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中国嵩山(すうざん)に登る

嵩山は中国の黄河支流のほぼ中央、河南省にある。
古来から中国5大名山のひとつとして名高い。これは宗教の名刹があるから名山としたもので、高山幽谷の名山ではない。山は大室山(1580m)と小室山(1390m)の2つからなり、その山の谷間に拳法で有名な少林寺がある。

嵩山1


私たちは前日まで西安、落陽の史跡めぐりを終え、山麓の登封の町にある一番大きいホテル少林寺国際大酒店に宿泊した。日本人や西洋人の観光客は、
少林寺と拳法武術の見物だけで素通りするらしく、町では見かけることはなかった。
登封の駅前には毛沢東の大きな像が建っている。
文化大革命が反省され、各地の毛沢東像は撤去されているのに、ここは中国革命揺籃の地に近いせいか、いまも厳然と毛沢東が見下ろしている。


登封の町で知り合った若い書道家が、私の姓名を詠み込んだ漢詩を書いてくれた。

漢詩書001

久扁四郷農
保蔵耕転豊
田夫不辞苦
孝義伝家風   田希明 書


残念ながら今日に至るまで、詠み方や意味がわからない。たぶん農業の勤勉を誉めたのものと思うが…。日本に帰ってから、この書を額に入れて壁に掛けて毎日眺めていた。
ある日、友人の書道家に見てもらったところ、田希明さんは中国の若手書道家で有名な人で、最近では書道文化コンク-ル展で中国第一位と聞いて驚いた。

登封の鈴懸の道


早朝5時なのに登封の町はもう人と自転車で溢れ、バスやトラックも人を満載して職場に急ぐ。もの凄い活気がある。道端の露店で簡単な朝食をとる人が多い。
どんなものかと同じものを買ってみる。言葉が判らないので、筆談で 「?元」と書いたら 「五角」 と返事があった。長さ25cmほどの油揚げパン2本とスープ1皿、これでで5角(6円)とは安い。これが中国の一般人の朝食である。食べてみると以外にあっさりして胃にもたれない。

登封の朝


登山支度して登山口まで15km ほどバスで移動する。当初は大室山最高峰に登る予定だったが、近日の大雨で登山道が一部崩れたとのこと、やむなく達磨洞のある(1280m)峰に変更する。
少林寺門前は土産店と食べ物屋が両側にズラリと並び壮観な町を形成している。

少林寺


少林寺拳法の映画が大ヒットしたおかげで、中国、国内はもとより外国からの観光客も急増している。
出発地点は少林寺のすぐ横、すごく汚れた有料トイレ「厠所」と漢字が書かれた脇を過りぎる。道は村の中やトウモロコシ畑、イモ畑の 中をゆく。地質は石灰岩の上にゴビ砂漠の黄砂が堆積したものとか、川や橋があっても水はまったく流れていない。
やがて石の階段となり整備された道になった。
まもなく古い寺に出会った。これは西暦 495 年に建立された少林寺では一番古い寺、いまは一般公開されていない。しかしホテルで見かけたフランス人の団体は、この寺を目的にパリからツアーを組んだとのこと、よくもこんな寺の歴史を勉強したものだと感心する。

登り道


見上げると山はものすごく急斜面で、道がなければとうてい登れそうにない。そして
大き樹木はなく、腰から下の低いブッシュの中に、日本と同じような萩の花や女郎花が咲いている。石段の道を途中の古い寺まで登っていく。
一昨日の西安では朝の気温が12度だったのだが、ここはさすが南国だけあって、もう20度を超えている。きつい登行なのでたまらなく暑い。厚手の山シャツを夏用に変えてよかった。


「キャアー!」 同行女性の悲鳴に、急いで草むらをかけわけてみると、なんと親指大のコオロギが隠れるところだった。国が大きいと昆虫もサイズがでかいのか。登る途中に小さな祠があり、 地元民の人が数人座ってなにしゃべっている。
「ニイハオ」 と挨拶すると、最初の不審な険しい表情が消えて 「ニイハオ」笑顔の返事がかえってくる。日本語で 「今日は何かのお祭りですか?」
聞いてみると「ペラペラ、ぺらぺら…??」 サッパリ判らないが、明日は中秋の名月なので、「中秋の満月に関係するお祭りですか?」 同行の中国語に堪能な人と通じて聞くと「そのとおり、中秋節の準備をしています。」と返事があった。先方に日本のキャラメルを提供し小休止とする。
「こんな山に登る日本人は初めてです。たいていはお寺を見物して観光だけで帰っていきますよ」と驚いている。


