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大人のハイジ

※この記事は、1997年8月初稿のリライトである。


 昭和25年ごろ私は入社した会社の独身寮にいた。仕事に必要なこともあり、外国の放送が受信できる短波ラジオを自作。勤務から帰ると布団にもぐりこみ、ヘッドホンをつけて微弱な電波を探った。そのとき雑音の中から聞こえてきたがスイスの放送。それは日本からいちばん遠い日本語だった。そして本場のヨーデルが聞こえてきた。
「♪♪レール、レール、レルヒャー、レルファ、ヤッホッホ♪♪」
なんと不思議な音楽。白銀に輝くアルプスに峰峰、緑の牧場、青く透きとおる湖…。はるかなスイスを想い、 私はひとり悦に入って興奮していた。この感激を手紙に書いてベルン放送局に送ったところ、丁寧な礼状とベリカード(放送受信確認証)が贈られてきた。
 しばらくして町の図書館で表紙に白銀の山と緑の牧場、そこに少女が凭れている絵の本を見つけた。それがヨハンナ・スピリの小説「アルプスの少女ハイジ」だった。この物語は天真爛漫なハイジが主人公の美しいアルプスならではの話である。
 その後、私の娘たちが子供のころ、TVで「アルプスの少女ハイジ」が放映された。アニメだったが、美しい画像と主題歌がよかった。かなり評判を
呼んで何回も繰り返し放映された。本場のスイスでも放映された。私はいい年して子供と一緒に TV を見て喜んだ。そしてようやく定年になった。


 退職記念にと、山岳会のyさん、y夫人を誘い、また昔の山の友2人を引き込み、5人でスイスアルプストレッキングに出かけた。スイスではまずユングフラウ・ヨッホ、グリンデルワルト周辺をトレッキング。つぎのツエルマットへのバスで移動の途中、時間に余裕があるので、ブリュームリスアルプ山脈の中にあるエッシネン湖の訪問である。
 バスを降りて登山リフトに乗る。ここは信州安曇野村と姉妹提携している。カンデルシュテーク村だが、周囲の峨峨とした峰峰と緑にあふれた村の環境は、とうてい安曇野村が背伸びしてもおよばない。
 リフトが急崖に沿って昇っていくにつれ、村全体がパノラマになって見渡せる。小じんまりとした箱庭のように美しい家々。それに最も驚いたのは電柱らしきものが一本もないことだ。
 なんでも昔は電柱もかなり立っていたらしいが、国民投票にかけて一挙に地下配線に切り替えという。いまでも家を新築すると配線費用がかなりなものになるそうだ。半端な観光立国政策ではない。

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 山上駅でリフトを降りる。すると目前に緑の牧場が広がる。そしてカウベルを着けた数頭の牛が、ゆうゆうと草をはぐくんでいる。すぐ下の深い谷を隔てて向かい側には高い山があり、白銀の頂から瀑布が数条落ちてくる。まさにスイスらしい典型的な風景である。皆も歓声を上げてカメラを構えている。
 ここから緩い起伏の牧草地を湖に向かう。草地は色とりどりの高山植物の花が咲き、立ち止っては見とれている。しかしつぎつぎに異なった美しい花が出てくるので、足も遅々として進まない。約40分で湖に到着した。エメラルドグリーンの水の色は氷河湖そのもの、むこうはブリュームリスホルン(3663m )が聳えて水に映えている。山は首が痛くなるほど見上げなければならぬ。ここでも広角レンズがなければ全景が入らない。実に雄大な景観だ。

 午後の集合時まで自由時間なので、私は一人で岸辺を散策する。新調したカメラを構えて、いろんなアングルから山と湖をとってみる。しかし刻々とガスが頂にかかり、太陽の光が山腹に当たっても、つぎの瞬間にはすぐに陰ってしかし刻々とガスが頂にかかり、太陽の光が山腹に当たっても、つぎの瞬間にはすぐに陰ってしまう。いずれも自分で納得できる構図が得られない。刻々と変化する自然の美しさに負ける。有名な画家が筆を捨てたという、鈴鹿筆捨山の故事を思い出した。

