【バアル信仰】後編【ユダヤ教の誕生】
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このように、古代オリエント世界に普遍的な存在であったと思われるバアル信仰ですが、
[旧約聖書]ではバアル信仰に対して批判的な記述が多くみられます。
「出エジプト記」では次のようにあります。
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」
これは出エジプトのリーダーであったモーセに対しヤハウェが命じた言葉です。
また、ヤハウェは次のようにも命じています。
「むしろあなたがたは、彼ら(バアル神)の祭壇を倒し、石の柱を砕き、アシラ像を切り倒さなければならない。あなたは他の神を拝んではならない」
とあります。
アシラ像というのはアシェラ像のことで、バアル教が弾圧されていたことがわかります。
[列王紀](上)での預言者エリヤの教えは次のように記されています。
※ エリヤ=ユダヤ教ではモーセ以後、最大の預言者と云われた人物
「あなたがた(イスラエルの民)はいつまで二つのものの間に迷っているのですか。主が神ならばそれに従いなさい。しかしバアル神ならば、それに従いなさい」
次にバアルの預言者たちに対しては、こう命じています。
「あなたがたは大ぜいだから初めにあなたたちが一頭の牛を選んで、それを整え、あなたがたの神の名を呼びなさい。ただし火をつけてはなりません」
そしてバアルの預言者たちは、朝から晩までバアルの名を呼び続けましたが、答えはなく、恐ろしいことが起こったとあります。
預言者エリヤは彼らに言います。
「バアルの預言者を捕らえよ。そのひとりも逃してはならない。」
民はバアルの預言者達を捕えて、預言者エリヤはバアルの預言者達をキション川に連れて行き皆殺しにしたとあります。
このような記述からも古代のユダヤ人はバアル信仰を排除していたことがわかります。
そもそも「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」自分だけを信じよ、と主が発言したのは、自分以外のものを信じる人々が周りにいたからであって、紀元前1500年頃のユダヤ人の間にはヤハウェ以外の神が信仰されていて、その神はバアルなどの古代オリエントの神々であったことがわかります。
次に「民数記」の二十五章を見ると次のようにあります。
「民はモアブ(部族名)の娘たちの神々を拝んだ。こうしてバアルにつき従ったので、主は怒りを発せられた」
そして主はモーセにいます。
「民の首領をことごとく捕らえ、日のあるうちにその人々を主の前で処刑しなさい」
この神罰という名目の虐殺は二万四千人に及んだとあります。
[歴代志]には
「ダビデの軍はバアル・ペラツイムに上がり、フェリシテ人を撃った。神は水が破れ出るように、ダビデの手を用いて敵を破った。このことを記念して、この地をバアル・ペラツイムと呼ぶようになった」とあります。
バアル・ペラツイムとは
「バアルが敵を破った地」という意味で
文字どおり解釈すれば、フェリシテ人との戦いでダビデに味方した神はバアルということになります。
また、ダビデの子であるソロモンが王の時代、エルサレムにはバアル神が祀られてあり、[旧約聖書]には
「ソロモンは、バアル・ハモン(バアル)のためにぶどう園を献じた」という記述があります。
ダビデとソロモンの親子はバアル信仰であったことがわかります。
また、「士師記」には次のように記されています。
「イスラエルの人々は主の前に悪を行ない、もろもろのバアルに仕え、かつてエジプトの地から彼らを導き出された先祖たちの神、主を捨てて、ほかの神、すなわち周囲にある国民の神々に従い、それにひざまずいて、主の怒りをひき起こした。すなわち彼らは主を捨てて、バアルとアシタロテに仕えたので、主の怒りがイスラエルに対して燃え⋯⋯彼らがどこへ行っても、主の手は彼らに災した」とあります。
さらに「士師記」には、主と民とのやりとりが書かれていて、主は民に対してこういいます。
「あなたがたは、わたしを捨てて、ほかの神に仕えた。それゆえ、わたしはかさねてあなたがたを救わないであろう。あなたがたが選んだ神々に行って呼ばわり、あなたがたの悩みのとき、彼らにあなたがたを救わせるがよい」とあります。
