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"であるべき"という決めつけ(固定化)の功罪
世の中はたくさんの
「べきだ。」
で溢れている。
安定した職につくべきだ
結婚して家庭を持つべきだ
小学校のテストでは高得点を取るべきだ
健康であるべきだ
それぞれの背景に基づいて、
べきだ/べきでないが
構築されていく
この「べきだ。」という
固定化の功罪を考えてみたい。
![](https://assets.st-note.com/img/1683370648009-E6O1WWdemk.png?width=1200)
【功】
・秩序の維持
進む方向性を定め、ある方向に進みやすくさせてくれる
・効率性
個別具体的な目標を達成させる時において有用
・予測可能性
良いものであるらしさを判断しやすい
【罪】
・多様性の希薄化
大勢が同じ方向に向かい個性が希薄になっていく
・差別や偏見
べきでない方は悪いものだとされがち
・柔軟性の喪失
これは絶対であると信じてしまいがち
ちょうど今日
ある本を読んでいて
自分もすごく固定化されていたんだな〜
と言う体験をした。
今まで記憶力は
向上させられればさせるほど
良いに決まっている(そうあるべきだ)と
思っていた。
そんな固定化をほぐしてくれたのが
この本「忘却の整理学」でした。
印象的だった一文を取り上げてみる。
”(記憶の)取捨の判断は ーー 極めて個人的、個性的で、忘れ方は人によってみな違う。知識の記憶はそういう個性化作用を受けないから、完全な記憶は没個性的である。 ーー 知識の記憶のみによって、個性を育むことはできない。 ーー 没個性的な知識を習得することを通じて個性が生まれるのは、つまり忘却の作用によるのである”
言われてみれば、もし与えられた全ての情報を
完璧に記憶ができたとしたら?・・・
それってもはやスーパーコンピューターではないか?
この忘れる行為こそ
AIにはできず
人間にしかできない
大切な営みの1つなのではないか?
そうやって人の個性が出来上がっていくという
側面があるのかー!
そんなこと考えさせられた。
![](https://assets.st-note.com/img/1683370222018-PQl5RZcRho.png?width=1200)
話を戻す。
大切なのは
固定化の功罪を理解し
柔軟にバランスをとることだ。
現実的な問題として
明日の仕事で必要なことだったり
忘れることが許されない状況もある。
両極端に走らず
功罪の意義を探求し
自分なりのバランスを見つけることで、
新たな道や可能性を切り開くことができるのではないか?
そうした柔軟性を持ち続けることこそ、
固定化の縛りを抜け出して
創造的な生き方へ繋がる鍵となるのではないか?
![](https://assets.st-note.com/img/1683371435390-5Xe15m7i5S.png?width=1200)
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