【九鬼文書】実態を詳しく解説!別名大中臣文書と呼ばれる、合作された書物〜古書から日本の歴史を学ぶ〜
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こんにちは、今回は九鬼文書についてお話しさせていただきます、よろしくお願いいたします。
「九鬼」くきと書いてクカミと読む古文書ですが、九鬼のカミは元々「鬼」の漢字の上のチョンが無いカミという漢字を使用していました。しかし一般の活字にはあまり見られないことから便宜上「鬼」という漢字を当てていたため「九鬼」くきという名前で一般化して行った、という経緯があります。
この古文書を代々所有している九鬼家は、初代の隆真氏(たかざね)という人物が1336年後醍醐天皇の時代、天皇が幕府軍に追われ笠置山から逃げる際に、三種の神器を警護して幕府側の追っ手と戦い、その戦いぶりが「カミの如し」とされたことと代々縁のある九という字を付けて「九カミ」の姓を後醍醐天皇から賜わったとあります。
「九鬼」という姓になる前は藤原や中臣を名乗っており、九鬼文書の別名は大中臣文書といいます。有名な藤原不比等やその父の藤原鎌足も九鬼家の先祖ということになり、さらにその祖先はアマツコヤネノ命でした。
【九鬼文書の研究】
九鬼文書はもともと神世文字で書かれていましたが、飛鳥時代から奈良時代にこれを漢文に書き換えたのが藤原不比等です。
神世文字ver.の作者は明らかになっていませんが、「中臣神司秘法遍之二」の序書によれば天児屋根命(アメノコヤネノミコト)とその149代天種子命(アメノタネコノミコト)、そしてその御子の天中押別(アメノナカオシワケノミコト)、さらにその29代大中臣牟知麿(オオナカトミムチマロ)が作成に関与していたことがわかります。
藤原不比等が漢文に書き改めてからは、代々筆写した人物が各時代の出来事や系図類、神道関係の文献などを書き加えています。
加筆を加えた人物の記録は花押(かおう)と共に丁寧に残されており、九鬼家では初代の隆真(たかざね)、9代目の嘉隆(よしたか)11代目の隆季(たかすえ)19代目の隆都(たかちよ)21代目の隆治(たかはる)などの代に加筆が行われた記録が残っており、
藤原南家からは武智麻呂(たけちまろ)北家からは師尹(もろただ)熊野別当からは教真、湛増(たんぞう)、湛快(たんかい)、道真(どうしん)などの名前も残されています。
つまり九鬼文書はこれらの人々の合作であると言えます。
九鬼文書を研究した第一人者は高松寿嗣(としつぐ)という人物で、武道の九鬼神流から独立し九鬼神流 澄水派を唱えた武道の達人です。
戦時中は天津・満州にかけて10年ほど実戦を経験しています。
高松氏は武道だけでなく九鬼文書の研究も熱心に取り組み、「天津蹈鞴秘文遍」という書物36巻に序文を付けて解説しています。この秘文の内容は次のようになっています。
九鬼秘文史論が3巻、九鬼宗門神秘観静遍が2巻、九鬼神籬(ひもろぎ)遍3巻
※ 神籬=神社や神棚以外の場所で祭祀を行う場合臨時に神を迎えるための依代となるもの
九鬼宝鏡秘伝4巻、九鬼築城之巻1巻、九鬼鉄砲火薬遍1巻、九鬼剣法秘想遍1巻、
九鬼薙刀(なぎなた)秘勝遍1巻、九鬼柔体術活法遍3巻の合計36巻になります。
九鬼宗門神秘観静遍2巻の前半は宇志採羅根真大神(ウシトラノコンジンオオカミ)の予言の法、後半はスサノオノ尊神伝の陰陽太占法と神呪禁厭(しんじゅまじない)法が書かれています。
九鬼神籬(ひもろぎ)3巻には前半に病理・医薬、後半に灸術、経穴について書かれていて、高松氏は病理・医薬にも力を入れ、さらには九鬼に伝わる華道や茶道も修めているという多才な人物でした。
九鬼文書の研究者は高松氏の他に、三浦一郎という人物がいます。
三浦氏は戦前「九鬼文書の研究」という書物を完成させましたが、官憲により押収され全国でわずか10冊くらいしか残っていませんでした。
その10冊程しかない内の1冊を所有していた社会運動家の福田素顕(もとあき)氏が古代史研究家の吾郷清彦氏に贈ったことによりさらに研究が進み、「九鬼神伝全書」という書物が完成します。
三浦氏は昭和20年に大本教団新発足準備に参加しており、教団職員として大本教専任教師を勤めていました。
彼は日ユ同祖論者でもあり出口王仁三郎のブレーンであったとも言われています。
全国で10冊ほどしか無かった「九鬼文書の研究」は1999年に復刻版が八幡書店から出版されており現在はAmazonでも購入可能になっています。
【九鬼文書の保管者】
