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36歳になって感じたことを書きたいのだが、全くまとまらない

7月1日、36歳になった。誕生日というのはいくつになっても特別な気持ちで過ごせる。そんな気がするだけかもしれないけど。

書きたいことがたくさんあって定まらないのだけど、そういう “まとまらない思考” を記録しておくのもいいかな。


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恋とおしゃれに飢えていた16歳。
どう稼ぎ、どう生きて行くのか悩んだ26歳。

それぞれ20年、10年と時が経ち、36歳になった私は、そのどちらも解決できたように思う。

なぜなら、どちらの問題も “あたたかい家庭を持ちたい” という願いから派生したものだから。

私は幼い頃から、あたたかい家庭を持つことに並々ならぬ情熱を燃やしていた。


そして妊娠・出産・子育てに捧げた30代前半。

喉から手が出るほど欲しかった “あたたかい家庭” を手に入れたのに、なぜこんなに苦しいのだろう?

どうして自由でいられないのだろう?

そんな風に感じていた。

その苦しさは普段感じている幸せとは別のところにあって、自分の手でしか解放できないように思う。


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「ライターとして頑張りたい」
2年前、つまり34歳の誕生日に、そう書いていた。

noteのアカウントを取ったのも同じ日だった。ずっと、自分が感じたことを素直に発信できる場が欲しかった。

しかしながら、そんなキラキラした希望を抱えた誕生日の後に訪れたのは、“薬がないと眠れない日々” だった。

原因は分かっている。今ここで言葉にすることはできないけれど、やっと手に入れた「ライター」という肩書きを捨てることができず、しがみついてしまった。


今年1月。心療内科に通院し始めて1年半が過ぎても、症状が落ち着かなかった。そのため思い切ってライターの仕事をストップ。これはやはり、自分にゆとりが生まれたと思う。

肩の荷を下ろしてみたら、私は私のままで何も変わらないことに気づいた。

そんなときにふと思った。

「自分のためだけに文章を書いてみよう。」

そんなこんなで、noteを毎週1記事更新するようになったのは、今年の1月からだ。つまり、36歳の誕生日で半年が過ぎたことになる。

これは本当によかった。クライアントやその先にいる読者のために文章を書いてきた自分にとって、こんなにも自分に優しくできることはなかった。

今まで、つい自分のことを後回しにしてしまっていたから、こんな贅沢な時間は久しぶりに感じた。

毎週更新、週1回という縛りも、今の私にとってはちょうどよかった。

未だに “文章を書く人” の肩書を捨てられなくて、「エッセイスト」と名乗っているけれど、一度全部捨ててしまいたい衝動にも駆られる。

でも今はまだ、このままで居ようと思う。焦らなくても、きっとそのうち分かるだろう。


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36歳になった。ただガムシャラにやってきた30代前半までとは、違う生き方を求められているのが分かる。

体力的にもメンタル的に、HPは減ってしまった。けれども、MPを使えるようになってきた。その側面で見ると、16歳よりも、26歳よりも、楽になったなぁ。

なんとも捉えどころのない文章になってしまったけれど、36歳になった今を記録しておきたいので、このまま投稿しよう。

飾ることなんてない、これが今の私なのだから。

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