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“芋虫”になりきれたら、自然と“蝶”になれる。「GIVE SPACE」の旅路から学ぶ、実践の知恵

ヒトと環境の関係性を二元論を超えて問い直し、再生・共繁栄的な未来に向けてコトを起こす実践者たちの旅路をお届けするインタビューシリーズ、「あいだの実践者の旅路」。今回はエコロジカルアーティストの井口奈保さんに話を伺いました。

井口さんが提唱する「GIVE SPACE」は、人間以外の生き物の生息地を拡大し、人間の生息地を自然と融合していくことで、人間と他の生き物が共存・共生していくことを目指す都市デザインの方法論。

前編では、「人間という動物」というコンセプトからいかにして「GIVE SPACE」が生まれたのか、そして「GIVE SPACE」が目指す世界にたどり着くための方法論について伺いました。後編となる本記事では、「GIVE SPACE」という新しい概念をどのように社会に実装していくのか、そのリアルな実践について話が展開していきます。

井口 奈保(いぐち なほ)
エコロジカルアーティスト / GIVE SPACE提唱者


2013年ベルリン移住。働き方、住む土地、時間、お金、アイデンティティ、街との関係性、地球エコシステムとの連環。どういったスタンスでどう意思決定するか?都市生活のさまざまな面を一つ一つ取り上げ実験し、生き方そのものをアート作品にする。近年は南アフリカへ通い、「人間という動物」が地球で果たすべき役割を発見、その実践を「GIVE SPACE」というコンセプトに集約し方法論を構築中。また、「GIVE SPACE」を広く伝えるための物語「Journey to Lioness」を映像やイラストレーションで制作。ベルリン市民とともに進めているご近所づくりプロジェクト「NION」共同創始者。またアーバンネイチャーを守り、増やすために、世界中の都市をまるで国立公園のようにしていこうとするロンドン発のグローバルムーブメント、「ナショナルパークシティ」のベルリン共同創始者。


家庭菜園、都市、国家。あらゆるスケールで実践できる「GIVE SPACE」

——「GIVE SPACE」の目指す「人間以外の生き物の生息地を拡大していくこと」や「人間の生息地を自然と融合していくこと」を実践している事例はあるのでしょうか?

井口:「GIVE SPACE」は個人単位の小さいスペースから取り組むことができます。例えば家庭菜園。アーバンエコロジストの友人が、自宅のバルコニーに鳥がとまって休めるスペースをその土地にある木の枝で作っていました。すると実際、鳥がたくさん飛んでくるそうです。バイオフィリックデザインには、動いているものをみるだけで集中力が回復するという理論とデータがあります。普段私たちは人工的な建造環境(built environment)の中でほとんどの時間を過ごし、同じ部屋で動かずパソコンばかり見ていますが、たまに窓の向こうに鳥が飛来する様子を眺めることで、リラックスできるんです。

他にも身近なところだと、道路沿いの空いているスペース。アスファルトで固められていたところを土が見える状態にして、風土にあった木や植物を植えてみる。すると土に住む微生物が増えますし、その土地ならではの種類の草木に住むことで食事や子育てがしやすくなる鳥や昆虫にも役立ちます。生き物に生息地を返していくときには、生き物だけではなく水や土、有機物など生きていくために自然の中に必要なものに注目してみる。そうした観点を少し変えるだけでも、生態系にスペースを返しやすくなります。

「GIVE SPACE」を実践しやすいスペース。個人単位からコミュニティ、オフィスや街とあらゆるスペースで取り組めることも魅力の1つ

——前編で話されていたように、ビジョンとしてはグローバルで、アプローチはローカルなんですね。

井口:もっと街全体で実践している取り組みだと、アメリカのミズーリ州にあるセントルイスの事例があります。モナークバタフライという蝶が絶滅の危機に瀕していたところ、都市の中に蝶が卵を産める場所や移動できる道づくりなどを設計したことで、蝶の数が回復して生息地が増えていったそうです。いきなり街を根本から変えることは難しいですが、一部分から変えていくだけでも、目に見えて効果が出ます。

