保育学生の視点から考察する少年漫画
*本文は筆者の妄想です。鵜呑みにせず自分でggrks。でもWikipediaで整合性を確かめんなよ。
所詮は一学生による考察、専門家からすれば鼻で笑われてしまう内容だと思う。しかし、2年間大学で学んだことをここに綴った。
NARUTOからわかる愛着
NARUTOっていう漫画知ってる?ジャンプで連載されてた忍者の漫画。簡単に説明するとこんな感じ。(ちなみに核心的なネタバレはなし)
主人公のうずまきナルトは出生直後に九尾の妖狐を体に封印され、里を救った英雄として生きていくハズだった。
どういうわけか、里を壊滅まで追い込んだ九尾の器としてナルト=九尾という里の大人の見方が一般化していたのだ。
その幼いナルトを見る大人の目は冷たく、人の子として扱われなかった。
本編が始まる場面からではナルトの養育者は里の長である火影。しかし、ナルトとの関わりは公にせずお忍び(忍者だけに)で会っていた。基本的に後見人として近くで面倒を見ていたわけでなく、生活費と住居を与えていただけのようだった。もちろん、祖父と孫のような関係として描かれているが。
また、父や母のような愛着を築ける大人は周囲にはいなかったようだ。
(イルカ先生や一楽のおっちゃんは築けていただろう。)
だからこそ、ナルトは大人に認められたい、構ってほしいという想いからいたずらを横行していたと思われる。
そもそも愛着ってなに?
一つ注意、愛情とは異なる。
親子関係以外でもこれは築くことができる。先述したように、ナルトと火影(ヒルゼン)は直接の血縁関係はないが、愛着は形成できる。
愛着の話になるとだいたい母と子の例が用いられるが、父親でもいいし、祖父母でもいいし、保育者であってもいいのだ。
母と子の例だと授乳がある。これは母が子どもに授乳するときに分泌されるオキシトシンから子どもとの愛着形成を促進する効果云々があるからで、様々なアタッチメントのカタチがある。
そもそも、子どもは大人の力なしで生き抜くのは非常に厳しい。なぜなら、人の子は未熟な状態で生まれるからだ。
他の動物の赤ちゃんは生まれて数時間で自らの力で立ち上がり、数カ月で大人と近いカラダつきになる。
しかし、人の子は頭が発達しきってから出産すると産道から出られなくなる。そのため、未熟な状態で生まれる(生理的早産)。
未熟な状態だからといって侮ってはいけない。赤子は生まれながらに生存するために必要な機能を持っている。それは原子反射というものだ。
赤子の手のひらに指をおくと握り返したり(把握反射)、口にモノを近づけると吸おうとする(吸てつ反射)。親が顔を覗き込むと微笑む(生理的微笑)ことがある。これは面白がったり、喜んでいるから笑っているわけではない。
これらは本能的に生存するために、大人との関わりを続けるために必要なのだ。つまりは、コミュニケーションのようなもの。
(講義で習ったことを書いてるだけなので、別分野の知見は知らん。)
ここまで、長ったらしく学問的な話をしてきたが本題に戻ろうか。
愛着関係を築くとどうなるかについて―――――――――
子どもにとって周囲の世界というのは初めてづくし。皆が思うように何事においても初めては不安が多いだろう。子どもにとってもそうだ。
不安や恐怖というのは完全に払拭するのは誰にとっても難しかろう。
子どもが外界に向かっていくために、親等の『特定の』愛着を築いた者を安全基地として様々なことに挑戦するのだ。
くっついて安心感を得る不安解消システム
図からわかるようにアタッチメントとはこのようなサイクルになっている。
これをナルトに当てはめて考えてみよう。ナルトにとってアタッチできる存在として、イルカ先生を候補に挙げて考えてみよう。
(他のキャラにも焦点を当てたいが、NARUTO全巻読んでいないためテキトーなことを書かないように、イルカ先生のみに焦点を当てる。ネタバレ防止も兼ねてね。)
イルカ先生はナルトが在籍した忍者アカデミーの担任である。ナルトが卒業試験に合格できず、アカデミーの教師であるミズキから封印の書を盗むように教唆されたシーンの流れが印象的であろう。
ミズキはナルトに九尾が封印されていることを口外しないという掟をナルトに明かす。九尾の妖狐であることを知らされたナルトは、情緒が不安定になり、九尾の力が発現しようとしてしまう。
ミズキが投げた手裏剣をナルトから庇うイルカ先生。
手裏剣が背中に刺さり―――――――――――――
ナルトを九尾の妖狐としてではなく、一人の人の子として認めていたこと、関わっていたことをイルカ先生が告げる。
