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こんな診療所があればいいのに

父が医者、母が看護師という環境で育ち、中学時代に父が北関東の小さな町で診療所を開業しました。「将来、絶対に医者にはなるまい」と思ったのは、他でもない、父が開業した当時のティーンエイジャーの私です。

それから、約15年。

「こんな診療所があればいいのに」と思って、30を過ぎた私が医学部に学士編入をするんだから人生何があるか分からないですよね。

今回は「医者になる前の私のこと」について。

診療所の「静」のイメージ

自分は医者は向かないなと思っていたのは、一日中、診察室に座った状態で、患者さんが出たり入ったり。聴診器を当てたり、脈を図ったり、ゆっくり話を聞いたり、薬を処方したり。良くも悪くも「Theお医者さん」な診療所で働く父の様子は、静かで変化が少なく思えたからでした。

「多動」な私は、大学を卒業して、外資系の企業や国内の広告代理店で働くようになりました。

広告代理店では、「イノベーション・ラボ(当時)」というチームに所属して様々な企業の未来洞察コンサルティングに携わったり、社会課題をデザインで解決しようとするプロジェクト「issue + design」のメンバーとして活動させてもらったり、自身でも「Aging Matters」というプロジェクトを立ち上げて、地域の高齢化について検討する場づくりをしたり。文化人類学で言う、エスノグラフィックリサーチと呼ばれるアプローチを武器に、国内・国外の様々な場所へフィールドワークに出かけてリサーチをしては、いろんなクライアントワークに還元するようなそんな仕事に従事していました。

色んな人に出会って、刺激を受け、新しいモノづくりやコンセプト作りにかかわらせてもらって、本当に充実した日々だったのですが、、、そんな中で頭をよぎったのが実家にある巨大なハコ「診療所」の未来の事でした。

自分だったらこんな「診療所」にしたい

広告代理店では、日頃からいろんなケースを学び、自らリサーチし、新しいアイデアに結び付け、なんなら自分達でケースを作る、といったことをしていたのですが。

ふと実家に目を向けてみると、巨大なハコ=「診療所」が存在することに気づきます。いつか父がこの診療所を手放すときに、私だったらどうやって活用するだろう。そんな思いがふつふつとわいてくるようになりました。

公園みたいなスペースを併設してキッチンカーがきて、手作り野菜の直売所が出て、地域の老若男女が集うような場所に。時間帯によっては小学生がやってきて学童とか公文教室みたいな場所に。季節が穏やかな時期は大きなスクリーンを貼って野外映画館に。待合室がシアターになれば演劇もできるかもしれない。

こんな感じで巨大なハコとしての「診療所」の可能性について想いを募らせるようになりました。医者でもなければ、看護師でもない私は「まぁ、いつか父が年をとったら、診療所の機能を終えたハコを活用して地域に還元できるような場所にしたいなぁ」ぐらいに思っていました…。

そんなことを考えている時期に、東日本大震災が起きました。つづく…。


#ほっちのロッヂに行ってきた

この文章は、私が2022年2月に軽井沢にある「ほっちのロッヂ」に行ってきたことをキッカケに、自身のこれまでとこれからを探るためのエッセイです。


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