さらには国家主導で実践しているのがシンガポール。小さい国だからこそ街中に、それこそジャングルのような自然を取り戻していくことをトップダウンでやっていますね。

象徴的な活動としては、生物多様性やバイオフィリアを提唱した故エドワード・O・ウィルソンが立ち上げた「Harf-Earth Project」という、地球の半分のスペースを人間以外の生き物の生息地として保護しようとするプロジェクトがあります。そうすることで、地球の平均気温の上昇率を下げることや、生物多様性の回復に寄与することを目指しています。


前人未到の概念を社会に導入するための3つの実践知

——「GIVE SPACE」という新しい方法論を実践していくなかで、難しかったことや障壁になったことはありますか。

井口:前提としてまず「GIVE SPACE」の方法論の着想を得たのが2018年ごろで、実践としてのプロジェクトが立ち上がり始めたのが2020年から。ここ1〜2年の話なので、まだ実践経験は浅いんです。

プロジェクト立ち上げ時期だからこその障壁としては、誰も「GIVE SPACE」を知らないこと。私は建築家でもエンジニアでもなく、建造環境デザインフィールドにいたわけでもないので、「GIVE SPACEをうちの建築プロジェクトでやってほしい」と直接声をかけてもらえる機会はありません。共感してくれて、一緒に実践できる人にこれからどんどん出会う必要があって。今回あいだの探索・実践ラボと一緒にプログラムをスタートすることになりましたが、ご縁ですよね。今はこうして実践の現場をつくっていくことが一番のチャレンジです。

「GIVE SPACE」を実践していく上で大変なことは、実践する土地についてどこまで包括的に知ることができるかだと思います。「GIVE SPACE」の大事な考え方の1つが、リジェネラティブ思考(Regenerative Thinking)。よくサステナブルな考え方との違いを聞かれますが、こちらは主に機械的な最適化であること。例えば、エネルギーの消費を10%減らしましょうとか、自然エネルギーに変えましょうとか。カーボンニュートラルにするためにお金を払いましょうとか。

一方、リジェネラティブ思考は、まず実践する土地について包括的に知るところから始めます。どのような生態系があり、地質や水文学的にはどんな特徴があるのか。そこに住んできた人間の歴史や文化はどんなものかなど。その上で、自然の持つ機能を再生するために、自然と同じような機能を持つ建物をつくるにはどうしたらいいのかを、いろんな人を巻き込みながらデザインしていきます。事前リサーチがプロセスのスタートであり肝でもありますね。

——事前リサーチを包括的に行うことは理想的だと感じますが、初めから理想通り取り組めることの方が多いのでしょうか?

井口:これまでの経験からすると、やっぱりプロジェクトの途中から入っていくケースが多いんですよね。想いに共感してくれる土地のオーナーさんと出会えれば、最初から理想的なリジェネラティブ思考のプロセスを実施できますが、毎回タイミングよく出会えるわけではありません。

途中からであっても、まずは「GIVE SPACE」の考え方を知ってもらうことが大事で、できる範囲で事前リサーチは必ずやりますね。やらないと始められないので、すでにプロジェクトが先に進んでいても同時進行でリサーチします。よく、「〇〇な方法でやればリジェネラティブなんですね」と、一つの解答を求められることも多いのですが、毎回アプローチは違います。プロジェクト毎に土地を自然科学的、社会科学的、そしてパーソナルに親しみを持って知り、収集したデータを使って設計していきます。

さらに、事前リサーチの過程はチームビルディングにもなります。プロジェクトのメンバーと信頼関係を築き、一人ひとりの中にバイオフィリアを育み、その人自身が気づいていくことを促します。初めから完璧にできる人なんていません。「自分たちはこの観点が抜けていたけれど、できる限りのことをしたいから、今回はここを変えてみよう」「今回できないところは、次のプロジェクトで実践しよう」。そうした意識とやる気、気づきを醸成しながら目の前のプロジェクトをリジェネラティブに取り組んでいくことが大切だと思います。

井口さんの友人が自宅のバルコニーで実践したスペース。土地の文化や歴史を調べ、バイオフィリアを感じてからデザインしたとのこと。「GIVE SPACE」の考えを知るまでは人工芝と観葉植物を置こうと考えていたところ、湾岸の歴史や海との関係性を自分なりに調べ、葛飾北斎の絵にインスピレーションを受けて枯山水のような空間に。井口さんいわく、「防風林である松の植木を置いたのは気候にも土地の情景にもあう。自分の安らぎにもなるので、GIVE SPACEですね」

——「GIVE SPACE」では物理的に他の生き物に土地を返していくだけでなく、「Mental」や「Spiritual」の領域が都市デザインの方法論の文脈に組み込まれているのが特徴的だと思います。そうしたアプローチはまだ主流ではないと思いますが、実践していく上でどんな工夫をしているのでしょうか?

