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画像生成AIの問題を考えるポメラニアン

みんな~AIで画像作ってるポメ?僕は最近は画像生成AIを触るようにしているポメね。

AIでイラストを描いてる人たちが最近はよく話題になって、またその著作権的な問題なんかもよく議論が起きてるポメね。

ただこの議論のほとんどが感情的なものや、創作活動の経験有無で意見を分断するようなものが多くあり余り上手くいっていないようにも思うポメ。

僕は絵を20年ぐらいは描いていたし、一応専門的な知識をもっていたりもするので創作活動をしていた人としてこの問題について少し書いていきたいと思うポメ。


オリジナリティとはなんなのか?


オリジナルと創造

創作活動をしていると、「オリジナリティがある」なんて評価をしている人をよく見るポメ。AIで生成されたイラストなんかも「オリジナリティがない」なんて言葉で揶揄されることを多々見るポメね。

ただこのオリジナリティという言葉は意味に幅があり、人によってニュアンスが違ったりする事があると思うポメ。

そこで今回は最初にこのオリジナリティという言葉の意味を考えていきたいと思うポメ


オリジナリティは日本では独創的という風に翻訳されたりすることが多いポメ。

そこで独創の意味を調べると

「模倣によらないで、自分の考えや着想でこれまでにないものをつくり出すこと」

精選版 日本国語大辞典

と出てくるポメ。

この意味から何かを創造すること=オリジナリティという考えを持っている人は多いと思うポメ。そのため「オリジナリティがある」という誉め言葉は、「誰も見たことがない、斬新な新しいものを創造した」という意味で使ってる人が多くいると感じるポメね。

ここで次に考えてほしいのは創造という言葉の意味ポメ。なにげなく使うこの言葉だけれど2つの意味があると思うポメ

  1. 無から有を作り出すこと。

  2. 既存のモノ組み合わせて、何か新しい価値を生み出すこと。

日本では意味についてあまり大きく語られることはなく、主に新しいもの作る事は全て創造という事でまとめられているポメ。

対して英語圏では創造についてかなり複雑な議論がされてきているポメ。興味があれば英語のwikiなんかを見てみると面白いポメ。議論の中心として英語圏では宗教における神が出てくるポメね。

そこで次は神の創造と芸術の創造について考えていきたいと思うポメ。

キリスト教では神を創造神(Creator deity)という風に言うことがあるポメ。ほかの宗教でも宇宙を創ったり、日本でも地面を作った神様とかもいて無から有を産み出すものが世界的に創造神とされる事は多いポメね。

科学的に言えば、世界の始まりはビッグバンだけれど、これは勿論人間が起こしたことではないポメね。

創造神やビッグバンが無から有を産み出したように、人は無から何かを創り出すことは実はできないポメ。

「そんなことはない、人は芸術で素晴らしい創造物を産み出している」という人もいると思うので芸術の語源について考えていくポメ

芸術の世界ではアートという言葉をよく使って、創作活動全般を指したりすることがよくあるポメ。古代ギリシャでは現代の絵画や彫刻などの創作活動のことをテクネーという言葉で表していたポメ。

しかしこのテクネーは今と違ってあまりいい意味では使われておらず、かの有名なプラトンは「模倣技術」という意味で使っていたポメ。

哲学者プラトンの『ゴルギアス』によれば、テクネーは単なる経験から区別されて、対象の本来的性質についての理論的知識(ロゴスlógos)をもつ働きを意味していた。さらに彼は『ソピステス』において、この人間の理性的活動一般としてのテクネーを、諸技術と芸術とに分類し、後者をとくに「模倣技術」とよんだ。これは、ある実在的な事物を模倣すること(ミメーシスmímēsis)によって非実在的な模像を制作する活動であり、この模倣の概念は、芸術の本質規定としてアリストテレスに受け継がれている。

日本大百科全書(ニッポニカ)

今では考えれないけれど、神が創造した自然を見て何かを作る事は、現実の模倣という程度の低い行為だとしてかつては認識されていたポメね。

人間は新しい元素をみつけたり、まだ見たことのない生物を深海から探し出したり、木を利用して火を起したりすることはできるポメ。でもそれはすでにある事象を見つけたり、有を組み合わせることで新たな有を産み出したりしている事に過ぎないポメね。

芸術においても、馬と女の子を合体させて走らせてるキャラクターを描いてみたり、ボクシングのグローブに絵具を付けて殴ったりしたり、或いは動物をごちゃまぜにしたものを宇宙人として映画に登場させたりしているポメ。このような、〇+△=◇のような斬新な組み合わせやアイデアこそが芸術のオリジナリティとなっているポメね。

