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空をみながら体癖を思った話。

友人からの連絡

とある平日の朝、来週会うことになっていた友人から約束のリマインドと近況報告メールが届きました。

その内容は自分の体癖がわかったという話で、

『1種体癖の方の言っていることを聞いて、自分にも当てはまることが多すぎて大笑いした。やはり自分も1種のよう。世界の見え方って、本当に様々あるんだなぁと改めて思い、最近やっと体癖を受け入れるのが楽しくなってきた』

というものでした。

体癖を学ぶ際の最初の『壁』のようなものを乗り越えた、清々しい気分がわたしには伝わってきました。(そう思ったのは、私もその壁に苦しんだ時期があったからかもしれませんが。)

最初の『壁』は一般的なカテゴライズ

この友人は以前から一般的な人に対するカテゴライズや先入観に疑問を抱いていて、体癖論という性格分類にも多少なりとも同様の疑問の感覚を持っていたようでした。

一般的な人に対するカテゴライズは、便宜上簡単に人を選り分け、そこに善悪や良し悪しの意味合いを散りばめて形成されているものがほとんどではないかと思います。
(私自身も以前よりはだいぶ減ってきましたが、無意識に相手や自分をカテゴライズしている瞬間があるものです)

だけれど、この友人は学びを始めること半年、体癖論というものにはこの一般的カテゴライズではない、何かがあると気付いたのだなと思ったのです。

空(そら)のように善悪はない

私はこの報告を胸に佇ませながら通勤途中の空を見上げて、体癖のすごみって、カテゴライズの向こう側というかその奥深くがちゃんとある、とも言えるかなと思いました。

体癖を空(そら)に例えてみましょう。
空は、天気の変化だけでなく四季でもその様子はガラッと変わり、様々な面を見せてくれます。
そして、天気や四季そのものは至って自然なものであり、空には良し悪しや善悪は存在しないのです。

受け取る側にとっては、夏の日差しが好きな人、冬の澄んだ夜空が好きな人、晴れが好きな人もいれば、曇りや、はたまた雨が好きな人もいるように、
天気や四季の良し悪しは、あくまでも受け取る側の意味づけに対して言えるものです。

体癖も空と同様だと私は考えます。
体癖論の示すものに善悪や良し悪しはないのです。
体の癖=感受性は至って自然なものだから。

善悪を決めるのは誰か

自他の体癖問わず、○種が嫌いと言う人もいます。
(こんなひとはいないかもしれませんが)雨が苦手だから空が嫌いって言うひとは、物事の一部分しか見ておらず、ちょっと度が過ぎていますものね笑。
嫌いな○種に対しても、ちょっと別の見方、ほかの部分に目をやれば、社会に貢献できる場面や存在のありがたさに気付くこともあるのではないでしょうか。

だから相手の全部を受け入れてという話ではないですし、苦手な人がいること自体は全くもって当たり前のことです。
そのなかでも、自分の感受性を大切にしつつ、相手の感受性にも配慮し折り合いをつけながら接すればもっと生活がしやすいのかなと思います。
この折り合いをみつける方法として、体癖論を学ぶことは非常に有用なのです。

自分も相手も許容できる

身体がある以上は当たり前にある体の癖と感受性の広さ深さそして無垢さを知った時、自分をそして相手を許容することができるのではないでしょうか。

友人のおかげで巡らせてた想いが言葉にできました。
皆さまにもそんな体癖の面白さを少しでも感じていただければ幸いです。


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