これに対して、イスラエルの人々は主に対してこう言います。
「わたしたちは罪を犯しました。なんでもあなたが良いと思われることをしてください。ただどうぞ、きょう、わたしたちを救ってください」とあります。
イスラエルの民がバアル信仰から主に乗り替えると、主の心はイスラエルの民へ向かうことになります。
ですがその後もイスラエルの民は主の罰を受けてはヤハウェを信仰しますが、またバアル神に戻るというのを繰り返しています。
以上の[旧約聖書]からも古代のユダヤ人はヤハウェのみを信仰していたわけではなく、バアル神も信仰対象の一つであったことがわかります。
ではなぜヤハウェはこれほどに異教を嫌ったのでしょうか。
宗教学的に解釈すれば、エルとアシェラが結ばれてバアルが生まれるという二者合一から一つの創造が始まるというバアルの世界観と、ヤハウェという一神からすべての創造が行なわれるという世界観が対立していることがわかります。
また政治的にみれば、古代ユダヤ人は、当時周辺の異民族と戦うために、ヤハウェを他の神とはまったく別の、独立した特別な神として打ち立て団結を図ったと考えられます。
特別な神ヤハウェを信仰することによって他民族とは一線を画し、ユダヤ人に選民思想を植え付けました。
この一神教の思想が行き着くところは、「聖絶」という発想です。
聖絶というのは神の命令によって異教徒を絶滅させるという一神教の教義で、多神教にはなかった思考です。
一神教の中でも唯一神では万霊や万象の説明が十分に出来ず、多神教に比べて排他的になりがちで極めて狭い視野で自然科学を説かなければならないため、ややこしい事は全て神の偉業として片付けます。
この偏狭性が唯一神教の特徴です。
牧師であり死海文書の研究者であるR.ドゥ ヴォー著書「イスラエル古代史」によれば、ヤハウェ信仰は、バアルの父エルの宗教から独立した起源をもっている、とあり、その証拠を[旧約聖書]の民数記から探り出しています。
つまり古代ユダヤ人は元々は同じ神であったエルやバアルからヤハウェを誕生させて宗教戦争を繰り返していました。
日本の神道とユダヤ教の間には共通部分が多いことで有名ですが、実は神道はユダヤ教が誕生する以前のバアル信仰の方がより関係が深く、神道が万教の根源や世界最古の信仰といわれる所以がバアル信仰を学ぶことで理解できます。
前編と後編にわたり、バアル信仰について見ていきましたが、古代オリエントのバアル信仰が日本の神道と繋がる、といきなり言われてもあまりピンとこないと思います。
古神道とバアル信仰、そして近代成立した国家神道についてもまた別の動画でお話しさせて頂きます。
古代史には膨大な学説がありますので、今回の内容はそのうちの一つだと思っていただいて、ぜひ皆さんも調べてみて下さい。
下記の参考書籍もぜひ読んでみて下さい。
最後までご覧いただきありがとうございました😊💖
📖この動画の参考書籍📖
鹿島曻著書「日本神道の謎」「史記解」「桓檀古記」「倭人興亡史」「倭と日本建国史」
大林太良編集「民族の世界史6東南アジアの民族と歴史」
鳥越憲三郎著書「古代中国と倭族」
R.ドゥ ヴォー著書「イスラエル古代史」
日本聖書協会「旧約聖書」
木村鷹太郎「旧約聖書日本史」
小谷部全一郎著書「日本及日本國民之起原」
三笠宮崇仁・赤司道雄著書「フィネガン古代文化の光」
三森定男著書「印度未開民族 」
石井米雄著書「世界の歴史14インドシナ文明の世界」
長浜浩明著書「韓国人は何処から来たか」
中村啓信著書「古事記 現代語訳付き」
一然著 金思燁訳「三国遺事 完訳」
東洋文庫「三国史記1新羅本紀」
石原道博著書「新訂 魏志倭人伝・後漢書倭伝・宋書倭国伝・隋書倭国伝」「新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝」
E・ドーフルホーファー著書/矢島文夫・佐藤牧夫翻訳「失われた文字の解読 Ⅰ」
ミスペディア編集部「面白いほどよくわかる朝鮮神話」
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