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持続可能な社会と他人事感

「サスティナブルって流行りだよね。」って、先日息子が話しかけてきた。
SDGsの本が我が家には何冊かあって、息子もそれを読んでいたからか、学校でSDGsについて学ぶ機会があったのが嬉しかった様子。
本を読んで知識を得たり何かを感じること以上に、誰かとその話を共有するのが好きなことはわかっているのに、そんな時間があまり取れてないな…と思いつつ、読書スピードが違いすぎてもう半諦めかけている。
息子も諦めかけている…。

自分ごとにするのは難しい

息子からの、流行りって言葉に、違和感を覚えたものの、多くの人を巻き込むのにファッション感覚が効くのは理解できるし、地球規模のことをムーブメント起こさず解決できるとも思えない。だから、これはこれで良い兆候なんだと思う。

でも、エコとかロハスとかって言葉が市民権得て、多くが知る言葉になっても、これらが社会に大きく影響を与えた実感はなく、今もファッション感覚で、そこから昇華される気配がしない。
アル・ゴア元アメリカ副大統領が「不都合な真実」で訴えた環境問題だって、CO2排出が気候変動、温暖化に与える影響を、多くの人が頭で理解して、あれだけ大きな話題になったのに、抑制にむけた大きな行動も結果も出ていない。

温暖化の影響はCO2じゃないっていう専門家もいるけど、そういう人の存在を言い訳にしてるんじゃない。って気もすれば、私自身、意識高い系を装って、他人事化している後ろめたさもある。

結局、何をどうすれば、地球の環境を壊さず、資源を使いすぎず、未来の世代に平和と美しい地球を残せるのかなんてわからない。規模がデカすぎる。

そんな課題を汲み取って、アクションレベルに落とせる(しかも一人称で)SDGsが策定されたんじゃない!?って思いながらも、どこかでまたトレンドだけで終わっていくのかなと、ここでもまた他人事感でいる自分が悲しい。

サスティナブルってトレンドというより前提

流行っているからやる、ブームがさったからやらないってことでなく、ゴミがでたら正しく捨てて当たり前でしょ。そもそもそのゴミ出さないようにするのが大事でしょ。という次元の話。
わかっちゃいるのに、できないってどういうことよ。

そんなことを、8月に見学に行った海士町の海を見て思った。
そこは小さな集落の港で、船が10艘ほど停泊していて、波は静かな日だった。夏なのに生憎の天気で、この海見てーーって景色ではなかったけど、本当に、綺麗な海だった。
これもう水道水やん、泡ぶく一つ立ってない、真っ透明。静かな海を見て、海って本当はこういうものなのね。って初めて知った。

知らないって恐ろしい。多分、知っても知っても、自分の無知を知るばかりで、満足できる知に到達することなんてないんだろうけど、それでも知るべきことはたくさんある。

海にゴミが浮いていれば悲しい気持ちになるけど、汚れていない海がどういうものか都会に住んでいるとわからない。浮いたゴミをどうやって拾うか、どうやって海にゴミを捨てないかくらいしか想像がつかない。
本当は、もっといろんなものが海に入り込んでいるだ…ってところまで至らない。

片方だけ知っていても、何が善で何が悪か、自分の考えは出てこない。
こんなに綺麗な海が、あんなに汚れてしまうのか。って、ダメージを受けないと、そもそも海ってどういうものなのって前提に立ち返れない。

匂いのない海ってあるんだ

地方巡りが好きな私はよく短い旅に出る。
でも、ふらっと小さな港に行ける機会はほぼない。
それは海士町が小さな町で小さな島だったから得られた機会。

海士町がある中ノ島は、今私が住んでる区よりちょっと大きいくらい、人口密度は今住んでる地域の0.8%の島。本土から沖合60km離れている島。

海を見ているだけで、山も里も空も、後鳥羽院が承久の乱に敗れて、島に流された800年前(承久の乱は1221年だからまさかのぴったり800年)から変わってないんじゃないかって思ってしまう美しさ。
実際は、各所港や堤防はがっつりコンクリート作りで、使われてない田んぼ(耕作放棄なのかな)もあるし、島故に人口密度の割に交通量は多く感じる。山のてっぺんには風力発電機も立っていた。

見学に行って得たのは、都会との変化の量でなく、都会にはもうない変わらずにずっとあるものを見つけられたこと。
季節や天気にもよるのかはわからないけど、綺麗な海って匂いがないんだな。って感覚と合わせて大きな印象として残っている。
綺麗な海をこのまま残したいって思う、自分事感が得られて救われた気持ちもある。

私には、海士町がそう思うきっかけの場になったわけだけど、人それぞれそういう場はあるんじゃないかと思う。
大事だなって思うのは、そもそもって前提を機能させるのには原体験が必要ってこと。みんないろんな場やいろんな人に会いに出かけて行って欲しい。

春から、親子で何もない島に行くけど、何もないから残っているものを親子それぞれ感じられるといいな。
こことあそことで、どっちがいいかではなく、そもそも、なんで、本当は、の後に続く自分の言葉が一つでも出てきたらそれで十分。
そこで、改めてSDGsの話をしたり、大きくなったら水族館で働きたいって息子の夢を聞きたいな。いい時間が過ごせそう。楽しみ。

終いに:
1年半くらい前から、洗濯マグちゃんを使ってます。すっかり人気者のマグちゃん。
たまたまスーパーで見かけて使い始めてからもう2世代目(2つずつ買ってる)。この辺りからそもそも洗剤ってそんないる?って思うように。たまたまの出会いだったけど、マグちゃんのおかげで、そもそも洗剤そんないらんやん。って思うようになりました。
食洗機でも手洗いでも、油汚れでなければ洗剤そんなにいらないし、シャンプーもちゃんと櫛でといてから洗えば意外と少量でもいける。むしろさっぱりしてるのはどういうこと!?
アイラップっていう袋のラップもゴミの削減に大活躍してます。これもスーパーでの出会い。ラップとして、保存袋として、生ゴミ袋として、最低でも4,5回使える優れもの。我が家ではサラダチキンや少量の温野菜作るときにも重宝してます。
都会にいるとこういうセレンディピティ(ここで使う?)あるのがいいよね。と思う今日。

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