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"であるべき"という決めつけ(固定化)の功罪

世の中はたくさんの
「べきだ。」
で溢れている。

安定した職につくべきだ
結婚して家庭を持つべきだ
小学校のテストでは高得点を取るべきだ
健康であるべきだ

それぞれの背景に基づいて、
べきだ/べきでないが
構築されていく

この「べきだ。」という
固定化の功罪を考えてみたい。

【功】
・秩序の維持
進む方向性を定め、ある方向に進みやすくさせてくれる
・効率性
個別具体的な目標を達成させる時において有用
・予測可能性
良いものであるらしさを判断しやすい

【罪】
・多様性の希薄化
大勢が同じ方向に向かい個性が希薄になっていく
・差別や偏見
べきでない方は悪いものだとされがち
・柔軟性の喪失
これは絶対であると信じてしまいがち



ちょうど今日
ある本を読んでいて
自分もすごく固定化されていたんだな〜
と言う体験をした。

今まで記憶力は
向上させられればさせるほど
良いに決まっている(そうあるべきだ)と
思っていた。

そんな固定化をほぐしてくれたのが

この本「忘却の整理学」でした。


印象的だった一文を取り上げてみる。

”(記憶の)取捨の判断は ーー 極めて個人的、個性的で、忘れ方は人によってみな違う。知識の記憶はそういう個性化作用を受けないから、完全な記憶は没個性的である。 ーー 知識の記憶のみによって、個性を育むことはできない。 ーー 没個性的な知識を習得することを通じて個性が生まれるのは、つまり忘却の作用によるのである”

言われてみれば、もし与えられた全ての情報を
完璧に記憶ができたとしたら?・・・
それってもはやスーパーコンピューターではないか?

この忘れる行為こそ
AIにはできず
人間にしかできない
大切な営みの1つなのではないか?

そうやって人の個性が出来上がっていくという
側面があるのかー!

そんなこと考えさせられた。


話を戻す。

大切なのは
固定化の功罪を理解し
柔軟にバランスをとることだ。

現実的な問題として
明日の仕事で必要なことだったり
忘れることが許されない状況もある。

両極端に走らず
功罪の意義を探求し
自分なりのバランスを見つけることで、
新たな道や可能性を切り開くことができるのではないか?

そうした柔軟性を持ち続けることこそ、
固定化の縛りを抜け出して
創造的な生き方へ繋がる鍵となるのではないか?






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