見出し画像

命のつなぎ方

昨秋、小さな庭に、小さな大惨事が起きた。
それは干ばつ。もとい、水やり不足による水不足である。

仕事と家事育児に追われて、庭に出る暇が無い。2週間以上好天が続いたはずだ。ようやく庭に出る時間を見つけて急いで鉢植えたちを見て回ると、どれもこれも干からびているように見えた。

地植えの草木は、炎天の乾燥続きであっても、地下深くを流れているであろう地下水のおかげで命脈を保っている。ところが、鉢植えの植物たちは、地下の水分とは無縁。ブルーベリー、藤、スダチ、芍薬、イチジク、金柑、月桂樹など、葉は全て萎れ、あるいはたくさんの葉を落とし、枝先まで黄変し、無残な姿であった。

すまない、お前たち。さぞ辛かっただろう。

心の中で何度も詫びた。

もう二度と芽吹くことはないと思われたが、処分するには名残惜しい。冬の間、庭に出ては、干からびた鉢植えの植物たちにも水を遣った。蘇生することを期待しながら、どうにも命の気配が感じられない枝だけを選んで剪定した。切り落とした枝の切り口を見つめて、命の気配を見つけようとした。もし新梢が出てくるならこのあたりだろうか、と何度も何度も枝の付け根を見つめた。

そして、春がやってきた。

あまり大きく育ったら困るな、と思って一回り小さめの鉢に植えた月桂樹だけは完全に息絶えていたが、それ以外の鉢植えたちは、息を吹き返した。魔法のような春だ。

私たちは、水がなければ生きていけない。それは、動物も植物も同じだ。鉢植えの植物たちは、水が得られなくなった時、自ら葉を落として生き残った。葉は、翌春、生え替わる。根を張り、移動しない生き方を選択した植物たちは、そこで耐え忍ぶ能力を獲得している、という言い方もできそうだ。

では、私たち生物は、人間はどうだろうか。災厄が生じれば、新たな環境を探して移動する力を発揮するのだろうか。あるいは、何かを切り落として難局を乗り切り、時機を待つのだろうか。

どうしたらいいか、植物たちが教えてくれるわけではない。ただただ、自分の頭で考えて行動するしかないのだ。それが、人間という生き物の命のつなぎ方なのだろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?