ここまで書いたように、創作活動においてのオリジナリティというのは幾つかのものを組み合わせて新しいものを作る事で、無から新しいものを創造する事とは違うポメ。

そのためAIで沢山のデータから何かを合成して創り出す行為は「オリジナリティがある」創作活動におけるプロセスと余り違わない事だと考えるべきポメね。

「いやいやデータ元の画風や、テクニックが学習される事が問題なんだ。」という意見も多く見受けられるので次は模写やトレース、つまり模倣は悪いことなのかを考えていきたいポメ。


模倣は問題なのか?


トレパク問題

イラストの界隈ではよくトレパクという話題が出てくるポメ。作品をトレース(写す)する事とパクリ(盗用)を合わせた言葉だけれど、オマージュや模写はセーフとか人それぞれの意見もあったりして何が問題なのかや、違いが分からない人も多いと思うポメ。


AIの技術においても、作者が許可していないもの関わらず勝手に学習に使用されたデータなんかがあって話題になっているポメ。

生成AIは他人の絵のデータを学習しているため、学習元になった絵描きの画風などが出力される絵に影響を与えるポメ。さらに個別に学習させることで特定の画風などを上乗せする技術(Lora)なども出てきたポメ。


法律では単純にAIが学習する事に関しては現状問題がないとされているけれど、個別の作家と同様の絵柄の作品が大量に投稿されたり、販売される問題があるため現在Pixivやイラスト販売プラットフォームは一旦AI作品の取り扱いを中止など慎重に動いているポメ。

模写や模倣は絵の歴史とともにあるポメ。作風を真似する事や、トレースすこと、模写された作品など色々な模倣があるポメ。色々な例を見て、模倣全般に対して何が問題なのか、またAIの学習についての今後を考えていきたいと思うポメね。


パクリと絵画の歴史

所謂古典絵画は最初期の頃は基本的に教会から依頼を受けて、聖書の指定された場面を壁画として描いたりする事が多かったポメ。画家は自分のアイデアで存在しない人物を画面に入れたり、異なる要素を加えたりすることはできなかったポメ。

そのため一つの場面に優れた構図の絵が出てくると、後世の画家が真似してることが多々あるポメ。


受胎告知 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ 1302-8年
聖女マルガリータと聖アンサヌスのいる受胎告知 シモーネ・マルティーニ 1333年
コルトーナの受胎告知 フラ・アンジェリコ 1433年
受胎告知 レオナルド・ダ・ヴィンチ 1472-75年 

4枚の絵を張ったけれど、どれも場面は同じで聖母マリアが天使から妊娠を告げられる場面ポメ。

最初期の画家ドゥッチョは左に天使を置きそれを聞いた右のマリアが驚いているという構図を作り、1333年のシモーネ・マルティーニもそれに倣い同じ構図にしながら、天使が発する言葉を天使の口から出すという表現をしてるポメ。

100年後のフラ・アンジェリコは構図と表現をそのまま使用して、さらに後世のレオナルド・ダ・ヴィンチも同じ構図、同じような天使の羽と過去の作品からの影響を受けていたことがよくわかる絵を描いているポメね。

現代ではここまで似通っていればSNSでパクリだと断罪されることもあるだろうと思うポメ。しかし、レオナルドや他の巨匠がパクリ作家だという人はいないし、作品がしっかり残っていることからしても大きな問題ではなかったことが分かるポメね。

仮にドゥッチョが自分の真似をするんじゃないと言っていたら、後世の作家の絵の構図や表現は変わっていたかもしれないポメ。しかしそれが本当に今残っている後世の作品より優れているものになっているかは分からないポメね。

トレースと絵画

構図や表現を参考にしても、他人の絵をそのまま写し描くことや写真を転写するのは駄目という意見はよく見かけるポメ。そこで今度は、転写技術を使用した絵の話をしていくポメね。

ヨーロッパの絵画を見ているとものすごくリアルな風景や建物を描いたものがあるポメね。実はこういった絵画の中にはcamera ofscuraという写真機の元祖と言われるものを使用して作られた作品が多々あるポメ。

大運河の入り口 カナレット 1730
暗室を作り、外の風景を室内に投影する技術

仕組みとしては簡単でピンホール現象を利用し暗室に開けた孔から外の風景を映し出すものポメ。そこにキャンバスを置き、風景を正確に転写することで正確な作画をすることができるポメね。