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ブツブツ言いながらシャッターを押していると、
「ハロー」
一人の美人が声をかけてきた。彼女はさっき来るときに見かけたが、別の男としゃべっていた本人ではないか…。そのとき、“えらいべっぴんさんやなあ…。ヨハンナスピリの小説に出てくるアルプスの少女ハイジも、大きくなるとこんな女性になるのだろうかな…“と思ったのだが、その人が声をかけてきたのだ。これは幸運である。彼女は「貴方は何処の国の方ですか?」
と英語で聞くので
「日本の名古屋です。16名でトレッキングツアーが目的です。」
「昨日はアイガーの山麓を歩いてきました。花が綺麗でしたよ」
そんな話をおぼつかない英語でしゃべった。そして
「貴女が若くて美しいので、さっきから見とれていました。」
日本では絶対に口に出したことのない言葉を考えしゃべった。
「サンキュー、私は幾つに見えますか?」
待ってました。私のとっておきの殺し文句の出番である。
「ルックヤング、実にお若く見えますね。たぶん24才か25才ぐらいと思いますね。64才の私から見れば、貴女の若さがうらやましい。」
「本当?、それは光栄ですわ。生まれも育ちもスイスのローザンヌ、名前はスーザン、年は32才、もうお婆ちゃんですよ。」
彼女はケタケタと大笑いした。そのとき先ほどしゃべっていた男が横から割り込んできた。
「何を話している。彼女は私のワイフだ」
これはまずいと思ったが、とっさに彼にもホメ言葉をめちゃくちゃに投げつけた。
「ユー、ナイスハズバンド。ハンサム、ナイスガイ。」
これで三人とも大笑いとなった。
何でも彼のほうはスコットランド人、NGOからアフリカのモザンビークに派遣されてしていたが、そのときスイスのNGOから派遣されていた彼女と知り合い、現地で結婚したそうだ。
「名前はロバートです。年はやっと35才になったばかりです。」
「私はタカオ、やっと64才になったばかり若造です。」
お互いに握手をした。日本からだと幾らお金がかかると聞くので、約40万円ほどだと答えると
「噂どうり、日本人は世界一のお金持ちだね」
と感心している。しかし
「たった4日、5日のスイズ滞在では、ほんのちょっぴりしかこの国を知ってもらえないですね」
と皮肉された。
「日本人は本当に忙しい国民ですな。」
さんざんであった。
「私たちはモザンビークから帰って失業状態です。いまはこの山小屋を手伝って生活を支えていますが、しばらくすると、また外国にいってNGOの仕事をやるつもりです。」という。私は
「私たち日本人は年を取ったら、どこかにマイホームを建て落ち着きたい
と思いますが、貴方がたは子供とか、マイホームとは持ちたちと思わない?」
するとロバートは
「私たちの生き方には子供はいりません。それまではいろんなことを経験したいです。」
真顔で答えた。自分の生き方をちゃんと決めて、生活手段はそのための方便だという。こんな人生を求める人も世界にはいるものだと、感心してしまった。
二人は
「スイスは小さい国ですが、沢山見るものがあります。どうか何回も来てこの国をぜひ好きになってください。」
といわれた。
ロバートに
「貴方のスーザンと一緒の写真をとらせてほしい」
と頼んだら
「OKOK、シャッターは僕にまかせてくれ、スーザンの肩に腕を回してもいいよ」
笑いながらシャッターを切ってくれた。
「美人の奥さんを持った君は幸福な方ですね」
とひやかすと、それを聞いていたスーザンが
「それは私の言いたいこと、ハンサムな主人を持った私の方が幸福ですよ」
熱いところを見せつけられた。
やがて眼の前の峰にガスがかかりだした。集合時間が迫ってきたらしく、同行の集合時間が迫ってきたらしく、同行のYYさんが迎えにやって来た。それを機に私たちは別れることにした。
「楽しい時間をありがとう。また機会があったらお会いしましょう。」
私は
「バイ、バイ、サヨナラ」
大きく手を振って牧草の道を歩きだした。

ロバート夫妻も山小屋のベランダから
「タカオさ~ん、グッドバイ!」
大声でペンキ塗りの刷毛を振り上げた。

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