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たのしみに待つって、うれしいこと。

妙にプリンを食べたい気持ちが続いていた。昔ながらの、しっかりたまご感のあるプリンがいい。5月最後の週末、飯島奈美さん『LIFE』の「おうちのプリン」を作って食べた。

プリンって、火入れの加減が難しいと思っていて、上手くできた!という手応えを得るのが難しい、ハードルの高いお菓子だった。好きだからこそ、理想のプリン像が邪魔をするのだろうか。
でも『LIFE』ならきっと・・!レシピの通りに作れば、きっと必ずおいしい!というのが、『LIFE』のいいところだ。『LIFE』をはじめ、「まずはレシピ通りに作ってみてください」と添えられているレシピは、格好いいなと思っている。

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蒸しあがったプリンを網に並べて眺めながら、冷めるのを待つ。合計6個分の卵黄を使っただけあって、しっかりあざやかで、やさしいたまご色。
真ん中まで火が通っているかな。鬆は入っていないかな。肝心の味は、美味しくできているだろうか・・。ワクワクドキドキしながら、たのしみに待つ昼下がり。
ふと、楽しみに待つって、うれしいことだなあ、と思った。もうすぐ来る、おいしい体験。しあわせなおやつの時間。そんな明るい未来を信じて待つのは、なかなかいい気持ちだった。

と同時に、そんなに期待しないほうがいいかもよ、と悪魔が囁いてくる。そうだった。期待しすぎるとがっかりするのを忘れてた・・と、たのしみな気持ちを全部もっていかれそうになる。走馬灯のように、期待してがっかりした過去の記憶が蘇る。あざやかに映っていたたまご色も、ちょっとくすんで見えてくるじゃないか。

ワクワクとたのしみに待つのと、期待しすぎないようにセーブして待つこと。同じ「待つ」でも、心持ちはぜんぜん違う。「期待」と「希望」なのだろうか。手元にある辞書を引いても、明らかな意味の違いを見つけることはできなかったけれど、わたしは「期待」ではなく「希望」をもって待ちたいと思っている。

「期待して待つ」のイメージは、何かが起こるのをただ待っている感じ。
そのまま、工夫も準備もなく受け取るから、がっかりしたり、傷ついたり。受け身でいたら、ダメージだって直接受ける。
一方「希望をもって待つ」は、能動的な心持ち。何かをのぞみ、願っている。希望が叶うように工夫をしたり、心の準備をして待っている。希望する未来と違うかたちが見えたとしても、さらに希望を重ねて、自分がよろこべる形に近づけようする。いつも新しい可能性を信じて希望を重ねていく、「希望をもって信じて待つ」という感じ。

待ちに待ったプリンは、わたしの希望通りのたまごなプリンでおいしかった。ただ、次はカラメルをもう少し苦く仕上げたい。おいしくできたからこそ、もう一歩足りないカラメルの苦味が悔しかった。ここでがっかりして、あーあ。という気持ちで終わりにすることもできる。でも、次こそおいしく仕上がることを信じてみたら、希望が重なり、次につながっていく。

せっかく待つのなら、未来の失敗に怯えたり、卑屈になったり、諦めかけたり、どんよりとした気持ちで待つよりも、しあわせな未来を信じて、たのしみな気持ちで待っていたい。たのしみに待つ時間は焦れったくもあるけれど、しあわせな時間だから。わたしの中にも、この世界の中にも、楽しくてうれしくてしあわせな時間が、一つでも増えるといい。


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