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どこまでが人間らしさ?

ある授業で、マイナンバーやインボイス、スマホや顔認証、あるいは体内埋め込み型電子チップなど、個人の存在や活動を正確に捕捉する技術や仕組みが進むことと、AIの進化が進むことで、さらにどんな社会的な変化が生まれていくだろうかということを話し合った。その中で、「人間が、人間らしくなくなってしまう」という声が出てきた。

とても優れた感性だと思ったので、「ならば、どこまでが人間らしくて、どこまでが人間らしくないのか、何か基準のようなものはあるのだろうか」と問い返した。

例えば買い物をするという、何気ない当たり前の行為がある。例えば、昔ながらの市場や商店街では、値引き交渉や商品の吟味、調理法のアドバイスから、しまいにはご近所の噂話まで、肉感的なコミュニケーションを伴う営みがあった。それらは、今も絶滅したわけではない。

一方で、自分が子どもの頃から慣れ親しんだスーパーマーケット方式、あるいは自動販売機などは、現金があれば黙っていても商品が買える仕組みがある。自分のように内向的な人間に優しい仕組みだ。最近では、無人レジやネットショップも増えた。コロナ禍が加速させたのだろうが、飲食店でも注文は卓上のタブレットから行い、支払いも無人レジで「ピ」して終わるお店も増えた。在宅勤務ならいざしらず、外出先でも、誰ともしゃべらずに、買い物をして、ご飯を食べることができる時代だ。「人間臭い」ことが「人間らしさ」なのだとしたら、私たちはすでに、かなり「人間臭くない世界」を生きている。

人との接触が減れば、出会いも少なくなる。もし、交際相手を見つけたいと思ったら、マッチングアプリを利用する方法も一般的になりつつある。条件を入れれば、条件に合った相性の良さそうな相手をAIが見つけて提案してくれる。提案を受け入れるかどうかは本人次第だけれども、「出会う相手を見つける過程」に人間らしさが要求されるのだろうか。

こうした技術は、既に多くの場面で活用されている。進学、恋愛、就職、結婚、転職、育児など、ライフステージに関わることも、勉強や趣味道楽、食生活、買い物、健康保持、その日目にするSNSの情報や動画など、既にいずれもAIがそれっぽい提案してくれる時代が到来しつつある。生身の人間は、AIの提案に従って端末を操作して、最後に「OK」ボタンを押して、AIの指示に従うか、あるいは、そっと目を背けるか。。

どこに「人間らしさ」を見いだすのかは、自由だ。

ただし、「自分で決めた」ことのように思えて、実はそのような選択をするように仕向けられ、誘導されていることもたくさんある。自分に影響を与えるのが、家族なのか、会社の上司なのか、先生なのか。あるいは文化や歴史なのか。それともCMなのか、インフルエンサーなのか、あるいはAIやプログラミングされたアルゴリズムなのか。

ここまで考えてくると、「人間らしさ」と「私らしさ」の境界が揺らいでくる。「人間らしくない」けれど、差異化された「私らしい」生き方があるかもしれない。「人間らしい」けれども、ちっとも「私らしくない」生き方もたくさんあるような気がする。

授業では、何が「人間らしさ」の基準なのかは、結局よく分からなかったけれども、これからは、そんなことを考えながら生きていくことができる人間を育てなければいけない時代なのかな、と思った。

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