休んでいると大勢の武術学校生が駆け足で登ってくる。7合目にある達磨洞まで一気に上かけのぼり、また戻ってくるそうだ。彼らは拳法武術を3年から5年もかけて学び、警察官、あるいは体育学校の先生になるという。優秀な人の中にはホンコンやハリウッドに招かれてアクション俳優になるそうだ。

嵩山3


胸もつきそうな急なジグザグ道を登ること一時間、まったく突然に達磨洞前にでた。
ここは禅宗の開祖、達磨大師が9年間も石の上に座禅を組んで修行した場所。そのため最後は石に足がくっついたという。起き上がりダルマ人形の話はここの出来事なのである。
中国では起き上がりタダルマの伝説よりも、笹の葉の舟に乗って伝導した話のほうがよく知られている。洞窟は大人4,5人は入れる広さ、中に仏壇と祭壇があり一人の老僧が洞を守っていた。私たちを見てなにやら「ぐちゃ、グチャ」というので、布施を求めているのだろうと思い 「幸福になりたい人は、真心からお布施をしてやってください…」
と誰かが言うと、日本人は神仏に弱い。我れもわれもと寄進する。なかに10元(120円)ポンと寄進する人がいた。中国の相場ではこれは大金である。老僧の表情もたちまち崩れてニコニコ顔、「達磨さんより、私たちのほうが生き仏かも知れないな」 そっとささやく。


ここからの下界はまさに絶景だ。
正面に小室山の主峰、背後に大室山連峰、いずれも石灰岩が累々と露出した針峰である。
道がなければザイルの世界だ。とうてい私たちでは登れる山ではない。そしてはるかに光るのは少林寺ダムの湖水、かすむ大都会は河南省の省都、登封だろう。少林寺の建物群は眼下の緑の中に赤く点々と散在する。
17人が相前後しての登りだ。石の階段道はやがて途切れて地道となった。右にゆるいトラバースをすると突然に尾根の鞍部であった。
“サアーッ!”
心地よい秋風が身体の周りを吹きぬける。15分で頂上の展望台についた。
ここはさすが 360 度パノラマ大展望、山並がいくつも連なる。この河南省は山が少ない地方なので、この程度の高さの山でも遠方から見ると大山岳である。

嵩山山頂


登山口に望遠鏡のノゾキ屋が店を並べていたのを思い出し、そこでわざとその方向に手を振ってやった。
香港から来た美女はズック靴で登り切って満足している。 咽喉が渇いたと言うので、日本から持ってきた、ミネラルウオーターを半分飲ませてやったら、赤い唇で 「謝謝」と感謝してくれた。

全員で記念写真をとる。私たちのグループの名前のいわれを聞かれたので、「ふわく=不惑40才にして惑わず」と言う意味だと、棒切れで土の上に漢字で「不惑」と書いてみせると、地元の青年も納得している。どうやら中国も同じ意味の格言があるらしい。

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山の上で得意の草笛を吹く。
曲は「かあさんの歌」と「草原情歌」。後者は中国の青海省民謡なのに、日本人から逆に教えられたとのこと、両方ともいま中国で大人気の歌だ。カラオケでベストワンの歌である。風に身をゆだね草笛を吹く。


いつしか身も心も中国の風の中で大地と渾然一体となり、頭の中から悩みや悲しみ、苦しみなどの記憶がすっとんで、きれいに浄化されている。気がつけば周りを日本人、地元の中国人、香港の青年男女などに囲まれ、皆がハミングをしているではないか。
「ラララ…」
草笛も習得してから何十年にもなるが、これほど感激したことはない。
「……」
“ああ中国の山に登ってよかったなあ…”
感傷にひたりながら、にじみ出てくる涙をそっと拭い、草笛を吹き続けたのだった。


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