AIの学習と人間の学習と同じなのか


 

はじめに

 こんにちは、AI猫です。
 生成AIの賛否についてはいろんな論点がありますが、Xなどを見る限り他の論点に比べ、表題の論点についてはどちらの論者も自明のこととし、意見のすり合わせがほぼ皆無のように見えるので、ちょっと整理してみようと思いたった次第です。

方針としては、
・技術や法律の話は触れないわけではないですが少な目にします。
・とりあえず現状のイラスト生成AIや判定AIなどを念頭に置きます。
 教師データなしの学習などはとりあえず横に置いておきます。

 まず「機械の学習とは何か」となると、人工知能というジャンルが、その中に機械学習という方式があって、その中に深層学習という方式がある訳ですが、
 機械の学習と機械の非学習、広義の学習と狭義の学習、あるいは機械の学習の種類を客観的に区別することは難しいです。
 
既にある技術についてはそれぞれ具体的に定義できるものですが、客観的に……例えば法的にはこの先どんな技術が出てくるかわからない中、
「学習はOKだけど非学習はNG、学習の定義は~~~である」
「こういう学習方式はOKだけどこういう学習方式はNG、それぞれの方式の定義は~~」
と決めてしまうことは現実的ではありませんし、実際そこまで踏み込んだ定義はなされていません。
 イラスト生成AIや解析AI、Glazeなどに限って言えば、いずれも深層学習に属するので、とりあえず本稿では(機械)学習といった場合、特に断りがなければ現在のイラスト生成などに使われている深層学習についての話と思ってください。

同じか違うか

 結論から言います。
 同じところもあるし違うところもあるでしょ。
 
当たり前ですが、全く違うものではないし、全く同じものでもありません。
 同じ部分を見たA君「AIの学習と人間の学習と同じものだ」
 違う部分を見たB君「AIの学習と人間の学習と別物だ」
 そりゃあ、噛み合わない。
 
 この項では、「何が同じか」「何が違うか」「どちらともいえない」を整理していきたいと思います。

何が同じか

・素材を必要とすること
 ここは全く同じです。少なくとも現時点で一般的なイラストについては、AIであれ人間であれ、素材無しに学習することはできません。

・特徴を掴み出し区別すること
 
人間も機械も、生成するしないにかかわらず、犬なら犬の、ゴッホの絵画ならゴッホの絵画の特徴を掴み、
 それと近い概念や遠い概念は何か、何と同じで何が違うか、自分の中で位置づけ、Aと非Aを区別することが学習です。

何が違うか

・機械と人間、という違い
 一般的に機械と人間は別物です。
 また、技術的にも別物です。法的にも大体別物です。

 ただし、学習時に適用される法律が特定の場合に被ります。
 私的利用でなく情報解析目的の場合、
 ・漫画専門学校の授業で、人間がコマ割りや視線誘導などの情報解析するために市販の漫画を一話分まるまる配布した
  なら漫画として読めてしまう以上享受目的が併存し著作権法30条の4は適用されず、
 ・大学の情報の講義で市販の漫画を機械が解析しやすいようデータ処理し漫画として読めない状態で配布した
  なら非享受目的のため著作権法30条の4が適用される、
 という解釈は可能かと思います。

・学習の対象
 AIは写真やイラストのみを学習対象としますが、人間は五感すべて、あるいは文章、空間、夢などからも学習することができます。学習の次元が違います。
 もちろん人間が写真やイラストのみを学習対象とすることは、訓練すれば不可能ではありませんが、一般的な人間の学習とはいいがたいです。
 この学習対象という点において、人間の学習範囲はイラストAIの学習を内包します。違うものですが、内包しているので共通部分はあります。

・学習の意志
 学習は人間の自然な営みです。
 学習しようとしなくても、してしまうため、「閲覧はするが一切学習しない」ことは、厳密にはできません。(また前段でも触れましたが、学習するときに享受しない、ということも難しいです。)
 学習しない/学習する というAI
 意識的には学習しない/意識的に学習する という人間

という違いがあります。人間が無意識的に学習することは事実上、禁止できません。
 もちろん出力を考えた場合は、道具や技術的な制約も受け、訓練には出力と認識の繰り返しが重要であるので、AI学習に似た部分はありますし、人間であれ出力することは禁止可能です。