九鬼文書の保管者は、天児屋根命(アメノコヤネノミコト)以来、天皇家の祭祀を司ってきた大中臣・藤原氏の末裔、熊野別当宗家の九鬼家です。
先ほどから九鬼家初代の隆真(たかざね)と呼んでいた人物は実は熊野別当宗家10代目、道真(みちざね)の直裔でここから分家したのが九鬼家です。
九鬼家9代目の嘉隆は戦国時代の水軍大名で豊臣秀吉の朝鮮出兵の際の水軍総督でした。嘉隆は熊野から志摩半島に移り、鳥羽5万5千石を領していましたが関ヶ原の戦い後、九鬼家は丹波の綾部と摂津の三田とに領地を分けました。
九鬼文書を保管してきたのはこの綾部系の九鬼家と本家の紀伊系九鬼家です。綾部系は超古代史や神道・武術に関しての記述が多く、紀伊系は専ら系図に関する書物が多いです。
九鬼文書を研究した高松氏は17歳の頃ある老人と出会い九鬼神流を教わったと言われていますが、この老人はおそらく綾部系の一族で武術に関する古文書をたくさん持っていたと思われます。
【九鬼家の本家と分家】
先ほども少しお話しましたが、九鬼家には本家と称している一族と分家と言われる一族が大きく分けて3つあります。
本家が三重県尾鷲市九鬼町に住む九鬼一族でこれを紀伊系と言います、
第一分家が紀伊系第3代隆房(たかふさ)の次男、隆良という人物が始祖の波切系、第二分家は紀伊系九鬼家第5代光長みつながの次男。
光信みつのぶが始祖の宮崎系、第三分家は紀伊系九鬼家第7代浄隆(きよたか)の三男、嘉隆が始祖の綾部系です。
本家18代目に後継が生まれなかった為第二分家の宮崎系から宮崎嘉助(よしすけ)の子、盛隆が継いでいます。
【九鬼文書の世界】
九鬼文書では宇宙造化から現代までの歴史を7期に分けて記載しています。
第一期が造化準備時代で創造神モトツワタラセノオホカミが登場し、
23世2万3000年続きます
次に第二期の造化時代、アマツミヒカリからアメノミナカヌシまで1世24代が13世続き、合計312代で5万年程続きます。
第三期は修理固成の神皇時代で
アメノミナカヌシの天皇(スメラミコト)からイザナギの天皇(スメラミコト)までの1世12代が12世続き、合計144代で2万年程続きます。
第四期は万国統治神皇時代で、アマテラスニイマススメラミコトからヒコホホデミノスメラミコトまで、1世7代の7世続き合計49代、8千年程続き、出雲王朝の国譲りで幕を閉じます。
第五期はウガヤフキアエズ天皇(スメラミコト)の時代で1世73代
1200年程続き、第六期は神武天皇からの時代です。時空間は記紀の内容と変わりありませんが、仏教の受容をめぐる争いの過程は内容が大きく異なります。
最後の第七期は明治天皇以降のことが記載されています。
第一期の宇宙創生が2万3千年、第二期の銀河系造化が5万年となっており、かなり短く感じますが、九鬼文書の中の最大単位は万(ヨロズ)であるためこのような年数表記になっていると考えられています。
第一期から二期までは宇宙の話で第三期からが地球上の出来事になります。
第四期の統治者1代あたりの在位平均年数が163年なので現実味にかけますが、第五期のウガヤ朝時代は神武天皇を除く72代の統治者で1200年程続いたとあります、計算すると1200÷72=16.7年となりこの頃から妥当な平均在位年数になります。
宇宙創生からの歴史や神代の系譜以外にも九鬼文書には様々な伝承や知識、
技法が秘伝されています。
中臣神道や蘇民伝承、大中臣神字、九鬼神字、九鬼数学、鬼門祝詞、
九鬼神流の軍学と兵法、武教と武術について
九鬼華道と茶道、宝鏡秘伝、九鬼神医法、
鍼灸法や薬草について、勾玉の伝承、熊野修験道に関する
渡来秘法、金剛秘法、などがあります。
九鬼文書は時代と共に加筆が行われていたため、豊富な情報が記載されています。加筆と共に改竄された箇所もあると思いますが、他の系統の古文書を比べてみると九鬼文書の傾向がより一層掴めると思います。
九鬼文書の細かな内容についてはまた別の動画でご紹介させていただきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
参考書籍
吾郷清彦著書「古史精伝ウエツフミ原文併記全訳 」
「九鬼神伝全書」「日本建国史全訳」「高天原論究」
「古事記以前の書」「日本超古代秘史史料」
吾郷清彦・鹿島曻著書「古史古伝体系」
国立図書館コレクション「上記」
吉村武彦著書「新版古代史の基礎知識」
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