わたしがどうして組織開発パートナーを目指すのか 1
4年前、私は28年勤務した企業を退職しました。
もう組織で働くことは限界だと思ったためです。
そして、ダブルワークで続けていた、着付けの仕事に軸足を移しました。
そんな私がなぜ、また組織に立ち返る気持ちになったのか?
自分の内面を探っていこうと思います。
1 分岐点だったわたしの「成果」
もしも、会社員時代の私に「成果」があるとしたら、ただ一つ。
仕入部門に在籍していた頃、ある主要取引先の仕入元帳を正しい状態にしたこと。
売上仕入システムを電子化してから20数年もの間、元帳がおかしい状態でおかれていました。
商社という性質上、仕入れ先の方に力がある場合もあります。
先方の請求書通りに支払う(自社の検収基準ではない)という条件で仕入れ価格が設定されていたのです。
そのため、仕入れ元帳上では支払いが先行している、という検収(買掛金計上)が不足している状態が続いていました。
端的にいうと、正しい原価計上がなされていない状況です。利益率に直結しますから、非常にまずいこと。
結論からいうと、正しい買掛金残高を反映させるために、その期の会計処理で雑損を計上して是正しました。
その当時、いち担当者だった私は、このことが真に何を意味するのか
ぼんやりとしか把握出来ませんでした。課長から指名されて検証作業を方法から探ったのでした。
しくみさえ理解できれば、それは誰にでもできる作業ですが、それ以後、毎月先方の売掛金元帳と自社の買掛金元帳を合わせる、という新たなチェック手順を確立しないと意味がありません。
こう書いてみると当たり前すぎることなのですが…
その時の会計処理に伴って誰かが処罰されることはありませんでしたが(数十年に及ぶ蓄積の結果ですから当然です)、
私の周辺では波紋があったことは事実です。
チェックする仕組みが確立されていないのに、個人のやり方が批判されるということは理不尽だと、今は思います。
ミスや不正を誘うような仕組みが放置されていたことこそ、追及されるべき事項です。
そしてなによりも、人はどうしてそのような、結果として組織に不利益を与えるような行動をとってしまうのか? 誰にでもそんな状況に陥ることがあります。
私自身も経理部門に異動したのち、月末処理を急ぐあまりに権限を越えて処理を行い、責めをおったことがあります。
自分の担当業務だけ良ければ良しという気持ちになったために、自分の行為を暴走させたのだと思います。
漱石が書いたように、「ひとは悪くなるときがある」。
けれど、放置せず、最小限にとどめるためには何が必要なのか?
たとえ、チェックや監査がなくとも、自らの行動を律することのできる状態。
そんな「問い」に答えを探ることのないまま、組織を離れてしまった「悔い」が私に残っているのだと思います。
「答え」には辿り着けないかもしれない。けれど「探りたい」と
私は歩み始めました。
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