イギリスの作家ディヴィットホックニーは物理学者とともに最初期の画家、ファンエイクやフェルメール、レオナルドダヴィンチなどの巨匠たちも、光学機器の補助を使用した絵画制作を行っていたという論を発表しているポメ。


今はそんなことしてないと思われるかもしれないけれど写実絵画(スーパーリアリズム)ではプロジェクターを画面に投影したり、シンナープリントやカーボン紙をつかいキャンバスに写真を転写して制作している作家が非常に多いポメ。


日本では多くの場合こういった作品制作のプロセスは秘匿されていることが多く、どことなくトレース行為=良くない事と作り手側も思い込んでいる節はあるポメ。

天皇家の肖像画も描いている日本の巨匠、野田弘志さんなんかはドキュメンタリー映画の中でカーボン紙を使って写真を拡大転写してる姿を堂々と映しているポメね。


トレースをしてもその手法を公開し、それが作品の芸術的な価値を高めているのであれば多くの人が咎めることはないと思うポメ。

デジタル作品でのトレースなども転写行為そのものより、それを隠匿しながら発表したりする事や、「私はやっていない」という欺瞞の姿勢が鑑賞者に非難されているのではないかと僕は思うポメね。

生成AIの問題も、作り手側の後ろめたい部分がどこかにあり制作物の学習元がブラックボックスになっていることが多いポメ。

誰かに問い詰められた時にそれをオープンにしない限りは、いくらできた画像が優れていたとしても、世間の評価や大衆が受け入れる程のものにはならないのかもしれないと僕は思うポメね。

模写と贋作

トレースや構図を真似る問題について書いたけれど、それとは違って漫画のキャラや漫画の内容をそっくりそのまま描く人を見たことがある人は多いと思うポメ。

転写ではなく模写、自分の目で見てそっくり書くのは問題がないのかという事ポメ。またそっくりな作品を販売したりするのはどうなのと思っている人もいると思うポメ。そこで模写について書いていくポメね。

日本の国立西洋美術館には「ソドムを去るロトとその家族」という絵があるポメ。この絵はフランダースの犬でも有名なルーベンスの作品を購入するという事でかなり気合の入った金額で1970年代に購入された作品ポメ。

しかし購入後しばらく経つと、同じ作品がアメリカの美術館に収蔵されていて、個人で所有してる人がいることも分かったポメ。結局西洋美術館にある作品を入れると世界に4枚の同じ絵があると判明したポメね。


サラソタ リングリングミュージアムにある作品 photo copyright © 2021 Dianne L. Durante
マイアミ バス美術館にある作品
 国立西洋美術館にある作品

個人所有のものは画像が見つからなかったものの美術館保有の3点は画像があったポメ。写真の具合で多少色味は違うものの、この3点は同一構図、また同じような塗りだという事が分かると思うポメね。

国立西洋美術館はこの作品がなんなのかを調査したポメ。結果としてはサラソタにあるものがルーベンス工房の作品、マイアミの作品はその後工房で量産したもの、そして西洋美術館のは第三者の模写であったという事が分かったポメ。

第三者の模写、つまり工房とも関係がない模写は贋作の可能性があるという事になるポメ。しかし税金を使って高額な贋作をかってしまったなると何とも罰がわるいので同時代のルーベンスに画風が似た作家が描いた優れた模写であるという発表がされ今日まで展示が行われているポメね。

ここで気になるのは、プロですら見抜けない優れた模写を作るのは悪いことなのかという問題ポメ。

たまにピカソが子供の時に書いたデッサンが上手すぎるなんて画像をSNSで見て自分の子供や、自分自身は絵の才能がないんだと落ち込んでいる人がいるポメ。


しかしこの作品、実は当時の美術教本の模写ポメ。そしてこの模写の方法は各部位の位置を道具で測って完璧に写すというものポメ。もちろん11歳でこれが出来ることは凄いことではあるけれど、現代の子供でも同じような指導を受けて努力すれば充分描ける範囲の作品ポメね。


現代の漫画家やアニメーター、優れた絵を描く多くの人が子供の頃から模写をしてきたという話や、実例を出していることは多々あるポメ。

トレースを含め、優れた作品の線の引きかたや色の塗り方など真似をすることは古来から絵の上達に不可欠であったことがわかるポメね。

このように作家が、練習のために作品を模写する行為は歴史的に普通の作業であり、問題がない事が分かると思うポメ。


では問題になる贋作とは何なのかというと、マーケットに乗せるために作者を騙り模写を制作する事や、スタイルを真似た作品を制作して未発表作品とが出てきたとして売買することポメ。

