見出し画像

誰かの一番になりたい私は、その他大勢のひとり

好きな人ができた。
マッチングアプリで出会った人だ。

彼は、年齢は私よりも一つ年下で、クリエイターである。
とてもよく話す人で、初対面で自分の生い立ちや今の仕事を選んだ経緯、年収までさらけ出してくれた。「大した人間じゃないから何でも話せるよ」と自分のことは開けっ広げなのだ。
放っておけばずっと話し続けるタイプだと思う。自分のことを話すことが苦手な私とは正反対の人だ。しかし捲し立てるような話し方ではないし、自慢話をしたり過度に自分を卑下することもない。私の下手くそな話にも興味を持ってたくさん質問をしてくれた。コミュニケーションが上手な人だと思う。

一度目は渋谷で、二度目は私の地元の駅前のベンチで、三度目は私の地元のカレー屋に行った。
三度目に会った時には私の性格や性質の話になったが、重くならない程度に真摯に聞いてくれたり、より良い環境にするにはどうしたら良いかなどを一緒に考えてくれた。(あとで調べて分かったのだが、おそらく私は中程度のHSPで、空気を読みすぎるが故に相手に合わせてしまい異常に気を張っている性質だった)
そんな私に対して「滅多なことでは怒らないから、俺で練習してみたら?」と人に頼ったり甘えたりすることを提案してくれたのだ。
こんな風に私のために考え、時間を作ってくれることが、たまらなく嬉しかった。

だから、少しは脈があるんじゃないかと思ったのだ。
結論から言うと、脈はなかった。

彼はただ、出会った人のために時間を使うことを惜しまないタイプだったのだ。
よくよく聞けば、マッチングした人と二ヶ月で20人以上会っているというじゃないか。その中にはすでに数回会っている人もいるとのこと。そうやって、恋愛を抜きにしても色々な人と会うことが楽しいのだそうだ。
私は、その大勢の中のひとりに過ぎなかった。
その話を聞きながら、感情のない声を隠して無理やり笑顔を作った。「そんなに行動力があってすごいね」と褒めもした。そういう時の私は、傷つきたくなくて必死に相手の興味を無くそうとするのだ。もう会うのはやめよう、と思った。


恋愛ってなんだろう。
なぜ恋人が欲しいのだろう。なぜ友達では満たせないのだろう。
それは、恋人が「自分の一番の味方になってくれる」からだと私は思う。
友達や肉親だって私の味方でいてくれるだろうし、恋人は「別れ」のイメージが付き纏うのに対し友達や肉親に対しては「別れ」のイメージはほとんどない(勿論「別れ」自体は様々なケースで存在はする)
しかし、「いつもしっかりしてるね」「頼りになるね」と友達に言われる私が、唯一甘えられる存在が恋人なのだ。私の意思や言葉や行動を尊重し、自己肯定感を高めてくれる存在が恋人だった。恋人がいることだけで「私を愛してくれる人がいる」と自信が湧いてくるのだ。少なくとも、今までの私の恋愛はそうだった。
だから私は「誰かの一番」になりたかった。

大勢が苦手な私は、恋愛も「この人しかいない」とのめり込んでしまう。マッチングアプリを使っていても、複数人と同時にやりとりをすることができないのだ。だから「彼こそ」と思ってしまった。それは、こういう形での出会いとしてはきっと間違いなのだろう。

もう会わない、と思ったのだけど、いま彼にCDを貸しているので(このご時世にCD笑)それを返してもらうためにもう一度会わなければいけない。
もう好きじゃない、と言い聞かせながら、結局相手に気を遣いながら、ニコニコとその場をやり過ごす羽目になるんだろうな。