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【古代日本語】古事記をシュメール語で読む〜古書から日本の歴史を学ぶ〜

※この文章はYouTubeで無料で視聴できます


こんにちは、今回は古事記の神話をシュメール語で読んでいきます。よろしくお願い致します。

【参考書籍のご紹介】

先ず最初にこの動画を作るにあたって大いに参考にさせて頂いた書籍がこちらです、吉田大洋さん著書「謎の出雲帝国」という書籍と「家紋の源流」という書籍です。

従来の神話のストーリーを読んでみて、謎な部分が多いなと感じる方や、神話は全ておとぎ話だと割り切っている方などには是非読んで頂きたい書籍です。

今回はこの2つの書籍に書かれている神話のシュメール語訳を2つご紹介させて頂きます。

【神話部分の編纂】

古事記の序文の後半に、このような事が書かれています。

711年9月18日、安万侶は稗田阿礼が誦む(よむ)ところの、帝王日継と先代旧辞を仰せのように細かな点まで記録しました。

しかし上古の言葉を漢字で書き表わすことは困難でした。訓で書き表すと意味がぴったりせず、音だけで書くと文章が長くなります。そこである文章には音訓を交えて用い、ある文章には全て訓を用いました。という表記があります。

古事記の神話部分の原文を見ていただければ、どれだけ苦戦したかが感じ取れると思います。稗田阿礼が読む音がどうしても漢字にない場合に、あて字で埋め合わせたと思われる箇所もあります、この頃にカタカナやひらがながあればもっと正確な音が復元できたのになと悔やまれますが、安万侶さんも精一杯やったと思います。

そうして出来上がった漢字だらけの神話を様々な学者が漢文調訳し、現代語訳をしました。

例えば原文にこのような漢文と「而抜十掬剣」

このような漢文がありますが「趺坐其剣前」

これらの部分を従来の現代語訳にすると、十拳剣を抜き逆さにして海に立てて、その剣先の上にあぐらをかく。というふうに翻訳されますが、

この漢文をシュメール語にするとこのような文章になり、titeg gan ni gin ta ag mu ra-zi gan sagタチカ ゲン ナ ギン タ アグ ム ラジ ジン ザジとなり

「船で押し寄せ、城内の四方を取り囲む、鋭く尖った剣(つるぎ)にものいわせて」という意味になります。

剣つるぎを逆さにしてその上に座ったのか、剣先に物言わせたのか、皆さんはどちらがしっくりきますか?

【漢文からシュメール語へ】

古事記の漢文を一度カタカナに変換して711年に稗田阿礼が読んだ音に戻します、そしてそのカタカナを紐解きシュメール語に変換して日本語に翻訳します。もちろん漢文からカタカナに変換しても完璧に元の音には戻りませんし、その音をシュメール語に変換する際も文法上脱落した音を復元させたり、未解析の部分もありますので完璧ではないです、それでも面白いことになっていますので吉田大洋さんの本を引用させて頂き、早速見ていきます。

【トヨタマ姫とホホデミノ尊の詩】

トヨタマ姫という女性がウガヤフキアエズノ尊を産みますが、その出産の時の姿を夫の山幸彦(ホホデミノ尊)に見られ、恥ずかしさと出産の苦しみのあまり海神の宮に里帰りしてしまいます。

その後トヨタマ姫と、山幸彦(ホホデミノ尊)の間に交わされた歌です。

古事記の漢文調訳は

赤玉は 緒さへ光れど 白玉の 君が装(よそお)し 貴く(たっとく)ありけり

これをカタカナにしてシュメール語にしたのがこちらです7

aka dam,u sur gig rag si lig dam kin gi u gush tab tuku ur,kil.

アカ ダマユ サエ ヒガ レジ シ ラジ ダマ キン ガ ユ グシ タブ トク アルケル7

このシュメール語を日本語にすると

私の愛した夫よ、宮中の僧侶はあなたが病気だから祈祷をすると布施をせがみます。私の大君よ、もっとたび重ねて消息をお聞かせください。手紙をいただくのを心待ちに致しております。

