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体験・経験だけでは忘れてしまう

こんばんは。

今日は、珍しく残業をしてから帰宅しました。
半日、イベント対応をしていたので、
いつもとは違う日を過ごせてよかったです。
(夜になっても暑くて、駅まで歩くだけで汗が出る🥵)
地球温暖化ではなく「地球沸騰」ですから。

この言葉だけ先行してしまっていて、
危機的なこの状況を、危機として捉えられていないような気がしてしまってしょうがないです。
(ワードが印象的だとそれが先行してしまいがちでは?
SDGsとかダイバーシティとか)

さて、本題に。

noteを開設して、数ヶ月が経ちました。
アウトプットをしたい!という思いがあり、
開始してみたものの、ある程度自分の中に、
気持ちや考えがまとまっていないと、なかなか
この場に書き出すというのができていません。

完璧なことはなくていたのに、
たくさんの人に目につくわけではないのに、
なぜか、
もう少し整理できたら、
もう少しまとめられたら、
などと思って、結局時間だけがすぎてしまいました。

(実はこのアカウント以外にnoreがもう一つあったり、
別のブログがあったりしていて、そこでも同じ状況になった)

そんな中、帰りの電車の中でも
スマホでもいいから、いつでもアウトプットできるものがあるなら
とりあえず出してみよう!と思った出来事が3日ほど前にありました。

それは、2年ほど前に参加した、環境省が実施している、
地方創生をテーマにした数ヶ月に及ぶプログラムに参加したときに感じた、
「地方創生」「地域」の文脈の中で考える「気候変動」と、
いつも自分が考えている「気候変動」の大きなギャップについて。

一緒に参加した仲間と私は気候変動に関心があったから、
地域の文脈の中でも気候変動を絡めて、発表をしたときに、
地域をフィールドに研究、活動している有識者の人たちから
フィードバックが、すごく「ずれている」感じがしました。

その時に感じたこと、こうではないか、やっぱりこうなのか、
なぜそうなってしまうのかなど、仲間と話し合って、
モヤモヤしていたものが少し晴れた感覚がありました。

その「感覚」は鮮明すぎるほどに覚えているのに、
肝心な、どういう流れになったのかなどを全く覚えていないんです!!!!

この「感覚」の部分を、ちょうど「地域×気候変動」で
考えられそうなミーティングの場で共有できなかったんです。

もうショックで、ショックで。

だから、どんな形でも言語化して、文章化しておかないと思いました。

あれこれ考えてしまうとこの今まで書いた文章も、
下書きのまま半永久的に眠り続けることになってしまいそうだから、
勢いで公開する!

noteではなく別に個人のノートに書けばいいのではっていう、
もう1人の自分の声が聞こえてくるけど、
それだと続かないというのが、数年の経験でわかっているから
このnoreでいいのだ。(と、自分に言い聞かせる)

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