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教育ってなんだろう

田舎者が東京に出てきてから早15年強。
気づけば今の環境には年下ばかりになってきていて、役割でいうところの「先輩」というポジションを頂くことが、めっきり多くなった。

先輩とは、基本後輩を導く役割があるので、恐縮ながらに『教育』をする立場にある。

今教育と検索をいれるだけでも多分相当数の教育論があり、それが、論じられている分だけ正解があるのだろう。
正解が多いのだから、大切なのは自分達はどんなスタンスで、どう育てるか。
だと思う。

僕の『教育』のゴールは『1人立ち』だと思う。
ここでいう『1人立ち』は
自分1人の力で、生きていけるようになるまで導くということだ。

美容師でいうならば、
「人を満足させられる最低限の技術習得」
「人を満足させられる最低限の接客力」
「人を満足させられる最低限の知識」
そしてそこに、
「社会的基本モラル」
がついてくる感じ。

何故あえて最低限と付けたかというと、
本当の始まりは「教育」が終わってからだからだ。

だからこそ教育されている間は、『親心』
で、育てるし、教育が終わればそこからはもう『ライバル』だ。

今の時代には古い考え方かもしれないが、
逆に今だからこそ自分一人で歩いていける力のが身につけられなければ必ず途中で挫折してしまうと思う。

考え方や、行動をきちんと成長させながら、
最低ラインをクリアして、初めてスタートラインに立ち、半人前なら一人前を自分の力で目指す。そんな当たり前な事もしっかり伝えてあげるのも教育だと思う。

「すぐに人に答えを聞くな」
「周りのせいにするな」
「自分に投資しろ」
「惜しみなく自分に時間を使え」

そんな昭和の考え方を今でも強く信じている。

世の中には、なんでも教えてもらえると思って、最低限のスキルが身に付いてからも人のせい、環境のせいにして前に進もうとしない人もいる。

あれはもう教育の範疇ではない。
確実に先輩のボランティアである事を忘れない方がいい。

教育とは、『一人立ちをさせられる能力を与えること』

そして、その後をグッと堪えて見守ること。

ライオンが狩を覚えてからもずっと他力本願な訳がない。
人も同じ。

そんな本質をきちんと捉えた上で
『教育』は成り立つものだとおもう

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