井口:いくつかの戦略を使っていますが、わかりやすいところだと3つ。1つが「知識を共有する」こと。知識がないとそもそもコンセプトが頭の中に生まれません。そのため、リジェネラティブ思考やバイオフィリックデザインについて、どんな思想のもと「GIVE SPACE」が生まれたのかを伝えるようにしています。

2つ目は「心理的安全性」をつくり、私を信頼してもらうこと。いわゆるチームビルディングです。いきなり現れた人がよくわからない思想を話しても面食らいますよね。特に「GIVE SPACE」は「Mental」や「Spiritual」といった領域に触れることも多いので、丁寧に関係を築かないと怪しまれてしまうことも。仕事面だと、クライアントとコンサルタントのような表面上の関係性はありますが、私自身のことを知ってもらって、相手のことを知ろうとするスペースづくりをしています。

関連して3つ目が、「ミーティングのデザインとファシリテーション」。あまりヒエラルキーをつくらないよう、社会的な階層、キャリア、年功序列、男か女か、年上年下といったものをなるべく意識させないコミュニケーションをしていきます。そうすると、発言がしやすくなりますし、これまで聞けなかった意見が出てくることがあって。関わるメンバー一人ひとりが常に発言している環境を、ミーティングの場からデザインしていますね。


理想の世界だけではなく、今この瞬間を生きていく

——「GIVE SPACE」がコンセプトだけでなく、具体的な方法論であることが、リジェネラティブ思考をインストールしていく上で有効なのではないかと感じています。どうして方法論として提唱されたのでしょうか?

井口:最初から方法論にしようと思っていたので、コンセプトで留めるという発想はそもそもありませんでした。というのも、他の生き物に土地を返していこうと思うと、「土地の返し方」を考えていかないと返せないですよね。「土地を返していけるような世界がいい」と願うだけではなく、自分自身が返していきたいと強く思ったからこそ、返し方を学ぶ必要があると思ったんです。

——未来のことよりも、今生きているこの瞬間に、どれだけ土地を返していけるかに焦点があるんですね。

井口:そうですね。私の中での「人間という動物」の性格として、ビジョンやプランをあんまり考えないんですよね。もちろん必要なときはやりますし、ビジネスの世界だと数ヶ月先の予定が決まっていることは珍しくありません。でも生き物って基本的に、そのとき自分が置かれている状況と身体的な条件のはざまでしか判断しないですよね。

その時々で自然に立ち現れてくるスペースがあるので、偶然の出会いや誘われたときにすぐに反応できることが私にとっては重要なことでした。「人間という動物」として生きる上では、その方が他の生き物と似ています。今これが起きたから、じゃあ立ち止まってみよう、とか。そうしたことを日々やり続けていると、自分のリズムがだんだんと自然になっていくんですよね。

そんな考え方をしているので、「GIVE SPACE」の未来像をあまり考えてはいないんです。ただ、自分が生きている間に一体どれだけの土地を他の生き物に返せるのだろうと考えると、焦りを感じるようになりました。以前はそんな焦りはありませんでしたが、ここ数年で「GIVE SPACE」の方法論が明確になってきてからは、どれだけ生物多様性を回復できるのかが私にとってすごく大事になっているんだと思います。

——井口さん自身が「人間という動物」としてその瞬間を生きることと、生物多様性を取り戻すという未来を見据えて生きる「人間らしさ」のあいだにいるのは、とてもリアリティがありますね。

Journey to Lioness Teaser』より


“芋虫”になりきれたら、自然と“蝶”になれる

——「GIVE SPACE」のアイデアを受け取ってから、実践に至るまでのこの3年間は井口さんにとってどのような旅路でしたか。

井口:いい旅路だったと思いますね。まだ終わっていないですが(笑)。私はとっくに人生を折り返したと思っているので、これまでの集大成をつくっているんだなと感じていて。まだ先が見えないことも多いですが、「GIVE SPACE」というアイデアを受け取ってスタートしたからこそ、自分自身が変容していっていると感じます。