となります。

次に山幸彦の返歌の漢文調訳は

沖つ鳥 鴨どく島に 我が率寝(いね)し 妹(いも)は忘れじ 世のことごとに

次にシュメール語に変換すると9

uk-kin dur gan dug sim i gi en-gia imme li gaz su-lug il,ni-kuda

オツキン ドル ガン ドク シム ア ガ イネジア イメ ハ ス ラジユノ クダ

となります。

これを日本語訳すると

水はみな清く、光り輝いている。私は酒びたりになっている、里帰りの人よ思いかえしなさい。(今は)うさばらしに人民の税金を高くして酒に歓楽を求めている。

となります。最後の文章わざわざ書く?と思われたかもしれませんが日本語訳するとこうなります。

【竜宮伝説のシュメール語】

有名な竜宮伝説もシュメール語で読んでいきます。

このストーリーの従来のあらすじは、天孫ニニギノ尊の子供である山幸彦(ホホテミノ尊またはホオリノ尊)は兄の海幸彦(ホデリノ尊)から借りた釣り針を失くし、それを探しにトヨタマ姫のいる竜宮へおもむく

というのが従来の物語です。

漢文の釣魚を魚釣りと訳し、鉤失海を海で針を失うと訳したため本来のストーリーがわからなくなりました。

シュメール語に翻訳すると、釣魚は子を育てる、鉤失海は出産で命を落とすという意味になります。

兄弟の誕生からトヨタマ姫の里帰りまでをシュメール語で訳すと次のようになります。

海幸彦(ホデリノ尊)は黒種のいる海浜の国を、山幸彦(ホホデミノ尊)は青い目の種族のいる高千穂を領していました。

ところが黒種は青い目の種族の女性を、青い目の種族は黒種の女性を略奪し、両者の間には紛争が絶えませんでした。

そこで山幸彦は海幸彦にこう言います。

「あなたは海の黒肌を母とし、私は山の青い目を母として生まれた子です。(仲直りするために)お互いに産まれた子供を人質として交換しましょう。」

そして先に海幸彦が子供を人質として申し受けましたが、山幸彦の海の黒肌の妃は出産の時に命を落とし、約束を果たせませんでした。

山幸彦は悲嘆にくれて死者を守っていると、海幸彦の手先で吾田生まれの人買いがやってきて

「なんでことですか、そんなことをするのは時代遅れですよ、わけの分からぬハシカの病は燃やして河に流すのにかぎります。」と言いました。そして亡骸の女性よりもっと楽しませてくれると、美しい海の国での遊びを勧めました。悩み苦しんでいる囲いの男(山幸彦)は愚かにも欺されて、著名、捺印をしました。

中略

海国の女性どもは病的な興味を持っていて、不自然な欲望を引き立たせ、まる3年間山幸彦を幽閉しました。やがて身受けの使いが完全な外国語の釈放の覚書を入れた箱を持って訪れました。取り出して広げてみると

「3年もの間追放した、蛇のような男に報復しよう。植民地の英雄よ立ち上がれ、遠い船着地の義兄弟(海幸彦)のところへ進軍し、天誅(てんちゅう)を加えよう。」

※ 天誅=天罰

とありました。

海国の人は「たくみに武装して義兄のところへ行きなさい。そして兄上が黒種の人々を味方にしたら、あなたは同様に青い目の種族や海の人々を軍勢に加えなさい。あなたは3年の間に兄上が退位するか死ぬかしたら、許してやりなさい。

むろん戦いを挑んできたら敵視して青い目の種族を派遣しなさい。そして海国の義兄弟を苦しみに苦しませて領土を放棄するように催促させなさい。」と言いました。そして山幸彦は国へ帰り復位しました。

海国の内親王である一の姫(トヨタマ姫)が山幸彦のところへ自分で出かけてきました。「私は妊娠して、すでに産み月になりました。でも祖国にはどこからか天然痘が入ってきて流行し始めました。あちらで出産することはできません、それで相談しに来たのです」山幸彦は忍耐力のない妊婦(トヨタマ姫)のために、海辺の汀に産屋の宮を建てた。

中略

トヨタマ姫は山幸彦に言います。「産婦というものは通常の月経から一定の時期をすぎると、必ずお産をします、出産中はきたならしいので、覗かないでください」しかし山幸彦はもの好きにも、分娩中のトヨタマ姫を覗き見ます。姫は母となるために血だらけとなり出産の痛みに身をくねらせ、泣き叫んでいました。トヨタマ姫は子を生み、母となる大きな苦痛に一度で懲りたので、夫婦の縁を捨て、里帰りしてしまいました。夫の山幸彦は妻たるもののあるまじき無礼であると憤り、高千穂で独身を守り、酒でウサを晴らしていました。

そして悲しい5年間を指折り数えながら他界しました。

というシュメール翻訳になります。

【神武東征のシュメール語】

次に神武東征のシュメール語訳を見ていきます。(※従来の物語はググって頂けると幸いです)