実をいうと前者の模写の売却の問題よりも、後者の「新作の贋作」というのがアートマーケットではよく問題になるポメ

模写作品というのは上記で出たルーベンスの様に、同じ作品がどこかにあるため年代測定などで本物を見分けることが容易ポメ。海外旅行中にモナリザの模写が安価で売っていてもそれを本物だと思う人はいないポメね。

しかし新作の贋作、つまりスタイルを真似た作品は見分けがつきにくいポメ。何故なら今までにあった作品に似た作風であれば、自分たちが知らないだけで何処かに埋もれていた作品が新しく出てきたのかもしれないという事になるからポメ。

この手法でフェルメールの贋作でナチスを騙した人や、日本に印象派といって自分の絵を送り続けていた人老舗ギャラリーと組んで作家家族すらだました人もいたポメ。そのどれもが模写ではなくスタイルを真似て偽る贋作だったポメね。

模写をすることは問題がないけれど、模倣した絵を売る事や買い手をつけるために作者を騙る行為は駄目というのが分かったと思ったポメ。

AIでの特定の絵柄を学習したデータを公開したりする行為は今の所処罰されるようなことはないポメ。ただそれを販売したり、商用的な目的で使用する事は今後問題になってくる可能性はあるポメ。

このサービスもネットの反感を非常に買い数日で頓挫したポメ。まだ違法でなくても今後のルールや、権利者との関係を考える取り組みをしないと日本ではビジネスとしてAIを利用していくのはまだまだ難しいかなと思うポメね。

二次創作はセーフ?


贋作は良くないのは分かったけれど、キャラクターを真似てストーリーを作ったりする二次創作は何故捕まらないのかという疑問がある人もいると思うポメ。

日本では同人誌なんかの二次創作文化が非常に盛んポメ。こういった作品は二次的著作物と言われ、原作者に許諾を得て制作するとがルールになっているポメ。そして日本の場合多くの原作側がファンアートなどの二次創作に対しては黙認しているというのが現状ポメ。


しかし最近では二次創作に対するガイドラインを設ける作品も増えてきておりファンだから何でもやっていいという状況ではなくなってきているポメ。

ただし作風や、画風などの類似性は著作権に今のところ含められていないポメ。例えばジョジョの奇妙な冒険風のタッチでオリジナルのサッカー漫画を描くことは問題が無かったりするという事だと思うポメ。

しかし、創作物を販売したりする行為は権利者の判断によっては逮捕もあるので個人でグッズを作って家で楽しむ以上のことをするのは権利者に要確認ポメね。


AIの画像生成においても著作権侵害の対象になるという発表が出たポメ。ただ僕は法律家ではないし、詳しいガイドラインが出るまでは何がセーフで何がダメというのは答えれないポメ。

二次創作やAIで画像を作る場合でも大事なのは自分勝手な解釈をせず、ルールに則り作品を制作するという事ポメ。身勝手に振舞えばそれだけ大きな反感や不快感を生んでしまうし、せっかくの技術が台無しポメね。



まとめ

ここまで長々といろいろな模倣の話を書いてきたけれど、みんなはそれを踏まえて画像生成AIが作る絵をどう思うポメかな?

僕は個人的な学習や使用のための画像生成AIは問題がないと思うポメ。というのは今までの絵の歴史の中で学習して制作をするというのは上達への道として誰もが通ってきたことポメ。

機械がそれを高速でするのはいけないというのは不条理だと思うし、どこかで有効活用できる未来を阻んでしまうと思うポメ。

ただ、生成した絵の販売や、無断で学習したデータを原作者の許可を得ず販売するなどの行為はたとえ適法だとしても余りいいこととは思えないポメ。

ただAI対イラストレーターのような対立構造を作り、分断するのもよくないんじゃないかと思うポメ。新しい画材が出たら試すように、今回のAIも使い方次第では作家側の強みになるのではないかとも思うポメ。

そのことを踏まえて最後はAIでのマネタイズについて考えていくポメね。


絵のマネタイズ

そもそも市場が小さいぞ

生成AIがでてからpixivなどの画像投稿サイトを使用してファンを付けたり、SNSで人気になった人たちがいたと思うポメ。しかし生成AIで数十万円儲かりましたとかはあるにしろ、1億円とかそういう景気のいい話はあまり聞いてないと思うポメね。

