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東北新幹線は郷愁ちゃんを乗せて

福島を過ぎて、宇都宮を通る。
このあたりから陽射しが変わって、関東の空になる。
私はやっぱり東北の人間なんだなと肌で感じる二日間だった。
今回の旅は仙台まで。
行きの新幹線は生まれ故郷の盛岡行きだった。
『盛岡』の文字を見ただけで心臓がギュッとなる。どういうギュッなのかはうまく説明ができないんだけど、単純に帰りたいとかさみしいとかそれだけでなく、日常だったのに今は違う、今は遠いことに感じる違和感のような。

今暮らす場所に移り住んだ数年前は、
こんなとこに永くはいたくない、絶対に東北に帰ると心に決めていた。

しかし子供達の進学のことなどを考え、
いったんはここに腰を据える選択をした。
家族が揃って暮らすにはそれが最善だった。

私が故郷を大切に思うように、
子供達には今住んでいる場所が故郷になる。
だから同じようにこの場所も大切にしなければならない。というより、子供達にとって大切な場所を守らなければならない。
盛岡で生まれ、盛岡から青森と、息子は7年、娘は4年、東北で過ごしたからといって、私の中の執着を押しつけてはいけないし、
子供達にはこれからの時間の方が長い。そして幼い頃の記憶はどんどん薄れていっているだろう。

じゃあ子供達が巣立ったら自由に好きなところで暮らすぞと意気込んでも、
その頃私は何歳?仕事はある?家は借りれる?
巣立ったといっても実家がなかったら子供達には不便でつらい思いをさせる?実家がなくても平気な年齢っていつ?その頃私は何歳?(ループ)

、、、
さっきまで路肩に残る雪をつま先で蹴りながら歩いていたのに、目に入る景色はもう梅の花が咲き誇っている。陽射しが眩しい。始発電車に乗ったのでかろうじて混雑はしていない。

子供と私は別の人間で別の人生だから、私は私の人生のエンディングを自分で決めてもいいのだけれど、完全に切り離して物事を決めるのは勇気がいる。(大人になった子供達に、好きにしなよって言われるかもしれないけど)

けれど夢は見ずにいられない。
“肌に合う”あの場所で、また暮らすこと。


汽車はカシオペア座をぬけたよ
雲にさらわれて揺れたよ
ハロー今あなたが手をふってるよ
夜が泣いたら このうた歌うの

東北新幹線はチヒロちゃんを乗せて/銀杏BOYZ


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