰れてしもた。最終的には思春期に悩み苦しんでた時とおんなじ部屋に戻ってもう一回暮らして始めて、おかんと家事を分担しながら介護をサポートするような、静かで取るに足りひん生活を送ってる。でもそうやって昔描いてた、仕事で輝く自分に出会ってみたい、みたいなのはもう無理やなって一旦弱さを認めてみたらさあ、何か急に世界が輝き出してきてん。単調やけどストレス少ない調剤の仕事をぼちぼち続けつつ、休みの日は合唱の練習とか野球観戦に出かけて、平日の空いた時間は元々やりたかった文章とか語学の勉強とか、大切やと思う人とゆっくり過ごす余裕が持てて、こういう風に生きていくのもアリなのかなって思えるようになってん。そうやって考えてみたら今の仕事も住む環境も、最終的には自分で選んでここにいるっていうのは確かなことやし、曲がりなりにもこれが自分で納得して生きてるん道なんや、って考えられるようになった。姉さんも同じような感じやったんかな。最初お義兄さんと会ったときは、なんでこんな姉さんよりだいぶ背え低くて甲斐性のなさそうな人と?しかも重度のトラキチやし、って思ったけど、確かにお義兄さん姉さんにめちゃ優しいし、子供の世話とかすごい楽しそうにしはるもんな。あの一時期、暗雲が垂れこめてたような家にいた僕ら姉妹の中で姉さんが、おっさんとは全然違う形でちゃんと家庭を築けてるのはほんますごいことやと思う。
 僕は僕で、少しずついろんなこと諦めて選んでいくうちあの頃の気負いはいつの間にか手を離れてて、やっと今身軽に生きて行けるようになった気がする。三姉妹で布団を並べてたあの小さい子供部屋が、今は誰にも邪魔されへん自分の場所になった。子どもの頃はここにずっと居てたらダメになる、ってすごい焦燥感に駆られてたのにな。
 これで良かったかどうかなんかわからへんしそれはどうでもええねんけど、結局ここが僕の場所やねんなってちょっとした井戸掘り当てたような気分になってる。さっきもちょっと言うたけど、僕も実はこの歳にしてようやく、家族以外で色んな胸の内を恥ずかしがらんと話せる人ができてん。また機会があれば紹介するわ、お義兄さんと同じで小柄でやさしい人。いやいや虎柄の特攻服は着いひんってば。

 さて、そろそろおかんを連れてスーパー行かんと。例の一週間分の食糧買いこんでおかんとおかず作り置きする毎週のルーチン。
 コウタによろしくね。この前やった墾田永年私財法のところからやりましょう、って言っといて。姉さん覚えてる?自分で切り拓いた場所は、自分のものにしていいってやつ。

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