カムヤマトイワレビコ(神武天皇)は黄色人種の地、日向国の小林(高位)の挟野の郷に産まれました。そして成人すると美々津(ムメツ)(=生まれた国の意味)の河口を出発、

佐伯湾の大入島に泊り、それから暴風を避けて豊の国は佐賀関の須賀に船を止めました。ここの海上でウズ彦(黒人)に会います。24

中略

神武ら3兄弟は高島(僧侶の国)宮を立ち出て奔流の明石の瀬戸を渡るとき、ここからが浪速であると聞き、こう言いました

「浪速のナニは吉祥のしるしだぞ、王者となり領土を有し秦平がくる。

※秦平=世の中が平和に治り穏やかなこと

だがそれには妨害が入る、災難、不幸な運命がひかえているとも報せている。また浪速のワという語を考えると活路を打開し、(敵を)遠くへ追って入国して撃滅し、帝居を光り輝かす。突貫突破ともあるぞ。よし突貫突破だ。」と奮い起こったとあります。

そして「乗亀甲」に出会うとありますが、従来のストーリーでは亀の甲に乗って釣りをしている。と訳されていますが、シュメール語では「奴隷が船を操縦している」という意味になります。

五瀬命はこの時、大和川から今は田んぼと化している日下池に船を入れました。クサカイケは「外敵を防ぐ外堀」という意味です。27

そこで五瀬命は生駒峠の嶮を避け、日下池に船を乗り捨てて竜田越えに大和入りしようとしました。しかし竜田の山道は狭く険しくて軍兵は列をなして進むことが出来ませんでした。

五瀬命はやむを得ず引き返し、今度は敵の真正面を生駒越えして大和へ入ろうとしました。

生駒山を一つ向こう側に下ると、そこがトミの小川で登美彦の本拠地でした。彼は日下池を外堀、生駒山を前門として五瀬命の軍隊を待ち受けていました。五瀬命は返り討ちにあい、腕を負傷しました。

そして海上へ敗退し、船を紀伊の雄の水門に止めて傷を治そうとしました。しかし苦難の連続は兄弟間に対立を招きます。

神武の兄、三毛入野命(みけいりののみこと)は言います。「何事だいこの戦は役に立ちはしない、誰だ、野心を起こしてますます事件を激化させたのは。この闘争に熱中するのは何の為だ、我々が免職の状態になっているのは何の為だ、誰だ、本地(海国)への貢物を禁止したのは。あちらには祖国への代願人になってくれる我々の母も伯母もいるのに。我が家を犠牲にするなんて、とんでもないことだ。くだらないから威張らずに神命を受け入れろ」と言います。

そして五瀬命をあいくち(短刀)で刺し殺しました。その地が現在の和歌山県の竈山でカマヤマは恨みのあいくち(短刀)という意味です。

神武はこれを知って三毛入野命を捕らえて、常世国(とこよのくに)へ行けと海に投げ込みました。

※ 三毛入野命=海国を管領する王者

一気に2人の兄を失って、東征は神武一人のうえに任されました。

神武は熊野の海上で難船し、やっと熊野浦にたどり着くと、クマ族の酋長(しゅうちょう)は「くたばってしまえ」とばかりに野菜や飲み物を遠くへ隠してしまいました。

軍兵は疲れ果てて青白く無気力になりました。その時熊野山の修験者である高倉下(たかくらじ)がクマ族の長を罠に落として首を絞め、それをほこで刺して太刀(初見参の引き出物)を持ち、一族郎党従えて大騒ぎで駆けつけました。

これにより皇軍は元気を取り戻し、クマ族の酋長は後々まで皆から憎悪されました。

そして神武は八咫烏(河に住む酋長)も味方につけ、吉野川を遡り大和入りしました。

長くなりましたが、ここまでが神武東征のシュメール語翻訳です。

記紀の総監督は藤原不比等でした、体制側の都合が良いように書き換えたのは後半の方で、神話の部分はほぼ語り伝えて来たものをそのまま音写したと考えられています。

まだまだ未解析部分の多いシュメール語ですが、前述したようなシュメール語の翻訳で物語が出来あがってしまったのは、全て偶然とは考えにくいのではないでしょうか。部分的には翻訳ミスがあるかもしれませんし、今後の言語解析次第で違った解釈になる箇所もあるかもしれませんが、皆さんは漢文から翻訳されたストーリーと、シュメール語から翻訳されたストーリーを比べて見てどのように感じましたか?

さらに詳しく知りたい方は吉田大洋さんの書籍も是非読んで見てくださいね。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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