見出し画像

今日の1枚:シューマン《幻想小曲集》作品73,《三つのロマンス》作品94,ブラームス、クラリネット・ソナタ第2番ほか(ミシェル・ポルタル)

フランシス・プーランク:クラリネット・ソナタ
ロベルト・シューマン:幻想小曲集作品73、三つのロマンス作品94
ヨハネス・ブラームス:クラリネット・ソナタ作品120−2
アルバン・ベルク:クラリネットとピアノのための四つの小品
La Dolce Volta, LDV96
ミシェル・ポルタル(クラリネット)
ミシェル・ダルベルト(ピアノ)
録音:2021年3月2−5日


Michel Portal

 かつてフランスの音楽雑誌で「完璧な音楽家」と称賛されたこともあるミシェル・ポルタルは、クラシックのクラリネット奏者としては古典派から現代までのさまざまな音楽に柔軟に対応する一方で、ジャズの音楽家として、クラリネットのみならずバス・クラリネット、サクソフォン、バンドネオンといった楽器を駆使して尖鋭なモダン・ジャズを演奏したりもします。高校時代のほんの少しだけクラリネットをかじったことのある私にとって、彼は長年崇敬の対象ですらありました。
 どこにそんなに魅力があったのか。残念ながら私はジャズに詳しい訳ではなく、ポルタルのジャズを聴いたのはけっこう後になったからでしたし、またそのガツンとくるようなハードなスタイルには、正直近づき難く思うことの方が多かったように思います。ですから私にとってのポルタルは、まず何よりクラシックの音楽家でした。彼の聴かせるクラリネットは、昔ながらのフランス・ローカルな細身で典雅な音色をたっぷり聴かせると同時に、テンポの大きな変化も辞さない大胆な歌い口と、それでいて田舎臭くならない洗練されたセンスを合わせ持っていて、フランスものでもドイツものでも、また古典でも現代物でも、そのスタイルを強固に貫き通す。そのあたりに私は強い魅力を感じていました。
 そんなポルタルも1935年生まれ、来年は90歳になろうかという大ベテランですから、いつからか新譜に接することは期待すらしていませんでした。ですから、数年前にクラリネット奏者で指揮者のポール・メイエと共演して協奏曲の録音をリリースしたのには驚きましたし、それ以上に、また録音当時82歳とは思えないほど達者な演奏を聴かせてくれたことにも驚嘆しました。近年は管楽器奏者の寿命もずいぶんと長くなりましたけれど、この人やハインツ・ホリガーのように、80歳を越えて現役というのはさすがに珍しいと言わざるを得ません。そしてポルタルは今年、またしても新譜を発表しました。今度は2021年、御年85歳での録音です。共演はミシェル・ダルベルト。かつてまだ学生だった頃のダルベルトのデビュー録音で、彼に請われてポルタルがブラームスのクラリネット三重奏曲に参加して以来、ふたりはたびたび共演を重ねているそうです。
 ここに聴くポルタルは、さすがに往年のバリバリなヴィルトゥオーソぶりとはずいぶん違う音楽を奏でています。技術的なあらが目立つというのではありませんが(近年の録音技術ならば、たとえあらがあったとしても隠し通してしまうでしょう)、大きなテンポ変化を駆使して内奥に鋭く切り込んでいったり、あるいは長大な歌い口にデリケートな息遣いを盛り込んだりといったスタイルはいくぶん後退していると言っていいと思います。
 その代わり、ここでのポルタルは、いくらか余裕のあるテンポに乗って、曲想の対比を強調するよりも、抑制した身振りの中に、楽器の鳴り具合を丁寧に聴かせ、かつ豊かな叙情を前面に出すというスタイルに傾いています。その様子を、老境にある音楽家の三昧境などと形容するのはあまりに陳腐でしょう。実際、その自在なスタイルの中で楽譜の細部によく反応しているポルタルは、まだまだ表現に対する旺盛な意欲を発揮していて、「三昧境」という言葉が暗示するような俗気からの解脱といった雰囲気は微塵も感じさせません。
 アルバム冒頭に収められているのはプーランクのクラリネット・ソナタ。先日紹介したレト・ビエリの録音は曲想の目まぐるしい変転を鮮やかに描き分けると同時に、緩徐楽章では曲の内奥に深く沈潜していく名演奏でしたが、ポルタルは以上に述べたスタイルで、細部の対比よりは各楽章の性格をくっきり描き分けていきます。いくぶんモノトーンな第1楽章に続く感動的な第2楽章では、ビエリのように内に入り込んでいくより、抒情的な歌を前面に出して、嫋々たる音の流れを刻んでいくのが印象的です。その上でここではダルベルトのピアノが、落ち着いた響きを基調としつつ随所で鮮やかな音色をひらめかせて、ビエリ盤のレシチェンコに対して一日の長を感じさせます。
 シューマンの2曲は、90年代にミハイル・ルーディと録音していました。そちらはテンポを大きく揺らして、曲の内側に深く切り込んでいきましたが、ここでは音を纏綿とつなぎつつも、その中に強いヴィブラートを織り込んで、音楽の表情を緩やかに動かしていく。特に《三つのロマンス》は旧盤も踏み込みのよい、優れた演奏でしたが、新盤では繊細にしてかつ柄の大きい歌を全編に通わせて、陶酔的ですらあります。
 ブラームスのソナタは、ポルタルにとって3度目の録音となります。ここではまずダルベルトの変化の大きい、豊かな表現がすばらしい。ポルタルは音楽の大きな部分をこのピアノに預けている感じです。もちろんここでも多様な音色を聴かせはするけれども、ダルベルトのかっちりした音運びとよく対話することが優先されている印象を受けます。だからといって表現が薄まっているとか、ポルタルらしさに欠けるとかいったことはなくて、むしろ全体としては他の誰にも真似のできなさそうな、個性豊かな演奏となっていて感銘を与えてくれます。ベルクの《四つの小品》はどれもミニチュア的な曲ばかりですが、それぞれの性格をきちんと打ち出していて、やはり好演と言えるでしょう。

 90年代初めの留学中に、ポルタルの演奏を2度ほど聴く機会がありました。一度目はウィーン・アルティス弦楽四重奏団の演奏会にゲスト出演して吹いたモーツァルトのクラリネット五重奏曲。二度目は彼がリードをとってのジャズのライヴでした。モーツァルトの時は聴いているこちらがドキドキするほど神経質そうな、気難しそうな顔をしていたのに対し、ジャズのライヴでは実に楽しそうにバス・クラリネットを吹きまくっていて、そのギャップに頭がクラクラくるような思いを味わったことを、今でも昨日のことのように思い出します。
 ジャズ奏者としてのミシェル・ポルタルに興味をお持ちになりましたら、エベーヌ四重奏団と共演した《エターナル・ストーリーズ》も面白いのですが、アコーディオンのリシャール・ガリアーノとの二重奏を収めた《Blow Up》を、まずはお勧めします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?