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自分の顔を好きにはなれなくても、I’m OK.と思えるようになったよ

少し前に、中学からの友達に4年ぶりくらいに
会いました。会ってなかった間に起きたこと、
思い出話をたくさんしました。

その中で、友達が「最近になって、ニーナが
言ってたことがわかった」と話してくれました。

ルッキズムに悩む高校時代

友達いわく、高校生の時に私は
「今世界でどんなことが起こってるか知ってる?!」
と環境問題や社会のことを話していたそうです。
(そんなことを話していた記憶はありませんが)

その友達とのことで印象的なのは、人間関係のことや
生きることについてよく話をしていたことです。
(その時から「哲学」的なことが好きだったのかも)

その友達との会話から、 
色々なことを思い出しました。
その中で、当時の私たちはルッキズムや
社会にある価値観によって
苦しめられていたことを再認識しました。

高校生のときの悩み3つ

当時の私は、見た目の部分で、
主にこの3つで悩んでいました。
「はれぼったい一重」
「脚が太いこと」
「胸が大きいこと」

そして、その友達とよく話をしていたのは
体毛のこと。
(「〇〇の腕毛が生えていた」といったような 
会話を男子生徒が話しているのを
聞いてしまったこともあります。)

私が特に悩んでいたことは、
一重そして自分の顔でした。
笑うと目が細くなってしまうし、
腫れぼったくて、浮腫みやすく、
少しでも寝不足だったりすると
虫に刺されたのかっていうくらい
腫れてしまうのが嫌でした。

当時(今もだと思うけど)、
「二重の方が可愛い」というのが
友達そして社会の中で共通認識でした。
周りの一重の友達はほとんどアイプチをしていて、
私もアイプチに陰ながら挑戦しましたが、
瞼が分厚すぎて、
全くアイプチが役に立ちませんでした(笑)

今振り返ると正直、
一重に関しては本気で悩んでいなかったような
気もします。でも一つ確実にいえるのは、
「自分の顔が好きではなかった」ということ。

それがゆえに、自分には魅力はない、
「彼氏」もできない、
私は一生、誰かに好きになってもらうことは
ないんだろうなと本気で思っていました。

高校生の時、帰りの電車の中でそういうことを
考え始めて、泣きそうになったことを
今でも鮮明に覚えています。

今、自分の顔について思うこと

20代になり、大学も卒業し、
たくさんの価値観の人々と出会い、
色々な概念や考え方と出会った今の私は、
考え方が変わりました。

そんな今でも、毎日毎日、
自分の顔が好きなわけではなりませんが、
このままの私で「OK」と心から思えています。

出会ってきた人の中で、
私の顔を好きだといってくれる人が
家族以外でいたことも大きく
影響していると思います。

私は変わったけど、
社会はまだ変わっていない

高校生の時よりも、電車の広告で見かける、
広告類は増え、
「脱毛」以外に「プチ整形」が一般的になり、
その類の広告も以前よりも
見かけるようになってしまいました。
脱毛やプチ整形を否定しているのではなく、
その方が「良い」「美しい」とされていることが
おかしいと思っています。

高校生の時の私は、脱毛をしたかったわけでもなく、
二重になりたいと思ってはいませんでした。
ただ、周り、そして社会的に 
そうしたほうが可愛くて良いからという
雰囲気を感じ取って、そうしたいと
後天的に思っていました。

なぜ、私のままではいけないのか?
という疑問が拭えなかったです。
十人十色でいいのではないかと。
(小学生の時はそう教えられてきたのに、、、!)

ユニークな私の「顔」

今でもたまに、鏡で自分の顔を見るときに、
納得(?)できないときもあります。
思ってたより、スッキリしていないなとか、
もう少し顔小さくなかったかなとか。
でも、ずっと見ていると、
自分の顔はユニークで愛おしいと思えてきます。

まだまだ、日本社会での「可愛い」 
「綺麗」という人たちの
概念は変わっていないようですが、
それでも、私のように感じる個人が
増えていけば、少しずつでも
変わっていくのではないかなと思っています。
(社会構造を変えないといけないのかも?)

早く多くの人が社会からの
プレッシャーに解放されて、
「ありのままでいい」となってほしいと
思っていますし、そのため個人の変化だけではなく、
社会全体として、取り組んでいきたいですよね。



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