自分の役割は明確になってきましたが、役割を果たす方法は色々ありますよね。「GIVE SPACE」という方法論は少しずつできあがってきて、これから実践をしていくわけですが、実践のあり方はまだまだ勉強しないといけないことばかり。最近、私は自分のあらゆる可能性に対して“open up”していると感じています。自分が何になっていくのかまったくわからない。この感覚は若いころのそれに近い気がしています。それくらい今、未知ですね。

集大成としていろんなものを総動員して、全く知らない自分にならないとダメだという確信だけはあるんです。でもそれがどんな状態なのかはわかりません。たぶん自分で知る必要もないんだと思っていて。だって芋虫は蝶になるけれど、蝶になることを知っている必要はないですよね。自然と蝶になります。

でも人間はある程度「蝶になる」というイメージが湧かないと、そうなれない生き物でもあって。そこはまあ、芋虫になりきれたらいいんじゃないかな。すると先のことを考えずとも、自然と蝶になりますから。

——井口さんと「GIVE SPACE」のこれからの旅路がますます楽しみです。2022年春から新たな実践の試みとして「GIVE SPACE実践者コミュニティプログラム」が始まります。このプログラムをどんな人や組織に届けていきたいですか。

井口:「GIVE SPACE」は家のバルコニーから町の花壇や公園、都市の道路やエリア、国単位の環境戦略と、どんなスケールでも実践できるので、さまざまな生き物と共に生きていくための暮らしや空間づくり、街づくりに関心がある人たちにはオススメできると思います。特に、具体的に実践できる街や建築プロジェクトに関わっている建築家やプランナー、行政の人たちとは一緒にできることが多いです。

他にも、地球環境に関心はあるけれど、SDGsや気候変動など課題が大きすぎて自分が何をやっても無駄なんじゃないかと思っている人にこそ、参加してもらいたいですね。大きな目標に対して自分の行動や見方、感じ方を変えていくことができるのが「GIVE SPACE」の特徴で、小さな視点からでも始められることがあると思います。

——以前トークセッションで井口さんは「草の根で取り組む人には希望がある」と話していましたね。

井口:そうですね。こう言うと元も子もないですが、結局、私たちが本当に気候変動を解決できるかはわからないですよね。私たちの世代は運よく命を全うできたとしても、次やその次の世代はわからない。それでも、他の生き物がそうであるように、私たちも自分たちの営みを続けることしかできません。

他の生き物は気候変動なんて知らずに、ただそのときの環境に適応できるものだけが生き残り、適応できないと死んでいく。私たちには気候変動に対して責任があり、どう担うかを考える必要がありますが、「人間という動物」に立ち返ると、日々粛々と生きるしかありません。だからこそ、大きなスケールを目指しつつも、小さくても「GIVE SPACE」する道を一歩ずつ歩んでいくのは、手応えを得られやすいし、楽しくて取り組みやすいと思います。

——参加者との新たな出会いを通じて「GIVE SPACE」がこれからどうなっていくのか、まさに未知数ですね。

井口:私にとっても初めてのプログラムなので、どんなものが生まれていくのか本当に未知数ですごく楽しみです。4ヶ月はプログラムとしては長いけれども、「GIVE SPACE」を実践する上では、とても短い。だからこそ、プログラム後も一緒に取り組んでいけるつながりになるといいなと思っています。その結果、参加してくれる人の周りに、「GIVE SPACE」の考え方が自然と広がっていくと嬉しいですね。

【3月23日からスタート!】
井口奈保さんとの「GIVE SPACE 実践者コミュニティプログラム」が始まります!「GIVE SPACE」の方法論を学び、ポスト人間中心時代の暮らしや空間づくり、アーバンデザインに挑戦する4ヶ月間の実践型プログラムです。
詳細・申込は下記特設HPをご覧ください。
https://aida-lab.ecologicalmemes.me/givespace

聞き手/小林泰紘・坂上萌・中楯知宏 執筆/坂上萌 編集協力/小澤茉莉 編集/中楯知宏

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