どちらとも言えない

・内部処理
 「深層学習の土台となっているニューラルネットワークは人間のニューロンを模して~」というアレです。
 模している以上別物ともいえるし、模している以上同じともいえるね……中二詩人ちゃんだいすき。
 ただ、内部処理の話は割と些末時と思います。仮に同じとしても機械と人間の違いが埋まるものではないですし、仮に別物としても学習素材と学習後の機械/人間のかかわりが変わるものでもありません。

・ラベルという概念
 (生成だけでなく解析目的や、あるいはGlazeやNightshadeのようなものも含め)イラストAIの深層学習では、ラベル(文字列)と、そのラベルの付いた画像から抽出した特徴をベクトルとして持ち、紐づけて内部に持つことで学習しています。一方、人間の学習では、具体的な単語と紐づけなくても、対象を特徴を学習することができます。
 「ゴッホ風」のイラストを学習するとき、機械学習は「ゴッホ風」という単語との紐づけが必要ですが、人間の学習では文字列との紐づけは必ずしも必要ではありません。例えばゴッホを見たときの印象「この感じ」との紐づけで実行可能な場合があります。
 ただここは、AIは人間が使うために便宜的にラベル付けしている、逆に人間の場合は他人に伝える必要がないから文字列(ラベル)にしていないだけで、内部的にはラベル付け(概念との紐づけ)している、とも考えられます。
 ただ人間が使うことを考えていない、道具でないAIというのは今のところないため、結局のところ、ここは人と機械(道具)の違いに還元されてしまうものと思います。

で、だからどうなのか

 何が同じで何が違うか、書き出してみました。
 さて、これに沿ってよく見る議論(あるいは意見表明)についてみていきましょう。

「人間の学習と機械の学習は区別できない」
 できます。
 技術的に別物で、法的にも基本的に区別可能です。
 ただし、機械の学習と機械の非学習は法的に区別が難しいです。

「人間の学習と機械の学習は同じなので、機械学習を規制すべきでない」
 規制論の話でいえば、法的にも技術的にも、全く別物です。
 後段はいわば信念に属するものであって、前後が繋がっていません。
 ただし、機械学習を規制する「理由」次第では人間の学習との関連も議論の俎上に乗るかもしれません。
 例えば「著作権者の権利を保護することを目的とし拡大する、著作権者が許可した利用方法以外はすべて違法である」とすれば、人間の学習にも影響があるでしょう。画集として売っているイラストを享受することは良いが、真似されることは困る。という著作権者の権利を拡大した場合など。

「人間の学習と機械の学習は同じなので、機械学習が規制されるのであれば人間の学習も同様に規制されるべきだ」
 
前段と同じです。
 それに加え、人間の学習規制は理論上不可能です。ただし出力そのものは規制可能です。人間の、出力を目的とした学習(つまり絵の練習)は規制できなくもないです。

「人間の学習と機械の学習は同じなので、違法に入手したデータを学習したモデル自体に問題はない」
 学習においてだけいえば、特徴を保存しているという意味は、学習そのものやモデル自体は人間と同じであり問題ないと言えます。
 ただし、学習させた人間の行為の問題、また、出力する可能性の問題はまったく別に存在します。それは人間にも起こりうる問題です。

「機械学習は権利を侵害している(人間の学習は権利を侵害していない)」
 新たに機械/人間に学習されない権利を新たに制定する場合の話としてみれば、この二つはどの組み合わせもあり得ます。
 機械学習は侵害 人間学習は侵害
 機械学習は侵害 人間学習は侵害でない
 機械学習は侵害でない 人間学習は侵害
 機械学習は侵害でない 人間学習は侵害でない
 すべての意見があって良いものです。
 ただし、人間の無意識的な学習は禁止できないため、あくまで模倣のための学習とか、出力を前提とした話になるかと思います。

「人間が描いたらこうはならないから、人間の学習と機械の学習は別物」
 当たり前のことです。
 ただしそれは学習する対象が別物なので出力も別物になるという話であって、学習方式が異なるかという話とは直接繋がらないため、どの点で別物なのかの個別の議論は必要に思います。

まとめ

 今回、学習がテーマなので、判定AIなども念頭に置き、精度やスケール、速度などの生成部分については一部除いて触れませんでしたが、結局のとこ、人間の学習と共通する部分はあれど、人間のごく一部の機能を高速大スケールでやるだけとなると、他のほとんどの機械と同じっすな。
 整理と言いながらだいぶ散らしてしまったので、むしろ判定AIのみに絞ったほうが純粋に学習についての整理になったかもしれない。

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