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【雑記】科学と民主主義が交差するとき

『テクノクラシー』という言葉をご存知でしょうか?
デジタル大辞泉によると以下のように解説されています。

テクノクラシー(technocracy)

テクノクラートが政治や社会の支配権をにぎる体制。または、それを是認する思想。

デジタル大辞泉/見出し

テクノクラートというのは政策決定に関与する技術官僚や専門家のことを指します。
昨今の政治家の裏金問題などの政治不信を考えると、政治家が国会で政策を決めるよりも専門家がエビデンスに基づいて政策決定した方が社会は良くなるのかもしれません。それかMAGIシステムのようなAIによる合理的な決定とか。

イプソス グローバル信頼性指数というものでは、各職業の各国の信頼度を調査を行なっており、大体どこの国でも政治家が低く、科学者、医師がより高い信頼度となっています。

科学と政治(民主主義)の関係はコロナ禍で大きなターニングポイントがあったと思います。それは、コロナという科学的知見が必要な対策について、専門家会議の決定と政府との関係です。

当時は、専門家会議の提言と異なった政策決定もされ、政治家の決定よりも科学者の意見になぜ従わないのだと、その決定にエビデンスはあるのかと国会やメディアで追及されることがありました。

特に若い世代では、民主主義は信用せず、テクノクラートによる賢明な決定を指示するものが増えているのではないかという可能性も示唆されています。

直感的にも確かにそう感じるところがあります。政治には期待せず、エビデンスに基づいた専門家の意見に従うべきだという考えは多くの人に共感できるものではないでしょうか。

そう考えると案外テクノクラシーも悪くないのではないかと感じます。
しかし、「民主主義は最悪の政治形態である。ただし、これまで試されたあらゆる政治形態を除けば」と言われているようにテクノクラシーは避けるべきものです。

そもそも、コロナの例で言うと経済を優先すべきか、人命が第一なのかと大きく分けても2つほどの対処方針が浮かんできます。このどちらかを選ぶべきかは、科学で決定できるものではありません。なぜなら、その選択は科学ではなく、価値観で決められるべきものだからです。

その上で、この決定をすべきなのは民主的な決め方でなければいけません。
なぜなら、時代の変化に対応し、私たち自身で価値観を選択することができ、進歩的に修正可能な方法が民主主義だからです。

テクノクラシーは権威主義体制の一種です。
専門家という特定集団による政策決定では、国民の意思決定の参画が不可能となっています。

しかし、民主主義に科学は不要なのかというとそうではありません。
コロナ禍のような対応では科学の知見が必須です。
では、科学と民主主義の関係はどのようなものが適当なのか。
『民主主義が科学を必要とする理由』では、民主主義が優先するとしても科学者の意見を退ける場合には、その理由の公開が必要であるなどとしています。

あまりSFと絡めずに話をしてしまいましたが、SFでのテクノクラシー批判といったものでいうと、
例えば、オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界』は高度に発達した科学を駆使して、世界統制官が世界を支配しているテクノクラシーへの批判です。
また、吟鳥子さんの『きみを死なせないための物語』では、地球が住めない環境になり、宇宙ステーションで生活し、そのような閉鎖環境において生活するためには、テクノクラートが天上人と呼ばれ、科学者による計画的な管理がされています。
(この漫画は世界観の設定(特にワードチョイス)、科学監修、ストーリーのエモさなどSF漫画では個人的にトップクラスの面白さです。)


未来の民主主義、政治については、イェール大学助教授の成田悠輔さんが「無意識データ民主主義」といったものを提案しています。

民主主義、テクノクラシーだけでなく未来の政治体制については、SF小説でもっと取り上げてほしいところですね。
個人的にかなり気になるトピックです。

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