【感想※ネタバレ】僕の心のヤバいやつ【接触フェティシズム】

いま最も熱い漫画のひとつである『僕の心のヤバいやつ』がそろそろ佳境を迎える。
現在大絶賛刊行中の3巻以降、隔週のweb掲載では重大事件が次々と起こり、おそらく4巻ではいままで主題化されていた市川と山田の内面と関係の変化というより、二人を取り巻く環境のほうへと軸が移されていることが総覧されるであろう。
長い(本当に長い)冬休みの中で、私たちはあの見慣れた図書室のことなどとうに忘れてしまったようだ。外堀が埋められはじめている。隔週ごとに、もしかしたらこの漫画はじきに完結してしまい、私たちは置き去りにされるのではないかという不安に脅かされる。

それはともかくとして桜井のりおは漫画の天才であるまえに変態の天才だ。このことに異論の余地はない。
前作の大変態コメディ『ロロッロ!』とは異なり、アブノーマルな設定は極限にまで抑えられている(ここから市川の中二病が覚醒してネクロフィリアなどの性欲動を山田にぶつけるなんてことがなければ)『僕ヤバ』だが、むしろその抑制によってエロティッシュな表現が多様化しているのだ。何度でも繰り返そう。桜井のりおは変態の天才なのである!

『僕の心のヤバいやつ』の多様な変態描写のなかで今回取り上げるのがタイトルに挙げた【接触フェチ】。
フェチというのは簡単にいえば性器以外への偏愛のことを指す。一番よくあるのが服飾に関するもの。スーツとか学生服とか。あとは映画『サイコ』のように異性装などの服飾倒錯も含まれる。次によくあるのが体の周縁的な部位。ブス専くんみたいにふくよかなお腹が好きとかもそうだし、足立のように山田の脚線美に惚れるのもそのひとつである。
もちろん接触フェチなんて言葉は存在しない。でも列挙していくうちにその実態がぼんやり浮かび上がっていけばいいと思う。というのもSNSの感想ではみんな同じところに悶えているからだ。

最初はカッター。



変態の天才・桜井のりおはKarte.1で市川に刺殺を妄想させる。山田の図書室でおにぎりやお菓子をほうばる姿に動揺して解剖図を読みはじめる。殺人道具に見立てられるカッター。しかし社会の研究発表を不器用ながら制作している山田を見かねた市川は必死の思いでカッターを渡す。それを山田はそのまま持ち帰ってしまう。

後にわかることだが山田は手汗がすごい。

Karte.2において「僕の鋭利なものが山田の……中に……⁉︎」という自分が見下しているゲスなクラスメイトたちに引けをとらないキモい妄想にふける市川は、机に置かれたカッターを見て意気消沈するも、そこに残ったぬくもりに興奮する。そのぬくもりは山田が返し忘れないように登校中握りしめていたことの証だ。そしてこれから山田が自分のカッターで制作した資料で研究発表が行われる!市川の興奮はさらに強まる。しかし山田の汚い字は同じ班の女子にすべて直されてしまっていた。市川は「糞ビッチ」と内心で怒りをあらわにする。ショックを受けた山田は発表が終わったあと自席にて涙を流す。そんな彼女に注目がいかないように市川はみんなのまえで自分の作った発表資料をカッターで切り裂く。しかし山田はそのことには気づかない。
このカッターは、Karte.8で山田の汗に透けたシャツの中を見ようと近づく足立のことを足止めすることでその役目を終える。

カッターを媒介にして市川は山田と関係を持つことができた。それは市川にとって共同作業のようなものだったのだろう。Karte.3において市川が山田との共同作業に悶えている描写はこのことを踏まえてみるとより深まる。つまりこのとき「糞ビッチ」というふうに怒りをあらわにしていたのは山田と自分とのあいだに他人が闖入してきたのが許せなかったのである。独占欲強いぞ、市川。
これは連想が強すぎることを承知で言えば二人がKarte.3で擬する動物「猫」はある種の精神気質を示唆する小道具に使われがちだ。もちろん『僕ヤバ』では市川のそういった妄想はほとんど扱われない。

ともかく『僕ヤバ』の序盤にはこうした無機物を介した接触が多い。

市川はゴミを介した接触に興奮する。Karte.1のお菓子の袋、Karte.7のねるねるねるねの容器、Karte.16のパピコの蓋、Karte.20の練り消し。おまけではスープの入ったカップ麺や飴玉の包みなどなど。こういったゴミを介して山田と関わっていく。とくにお菓子の袋を真空パックで保存してるというのは普通にわりとキモい細部だ。

こうした婉曲的な接触のなかにはKarte.12のジャージという比較的ストレートなものもある。ただし、これもラブコメのクリシェとして適当に描いているのではなくKarte.14の血痕との接触の前置になっていると考えられる。
Karte.12で山田は生理痛のため保健室のベッドに横になっていた。顔が白いのはおそらくそのせいで貧血状態だったのかもしれない。市川はまったくそのことには気づかない。ジャージの匂いが「普通に汗くさい」と感じるのだ。これはホルモンのせいなのだろう(ちなみにKarte.33でジャージが入れ替わったときに匂いについては言及がない。ただ他の箇所で市川が山田の匂いに言及するとき例えばKarte.19では「すっげえ、いいにおいする」と表現される)。つまりこの時点で山田は血を流しているのに、市川はそのことにまったく気づかないのだ。そしてKarte.14で鼻からどばどばと流れる血によって、ようやく市川は山田のことが好きだと気づく。
山田の血が付着した体操着を真空パックする妄想をすることから、この血痕も市川にとって(あるいは桜井のりおにとって)は、お菓子の袋と同様、山田と接触するメディウムなのである。さすが変態の天才だ。

またKarte.15のティッシュがKarte.43において再出演することで読者である私たちの心をくすぐるのは、こうしたゴミを媒介にした二人のもどかしい接触が、そこでようやく仲直りのハグとして報われるからなのである。

一巻の後半あたりから徐々に身体への直接的な接触がはじまっていく。これもラブコメ御用達のふと手が触れるとかではない。きわめてフェティッシュな触りかただ。
まず作中で山田にはじめて触れる異性は市川ではない。Karte.6、あの伝説の自転車回。通称ナンパイは山田とLINEを交換しようと強引に腕を握りしめる。いままで背後で見ているだけだった市川が爆発するのは、この直接的な接触が契機になっている。独占欲強いぞ、市川。

また手を触れ合わせるにしてもKarte.13とKarte.30の繰り返しなど徹底的に必然性を求めている。Karte.13では飴を探して市川の拳を強引にこじ開け、Karte.30ではチョコを隠そうと山田の手を握りしめる。そこにまた心理テストの答えという要素も含まれてくる。このように一つの仕草のなかにいろいろな意味合いが重層化されている。

市川のみならず、山田もまたかなり変態的なことをする。 Karte.45で電話越しに山田が市川の手を自分の手と見立てて頭を撫でさせるというのはかなりな描写だし、現時点最新話Karte.54の片手を骨折した市川がお祈りする手に自分の片手を合わせるなんて……隻手音声とか言ってる場合ではない。
身体への直接的な接触もただ手を握るとか胸に触るとかそういうありきたりなラブコメクリシェとは違い、市川と山田だけに通じる独自の触りかたを積み重ねているのだ。それがTwitterなどで盛んに叫ばれるいわゆる「もうこれセックスじゃん」という感想の源なのではないだろうか。



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