これはNARUTOを語る上では外せない名場面ではないだろうか。
この場面から世界に不安だらけのナルトが、いつも孤独であった状態から何事もうまくいかない描写を踏まえて、イルカ先生が真摯に向き合った姿からナルトとイルカ先生の愛着が形成されたと捉えることができる。
そこからのナルトは自身の目標である火影になることを口にするようになる。これは、不安や恐れをイルカ先生が慰め、取り除いてくれたことで安心・安全を得て、自分を信じ、帰る場所があることに気づくことができたからこそであると考える。
不安を解消し、有能感を得たナルトは幾度と挫折を味わい、倒れても、また起き上がり諦めず挑戦し続ける姿を私たち読者に見せ続けてくれるようになるのだ。
「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だ。」
以降ナルトは自身の夢を語り、有限実行を成し遂げようと自己研鑽を続ける。
「まっすぐ自分の言葉は曲げねぇ。それが俺の忍道だ。」
この章の見出しであるこの言葉。ナルトの座右の銘である。
ナルトの諦めないド根性というのは、生まれながらの気質として捉えることもできるが、大人との関わり、愛着が形成されていなかったらと考えたときこの姿勢を一貫することができただろうか。
イルカ先生とのやりとり、アタッチできたからこそだと私は考える。
その後の様々な人と出会い、切磋琢磨し、師事することでナルトはあらたな愛着関係を築き、自らの道を切り開いてきた。
不安定な愛着
愛着には臨界期がある。出生直後と12歳頃が愛着がスムーズに形成される時期とされている。
確証はないが、ナルトがアカデミーを卒業したのが12歳頃と推定される。そのため、臨界期ギリギリだった。試験不合格から、誰からも見放されていたらナルトは序盤から闇堕ちでバットエンドで終わっていたとも考えられる。
このような側面で考えるといかに、イルカ先生が重要人物だったことがわかるのではないだろうか。
愛着には形成しても、不安定な愛着スタイルが存在する。
あなたには幼少期のつらい思い出はあるだろうか。思いだす必要はない。無理に思い出さなくていい。思い出させてしまったら、申し訳ない。
ナルトにとって生まれてからすぐ両親が他界。物心がついてからも親の存在を知らずに、生きてきた。
しかし、自〇企図は少年誌では描くことができない。だからこそ、ナルトが差別される描写が多く、常に孤独を感じ憂鬱な描写でそれ(生きる希望がないこと)を暗に示していたとも捉えられる。
また、ナルトは構ってほしいという想いから『あのさぁ、あのさぁ』、『お前らさ、お前らさ』、『それでさ、それでさ』と同じ言葉を何度もつぶやいてから話をすることが序盤では多かった。これは自分を見てほしい、話を聞いてほしいと思っているから、癖になっていたのではないだろうか。
一方で愛した者を奪われる、愛した者から大切にされない。低い自尊心と安心感の欠如、を植え付けらえてしまう。対比されるキャラクターもいる。
そうナルトにとっての友、サスケがこれに該当する。
NARUTOの読者ならわかると思うが、サスケは一族、家族、両親、父、兄への思いが強い。父に認められたい。強くなりたい。一族の復讐のために。
サスケは一族を目の前で失ってしまって以降、愛着が不安定というか孤独になってしまう。
ナルトとサスケ両者の生き方は対比のようになっていく。愛着が形成できたナルトとそうではないサスケ。どちらも孤独を感じて生きてきたのは間違いない。
しかし、ナルトは苦痛に耐える『意味』を見出していた。そう火影になるということ。一方サスケは一族の復讐。復讐の後にはなにも残らない。その後を応援してくれる人。それまで応援してくれる人。信頼関係自体を築けなかった。
両者ともに目的を持っていた。両者の違いとは、その過程において人との関係をどのように構築してきたのか。互いに信頼できる関係性を広げてきたからこそナルトは・・・
続きはNARUTO本編を読んでから答えを各々導いてほしい。
まとめ
と、愛着をNARUTOにおいて考えてきた。
いかがだっただろうか。
愛着の形成を中心に述べたため、愛着障害の全貌について事細かに書けなかった。現在も勉強を続けているため、また機会があれば何らかの形で紹介したい。
ここまで、稚拙で要領の得ない文章だったことを謝罪する。
今回の反省を踏まえ、次回以降は話のゴールを決めてから書こうと思う。
最後まで付き合っていただきありがとう。
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