他者からの評価と、自己肯定

実習生の、道徳の授業(小2)を見た。

自分のよいところに気づくことができる、という本時の目標が設定されていたその授業は、飛べないペンギンの話から始まる。

周りのみんなが飛べるのに、自分だけ飛べない。自己肯定感はダダ下がり。そんなとき、ダチョウが叫んだ。「僕も飛べないけど、走るのは早いよ!」その一言で、ペンギンも気づいた。「僕は飛べないけど、泳ぐのは得意だ!」。ペンギンは大きな声で叫んだ。

そんな教材をふまえつつ、自分のよいところを他の人に言ってもらう「褒め合いの活動」の実践に展開する。日頃から、帰りの会で「今日のキラキラさん」として、互いに褒める活動に取り組んでいるので、慣れた雰囲気で、隣の席の子のよいところを伝えることができた。

授業後、子どもたちは、「褒められると嬉しい」「他の人のいいところを見つけてあげたい」と、振り返りを述べて授業はおしまい。子どもたちの感想は、とても素直なものだと思う。授業としても、実習生としては、十分評価できる内容だったと思う。

しかし、本時の目標が達成できたのかどうかは、改めて考えてみる必要がありそうだ。

昨今、自己肯定感を高めることが、国家レベルでの課題となっている(ような気がする)。自己肯定感を高める手立てについては、教員採用試験で質問される頻度が異様に高い質問の1つになっている。国の方針というより、現場レベルで、子どもたちの自己肯定感を高めることの重要性が猛烈に認識されている、ということの証拠なのだと受け止めている。

褒め合いの活動は定番中の定番だけれど、他者から褒められることと、自分で自分のよいところを見つけて、自分で自分を認め、褒めることができるかどうかは、ちょっと違う。

他者から褒められなければ自分を認めることができない・・・というのは、よろしくない。きっかけは他の人から褒められて気づく、ということでもよい。でも、次に、自分で自分のいいところを認めるという新たなステップが必要なのだ。

件の実習生の授業は、他者評価を内面化しながら、揺らがない自己承認、自己肯定への展開をめざす・・・というステップが最後にあれば、当初の目標にさらに近づくことができたのかな、という気がした。

ちなみに、冒頭の教材において、私が最も関心を持ったのは、最初に自己肯定感高く、誇りを持って「僕は飛べないけど、走るのは早いよ!」と叫んだダチョウだ。彼は、どうして、飛べない自己を否定せずに、自分のよいところを自分で認めることができたのだろうか。実に興味深い。

それから、ペンギンの内面は細かく描かれていないけれど、「あ、飛べない仲間がいたぞ・・・。安心安心。」という卑屈な連帯感の上に、「自分も飛べないけど、自分は泳げる!」という承認欲求を爆発させたのだろうか・・・と穿った見方をしてしまった。道徳の授業は、国語の授業とは違うので、そういう推測は本筋ではないけれど、あれこれ妄想するのは楽しい。

道徳の授業は、難しいけど、面白い。


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