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私が14歳だった頃 夢みた世界平和

私が14歳だった年の3月11日。

塾の帰り道、車の中で父が「また戦争が起こる」と言った。
なんで?と思って帰ると、いつもは消されてるはずのテレビはニュースを流していた。
「同時多発テロ」だった。

私はショックを受けた。
「また戦争が起きる」
その言葉が何度も浮かんでいた。
怖い。誰も死んでほしくない。死にたくない。

第三次世界大戦が始まる…。
その夜はあまり寝付けなかったのを覚えている。

翌日、学校に行くと「私の世界」は壊れていなかった。
前日と何も変わらない。
同時多発テロの話題を出す人も先生以外はいなかった。

自分が安全な場所にいる事に、安堵ではなく落胆していた。

同時多発テロが起きても、かわいいグループの子たちはキレイにヘアアレンジしていたし、誰かをイジって無駄に大きな声で笑いを取ろうとする男子達を見ていて反吐が出そうだった。
軽蔑していた。

でも一番軽蔑してたのは自分だった。
結局、何も出来ない、何も言えない、何もない自分に一番落胆していた。

なんでこんな事を書いているのかというと、幡野さんのnoteで映画「14歳の栞」が紹介されていて、今まで思い出す事のなかった中学時代の自分を思い出してしまったからだ。

14歳って何してたっけ?
思い出すのが難しかった。
思い出したい記憶がないから、今まで振り返ることもなかった。

たしか美術の時間に描かされた自画像に「きらい」と命名した。
描くために自分の顔を鏡で見るのが嫌だった。
そんな事も初めて思い出した。

全てが痛々しい…。
14歳の頃を振り返るのはツライ…。

だけど、今振り返りたいと思う自分がいる。

私は世界ウルルン滞在記でドイツ平和村を観てから、世界情勢とか世界平和とかに興味を持ち始めた。
私も世界に出て、誰かを助けるんだ!
世界を変えていかなきゃ!

あの頃は純粋にそう思ってたし、世界平和を目指していた。
みんなが幸せになればいいのにって思ってた。

あの頃の私が、今の私を見たらどう思うだろうか。

日本からは出ていないし、嫌っていた母親と同じ看護師になってるし、結婚して、子育てして、平凡に見えるのかな。

世界ではテロはなくなってないし、民主主義は壊れかけていてデモやクーデターも起きている。世界の難民は減っていないし、世界的な感染症で差別や貧困は拡大し、浮き彫りにされた。

世界平和に貢献していない今の私を見て幻滅したよね。

でもね、説明させて欲しい。
世界のことを学ぼうと思って、大学で勉強したんだよ。
そしてね、勉強をすればするほど、気付いちゃったんだよ。
戦争はないけど、ウチは全然平和じゃなかったんだって。

見ないフリしてたよね?
家の中で嫌な事いっぱいあったよね? 
だから実家出るために必死だったよね?

辛かったよね。

それに気づいてしまったら、世界の誰かを助ける事が出来なくなっちゃったんだよ。

中学2年の時、修学旅行で広島に行ったよね。
誰と同じ班だったか覚えてないけど、平和記念公園で語り部さんが「今の日本は平和ですか?」って言ったのを覚えてるよね。
あの時は語り部さんの伝えようとしている事をちゃんと聞けていなかったと思う。
語り部さんから、いかに戦争が悲惨なのかを聞きたがっていたからかもしれないね。

今だから思うんだ。
戦争がないことが平和なんじゃない。
そう言ってた語り部のおじいちゃんが伝えたかったのは、みんなが幸せになってほしいってことだと思う。

誰かを助けられるようになるには、自分を助けなきゃならなくて、知識もまだまだ足りなくて、お金も必要で、まだまだあの頃思い描いてた世界平和へのスタートラインに立ててないんだ。

世界平和のスタートラインって良く分からないけど、自分と自分の周りの人を不幸にしない事から始まると思ってる。

14歳の頃、本気で思ってた「何かしなきゃ」って言う気持ちは無くなって無いんだよ。
恥ずかしくて誰にもまだ言えてないけど、世界平和だって諦めてないの。国境なき医師団とかに憧れる気持ちもあるの。
だけど、その自分の気持ちや行動が誰かを傷つけていないか、承認欲求の為じゃないか、本当に求められている事なのか、慎重に考えられるようになったんだ。

今はまだ自分も、自分の夫も子どもも、どうしたら幸せでいられるのか、不幸にならないか模索中なんだ。
ウチにはなかった幸せな家庭を模索中なの。

幸せが何か、自分にできることは何かを学び中で、それはそれで楽しいんだよ。


文章の途中から自分に語り出しちゃうし、あの頃と変わらず青臭くて恥ずかしい…。

映画「14歳の栞」は体調の関係で観に行くことは今はできないけれど、観てみたい。

反吐が出ると思って軽蔑していた子たちを、今はきっと違うように見えると思う。
そしてあの頃の私の話を聞きたいと思う。
興味を持って否定せずに話をただ聞いてくれる、そんな大人がいたらもう少し生きやすかった思う。

私が14歳の頃を振り返ったら、まだ自分が道半ばにいること、あの頃から変わったこと、変わってないことが見えた。

文章にするのは恥ずかしくて苦しくて、痛々しい作業だったけど、良かったと思う。

あの頃の自分とようやく卒業できたと思う。


#私が14歳だった頃
#子育て

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