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あやうく小さくまとまって生きるところだった

今年もiitoco!!のアドベントカレンダーに参加して、今日までの振り返りをしたいと思います。

自分の誕生日付近が月の初め頃ということもあり、その付近はアドベントカレンダーも埋まりにくいのですが、今年はBIRTHDAY当日→翌日→翌々日・・・と空いてるのをいいことに予定をずらしにずらして、今日ようやっと書いてます。

先日40歳という、節目の年を迎えました。
私的に40歳は、人生の折り返し地点だと感じてます。

資料:厚生労働省「令和4年簡易生命表」より

平均寿命的にはもう少し先ですが、自分が何歳までならやりたい事を自分の意思でやり続けられそうかと考えた時、80歳までならやれるかも・・・と、自分の祖母を見てて思ってました。

35歳でお茶の先生になる資格を取得して、家族の誰にも文句を言われないよう家の事もこなしつつ、自分の欲しい物は自分で手に入れてきた祖母。
還暦前に祖父と二人で車泊で日本一周旅行を決行し、60歳を過ぎてから海外旅行に行きまくり、65歳以降に老人ホームで働きはじめ、自分より年下のお世話をコロナ前まで手伝い続け、70歳を過ぎても赤い車で東は群馬、西は福岡まで孫に会いに行ってた祖母。

今まで何度か「元気の秘訣は?」と、尋ねた事があります。
答えは「人と同じ事はやりたくないから、新しい挑戦をやる事だね!」とか、「自分と同い年の人と付き合うより、ずっと若い人と付き合う事だね!」とか、「やりたくない事はやらない、楽しい事しかしたくないね!」とか、「海外旅行は最高だね!初めて知ることがまだまだあって刺激的。」とか、「自分の仕事を小さくてもやり続ける事だね!ご縁はまだまだ広がるね。」とかとか。
実際80歳くらいまで、本当にいろんな事に挑戦して、まだまだやれるぜ〜一生現役!的なオーラを醸し出してました。
現在は90歳を超え、人に迷惑をかけないよう自分の体調を気遣って暮らしてますが、先日も電話で「散歩の途中で、小学生の友だちと公園でサッカーをしてきた」と話してました。

そんな自分のやりたいことや意思がはっきりあった祖母のように、とりあえず80歳まで活き活きしてたい!と思い、40歳を折り返しとして意識してました。
「気づいたら、こんな年になってた」という誕生日はこれまでもあったけど、なんとなく40歳は「あぁ、きたなぁ」と待ち構えてた気持ちです。

そうして40歳になった12月4日。
誕生日が休みだったこともあって、寒鰤を食べに氷見に旅行に来てました。

前日は、曇り、雨、霰、雷、晴れを繰り返し、目まぐるしく変わる不安定な天気だったのですが、翌朝は立山連峰がきれいに見える幸先の良い1日となりました。
宿のオーナーさんにも、「景色の良さを謳ってる氷見だけど、実際に立山連峰がこんなキレイに見える日は年間40日くらいしかない。
今日みたいな快晴も久しぶりなので、超ラッキーですよ!!」と太鼓判を押されました。
前日ちょっとモヤモヤした気持ちがあったのですが、それを吹っ飛ばす気持ちよさで朝からホクホクした気持ちに一遍。

気持ちの良い天気。
体が温まる優しい朝食。
宿の人たちとの和やかな会話。
きれいな海と山々の景色。
美味しい海の幸たっぷりの昼食。
そして、自分のやりたい事を仕事にしている人たちを巡り、帰ってきました。

折り返しを意識すると無視できない、40回というリアルな数字。
季節が巡る回数です。
自分があと40回巡る季節を、どんな風に過ごしたいか。
いろいろ触れられた充実した旅だったけど、楽しいだけじゃなかった。
大きく舵をきって、新しい方向へ向かいたい。
そんな事をリアルに考えてました。

これまでを振り返ると、今までは目先の感情、衝動、出来事、出会う人や場所の影響に、思うがままに突き動かされて過ごしてきました。
そうしていたら、自分の中で摂取するばかりで積み重ねているものがないように感じて、自分の感情は一旦置いておいて、ただただ自分の歩む道の足元にある物事や現象を見つめて、考えて、行動するようになりました。
特に30歳を過ぎてからのこの10年は、より小さな事に向き合って、見落としのないよう注意深く、時間をかけて、そこそこ一生懸命考えてた気がします。

それを生きづらそうに感じた人もいて、いろいろと手を差し伸べてくれましたが、自分では正面から向き合って、考える事に没頭し、結論を手繰り寄せていく時間がとても有意義だと感じていました。
小さな気づきが、とても大きな物事を知るチャンスに思えてならなかったです。
実際に、消費社会で生きる以外の豊かな生き方に、自分の暮らしを変えていける自信につながりました。

そうして、自分が思った事や感じた事を正確に丁寧に言葉にすると、より一層相手に伝わるような経験が増えました。
自分の考えだけでなく、周りの気持ちも大事にしたいし、できれば上手に事を進めたいし、手応えのあるような確かな感覚を掴みながら、対話を重ねていけたらいいんじゃないかって思ってました。

この数年、心地良い暮らしを意識して、できるだけ考えを集約したくて、小さく小さく折り紙を折るように、きれいにピントを合わせるように、考えを研ぎ澄まそうとしていました。
それはそれで、とても充実した大切な時間でしたが、少しずつ自分の限界も感じ、だんだんと考えがまとまらず、言葉にしきれず、行動にも移せなくなってきていました。

30歳を過ぎて、シンプルにクリアに生きたいと思って、そのために思考を深めてきたはずなのに、気づけば深く潜ることが大事になり、そうじゃないと伝えられない気がして、なんだか一生懸命向き合う時間だけが増え、どんどん複雑化している気が・・・。

このまま際限なく考えてたら、そのうち周りのことが見えなくなってたり、自分の考えに偏り過ぎてエゴの押し付けみたいになったりしていって、「自分が正しい!だって、こんなに考えているんだから」って自分で自分を守り、小さくまとまってケチつけて、なんだかすっごいつまらない奴になって余生を過ごすかもしれない。

あと40回しか春はこないのに、つまんない奴で花見したくない!
あと40回しか寒鰤食べれないのに、つまんない感想とか言いたくない!
あと40回しか冬は来ないのに、つまんない文句で無駄にしたくない!
考えてるばっかで動けないまま、どんどんグズになって、この先80歳まで活き活き生きれる気がしない!

あかん、大きく舵を切らねば。
新しい事をはじめよう。
やってみたかった事に挑戦しよう。
小さくてもいいから自分の仕事を作ろう。
そうして楽しく泳いでいけたら、気づいたらハツラツとしたおばあちゃんになれてるかも・・・
と、そう感じた40歳の翌日でした。

今年はまず、祖母の言う「元気の秘訣」の実践を。
40歳、新たな門出になりますように!


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