これは何故かというと、そもそもにおいて絵の市場はとても小さいからポメ。数年前からサービスが始まり今や業界最大手のskebというイラスト売買サイトがあるけれど、2022年4月ごろの月間売上高は4.2億円だったポメ。

fanboxなどのほかのイラスト売買サービスを合わせても、年間数千億円の漫画市場などに比べると一枚絵の売買というのがとても小さいマーケットだというのが分かると思うポメ。

読んでくれている人の中でもプロのイラストレーターに絵を依頼した事がある人はごく少数と思うし、現物のアートを買ってるなんて人もあまり見たことがない人が多いと思うポメね。

僕もイラストレーターさんと友達だけれど、アルバイトをやめて絵単体の仕事で暮らせるようになったのはフォロワーが10万人を超えたあたりだったポメ。そこまで来てもようやく一般的な会社員とかの給与に並ぶ程度の世界ポメね。

それだけ買い手が少なく、市場の拡大が難しいジャンルなんだと思うポメ。

アニメなんかでも給料がほとんどもらえないというのはたびたび話題になっているポメ。
イラストレーターやアニメーターのような一流の絵描きでも、それをお金に換えるのはとても難しいということを知ってほしいポメね。

生成AIでちょっと上手な絵を生産できるようになったとしても、単純に売るだけでは元の買い手がとても少ないせいであまり儲からないと思うポメ。

また生成AIのせいで絵が売れなくなった人もいると思うポメ。これもやはりマーケットが狭い以上、自分より上手なAI絵が出てしまうと競合になり客の奪い合いが発生していると推察するポメ。

僕はこの状況がしばらくは続き、たとえAIで作った画像販売が違法ということになってもマーケットが縮小するのではないかと思っているポメ。

禁止にしてもジリ貧

多くの批判もあるのでAI生成作品はほとんどのプラットフォームで販売が停止されているポメ。法的な解釈はまだでていないけれど、生成物の販売だけが禁止されてもおそらく問題は解決しないと思うポメ

著作権的に学習したものを販売するのはダメということになっても、おそらく学習することは先ほど書いたように禁止できないと思うポメ。(もしそれもダメになったら画像生成は終焉ポメ)

この場合販売や購入をしなくてもユーザーは画像を創るという選択肢ができるポメ。この創るという行為に大量のコストがかかるならともかく、現実はかなりの低コストでできてしまうポメ。特に絵の購入なんかをしていた人からすれば破格ポメ。

また、AIで画像を作るのは正直あんまり難しくもないポメ。道具さえあればほとんどの人がすぐできるようになる程度の難易度ポメね。

今までは絵を描けないから買っていた人たちが、新たな手段をみつけた場合、必ずしも購入を続けてくれるとは限らないポメ。

このブログが本当かはしらないけれど、今後はこういう人が増えてくる可能性が多いと思うポメ。


また企業などのクライアントも簡易な依頼であれば、自社のデータを使用してアルバイトに出力させれば今まで必要だったイラストレーターは不要になるポメ。

AIに仕事を奪われるという事はよく言われるけれど、意外にも創作活動においてその危機が大きくなってきたポメ。

今までそのために勉強してきた人や努力してきた人はとてもつらいと思うけれど、ほかの業種も含めて今まであったビジネスが変わっていくということは止めれないと思うポメ。

どうやって稼ぐ

AI絵師も企業からの依頼もなくなり、買い手もAIで画像を作るようになってしまえば利益はどんどん減っていくというのは分かってもらえたと思うポメ。

もし何かしらの絵の技術がある人であれば、早めに自分自身のモデルを作り自分の製作ペースを上げることや、今までなかった表現にチャレンジするなんかの道具としてAIを使う事を勧めるポメ。

AIで生成したデータに最終的にOKを出し、公開するのはまだ人間の仕事ポメ。ただ生成してるだけの人に対して、絵のレタッチなど創作活動をしてきた人なりのアドバンテージはまだ存在していると思うポメ。

僕はアナログ派なので自分のLoraを作ってお客さんにAI出力で完成予定品を先に渡してあげるというのを考えているポメ。そうすれば買い手のイメージとの差は縮まりクオリティの担保になるとも思うポメ。

必ずこれは儲かるという事やアイデアを僕は言えないけれど、文句を言ってても利益は出ないポメ。共存していく道を考え、自分なりの強みと答えを見つけていくのは金稼ぎの王道ポメ。

まだまだ批判が多いAIだけれど、色々な人に新たな可能性として触ってみてほしいポメね。


ここまで読んでくれてありがとうポメ。次はもうちょい軽い内容のものを書きたいポメね~






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