記録魔の記録
1/1より違和感おぼえつつ、一度流れたものが
1/3に勢いよく噴出しました.
不本意ながら、流行病にかかってしまった.
1/10まで外出自粛令が出た.
お正月の実家帰省中だったので、
元日からずっと実家.
1/5からは、ずーっと in the bed .
昨夏からずーーっと中距離走してるみたいな
苦しさがあったのだけど、出ました強制終了🫠
予定が次々流れる.
皆さま申し訳ありません…と思いつつ、
「これは全力で堂々と休めるチャンス?!」
と頭を過ったのも束の間、
もしかして今日が命日になるかも知れない
と思うほど朦朧とする意識.
薬の効いてる時以外ずっと39.7度.
そりゃそうなる.
ちょうし良いかも!と思っても38.4度とか.
全身が痛い、寒いか暑いかわからない
「こうすると楽になる」がひとつも見出せない.
流行病、、、本当に侮れないですね…
(( 高熱には慣れてるけど、持続性が
ありすぎて流石に堪えてきた. 修行かよ ))
眠ることもできないが、
起きて何かすることも
横になったままスマホを
触ることすらもできない
「 ただで転んでたまるか!」
という
謎の体育会系精神がこのような時に
発動するわたしは
せっかくなら、いろいろ試そう!
と、いうことで呼吸で熱や痛みを
緩和しようと試みたり
レイキをつかってみたり.
1番効果を感じたのは、ヨガで教わった
ポーズをとった時に感じる痛みを
手放すイメージ.
腹痛や関節痛には面白いほど効果を
感じる瞬間があり
「 やったぜ!
流行病から学びをもぎ取ってやったわ!」
と、思えていたのも束の間
体育会系精神にも勝る灼熱地獄に完敗して
ぐるぐると意識が朦朧として、
何回も宇宙に飛ばされた🙃💫
それもまた大それたイメージばかりで
天地創造かしら?と思えるようなもの.
謎のシルバーの雫が全てを削り取って
吸収・内包しながら更地になった地球を
しばらくすると元通りに綺麗にして行くという
「 あ、一回怖いけど、
すべてお任せで大丈夫なのね 」
とも思えるようなものであった.
こういう壮大で厳かで畏れのある
宇宙のイメージ、
幼少期によく見てたやつだね、
と久しぶりに感覚を思い出した.
意識がこちらに戻ると、
ベッドから首を垂れており
ザバザバ涙が流れていた.
後に、予兆のない大きなくしゃみが出た.
記録魔、あるいは観察魔としては、
体温を計るのもわりと好き.
薬を服用する前後で観察する.
どうしても薬の効果の合間は
出来てしまうようで
39度台の灼熱は避けられない.
その時点で解熱剤を飲む.
38度台に下がると、そのタイミングで
驚くほどに発汗して「 つめたっ!」
と言いたくなるほど パジャマが濡れている.
うっすら薄化粧だったらしい今朝の京都市内.
小寒 真っ只中であるが、
自室で上半身裸で、汗を拭い乾かす.
窓も開け放つ. 五感がくるっている.
面白いのが、稀に良い結果を叩き出した時の
37度台から、38度台に熱が上がる時は
この発汗がないこと.
下がる時は汗びっしょりなのに.
本当、薬が発汗を促してるんだね.
ちなみに医療機関の受診や薬の服用を
はじめは拒んでいたものの、
「 これはやばい 」と感じたのと、
高齢の両親に感染ってはまずいものの場合
さすがの非常識人間も、
「 これではいけない 」と感じたので
土曜日午前に診療してくれるクリニックに
予め電話を3回したが出てくれないので
直接行くものの、塩対応を受け39.7度の体には
打撃であったが、自己の反省点を見つめながら
とぼとぼと薬局に行って必要なものを購入.
薬局のちかくのクリニックが
開いてることに気付き
「 すみません… 」
と飛び込んだら
優しい受付スタッフの方、先生、
薬剤師さんほか、すべてのスタッフさんが
優しく温かく受け入れてくださって
懇切丁寧な対応、処置をしてくださった.
フィジカルがやられている時、
どうにもならない時の “ お塩 ” ほど
ひどく堪えるものはないなあ…
と、直前に感じていただけに、
この “ ホットミルク ” には
本当に心も体も救われた.
流行病になる直前に
「 あ!そうだそうだ、
あの人に忘れてたあれを伝えないと 」
と思っていたことがあって、
それを如実に今体験しているのだけれど
それは、精神世界の探求を進めて行くと
「 本当に外側は内側の反映でしかない 」
という実感から
「 感情が無くなるのではない、
人に冷たくなるわけではないのだけど、
自分のペースで自分を満たすことが1番 」
だと痛烈にわかる. (( ような ))
そして自身でも他者でも、
どのような状況になっても
「 本人が経験したくて起こっていること 」
という認識から
過剰に寄り添えなくなるのだ.
でも、この話には続きがあったことを忘れてた.
どこかで聞いた言葉だけど
“
空から 親である存在が
転んでいる我が子を見た時、
まわりの人間が
「 あの子は 転ぶという経験を
したかったのだから 」
と、通り過ぎる世界か
「 大丈夫?何かできることはある?」
と、声かけをしてくれる選択肢のある世界、
どちらが優しい世界でしょう?
”
というもの.
なるほどなあーと.
書いてみるとひどく当たり前の事柄だけど.
「 ありがとう、手を貸してください 」
「 大丈夫、自分で立てるよ. ありがとう 」
どこまでも自由意志.
視点を変えると、この声をかける側も
自分のコップを愛で満たして、
溢れた分をおすそわけしている.
だから、誰かが転んだ時に
自分を削るのではなく、余裕のある分を
いつでも渡せる自分であるように
まずは自分を満たすことに全力集中なんだな.
と、新年早々どうしようもなく、
自分に全力集中せざるを得ない状況に
なった (( した )) わたしは
そうは言っても、家族の看病を受け
「 手を貸そうか?」の選択肢を
いただける優しい世界に感謝が絶えない
新年を送っている.
いつベッドから降りられるのかしら……
.
余談
神クリニックに行く前に
ドラッグストアで買い求めた
葛根湯ほかの漢方薬+化学薬品の
ハイブリッドなお薬.
(( 水瓶座ぽいー ))
解熱に関して、こちらの方が
クリニックで処方してもらったお薬より
効果を感じる……
(( クリニックの先生も薬の処方を
押し付けて来たのではなく、むしろ
処方しない という選択肢も作ってくれた ))
益々、目を覚まして行こうー!
と思う出来事満載な
ベッド上暮らしのわたしでした.
(( ちなみにこの時のレシート
2,222円やった👼 ))
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