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思い出はなび

「 人生は、ただ さくらんぼいっぱいの器 」
  - Life is just a bowl of cherries - 

この言葉を知ったのは十代の頃

シカゴなどで有名な映画監督、振付師、ダンサーとして活躍したボブ・フォッシーの言葉で

あの頃は いまいち意味がよくわかりませんでした

たまたま深夜テレビでみた「 Sweet Caarity 」という映画に夢中になり、
作者のボブ・フォッシーについて興味をもって調べたことがきっかけでこの言葉に出会いました

「 Sweet Caarity 」は、1969年にアメリカで公開された映画で、
主人公のチャリティ・ホープ・バレンタインを
シャーリー・マクレーンが演じています

ニューヨークのダンスホールで働くチャリティは前向きな女子で、すてきな恋愛にはなかなかめぐりあえないけど、周囲にはすてきな人たちがいて、最終的にはまた前向きに歩んでいきます

人懐っこく笑ってるんだけどいつも寂しそうで、笑っていても泣いているような表情がとても可愛かったし、ほっとけない気になりました

そして、私の心を鷲掴みにしたのは、映画の随所にあるダンスシーンです

はじめて目にとびこんだ時、時間がとまりました

フォッシースタイルとも呼ばれる、みたことのないような独特でアンニュイな動きでダンスが構成されていて


中腰のような姿勢で手はねこのような動きをしたり、うまくことばでは表せないけど、
マイケル・ジャクソンのムーンウォークのような誰も考えつかない発明のようなダンスがいっぱいです

元々ダンサーだったフォッシーは、帽子をよく使うのは若いうちに頭髪が薄くなったからで、もともと猫背気味だったからその姿勢を誇張してみたりと、発想を逆にして繰り返しているうちにフォッシースタイルになったと、インタビューで語っています

振付師でもあるボブ・フォッシーは、踊りはもちろん衣装や演出、ほか細部にいたるまで自身の美学を貫かれていて、洗練されていて、もうさすがの一言で、今みても新しさを感じます


そういえば この映画がすきすぎて
当時のメールアドレスを「 sweetcharity + 数字 」にしたり、チャリティが着ているベージュのトレンチコートをさがしたりしたっけ

そして

フォッシーの振りを踊ると腰が痛くなるけど、この踊りを踊れる幸せの方が勝っていて痛いとか関係ないと、当時、同じ稽古場にいらっしゃった劇団四季の方に聞いた記憶があります

その頃の私は、こどもの頃から熱中していた踊りを職業にしたくて、毎日のようにバレエなどの踊りのレッスン、音探し、チームでの練習、アルバイト、学校・・・など、すきなことにひっしだった時期で、正確にはすきなことを幸運にもさせていただいていた時で

この映画に心を奪われてからは、映画の中の振付を完コピして家でよく練習していました

たまに伸ばした手が壁に直撃し負傷、家だとリラックスしすぎるのか自分の立ち位置をわきまえて踊るという基本的なことができていなかったりしました

家での負傷でよく治療院にも行きました

先生が仰るには、ダンサーって家でのケガが案外多いんだそうで、わたしだけじゃないんだ・・・なんて、そのお言葉にけっこう励まされました

そして
時がすぎ 好きな映画の思い出について書いてみるなら、あのフォッシーの言葉もくわえようと思ったものの、ニュアンスはわかるのに正確に翻訳された言葉を思い出せなくて

「 そうだ、日記にしるしているはず 」と思いだし、当時日記として使用していたノートを探すことにしました

けど、どこにしまったのかわからない

えと表紙が、白い雪の降る絵でスケルトンのようなプラスティック素材だったからノートの1枚目が透けて見えて・・・
あれ、ちがっていたかな、えーっと、ない、ない、ない

引越す時に捨ててしまったのかな

手あたり次第、目に入るノートを開いては閉じてをくりかえしているうちにようやくみつかり、そのノートを開いたとたん、一枚のメモ用紙がひらりと床におちました

うすいグリーンの紙に紺色のボールペンで
「 冷蔵庫にケーキ入っているから食べて 」という、父の文字でした

おとうさんの字みるの、何年ぶりだろう

父がなくなって、10年以上たちます

きっとこの優しい文字がここちよくて、捨てられなくて、このノートに はさんでいたんだと思います

ひそかに応援してくれていたんだなぁ

大事なものなら ちゃんとしまいなさいと
父におこられそうです

しつけはおにのようにきびしかったけど、とにかく末っ子の私をかわいがってくれました

子供のころ父とカンフー映画を一緒に観に行ったことがあります

私はカンフーがすきで、カンフーの基本ポーズができるんです

その映画が人気で満員だったため、入場する時にうしろの男の人が私にぶつかりました

こいではなく いたしかたなく

その時、父は、すみませんの一言がなかったことで本気でその人と喧嘩していました

そして、大の大人ふたりが警備員にとめられていました

お父さん、こどもみたい。 それを眺める娘

そのあと、ふるいイタリアンレストランに連れて行ってくれて、帰りは腕をくんで帰ってきたことなど、今まで忘れていた父との思い出がこの一枚のメモのおかげで急に思い出されました

たしかこのメモに書かれていたケーキは駅前のケーキ屋さんのロールケーキで、西日の少しさすテーブルでいただいたこともなんとなくよみがえりました

だからなのでしょうか、このメモを見たとき
べっ甲飴のような夕方の空が瞼のうらにうかびました

そして、びっくりするくらいないてしまいました

気づかないふりをしていた今でも会いたくて仕方ない気持ちがこみあがってきました

ありふれた日常がどれだけ宝物だったか
あとにならないと気づかないこともあります

あの時の父の優しさはきえないし、優しさは時空をこえて再会できたときまた心をいやしてくれるんですね

今後、父ほど私を大事にしてくれる人はあらわれるのかな、天国のお父さんがやきもちをやかないでいてほしいな

「 Sweet Charity 」という映画が、父と私をまたあわせてくれました

いろんな記憶や思いを巡らせてくれました

思いがけない出来事でした

このメモが、本当に大切なことを教えてくれた気がします


映画をみるって
自分の時間と交換すること

自分の時間軸に、どんな映画であれ刻み込まれます

そして、その点が未来への道につながり、いろんな発見や化学反応がおきて、改めて考えさせれたりするところがおもしろいと思います

映画をみた頃の小さな記憶が、小さな花火がぽつぽつと咲くようによみがえり

まとまりのない 記憶たちに思いを馳せるのも、楽しかったり せつなかったり

結局、踊りの職業についたのは一瞬だったけど、Sweet Charityは今も大好きな映画です

「 人生は、ただ さくらんぼいっぱいの器 」

あの頃はどんな事もまっすぐに真剣に受け取って、おちこんだりよろこんだり いろいろ悩んだ時期だったからか、フォッシーのこの言葉の意味がイマイチわからずにいたけど

今なら少しわかる気がします

当時の私にいってあげたい

「 人生は、たださくらんぼいっぱいの器 」


寛容に

それでもかかえきれなかったなら
席をたってドアをひらいて
出ていこう

きらくに
またはじめればいい

どの道を選んでも自分は自分

生きて、笑うんだよって。


最後までおよみくださいまして
まことにありがとうございます。


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