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疲れたのはなぜか。認めたときに起こるブレイクスルー ♯光陰のクリスタル

『疲れた』

と、

初めて言えた。

やっとツカエが取れたと感じた瞬間。


私には大切なパートナーがいます。

この人と私は、言わば陰陽☯の関係性にあって、

替えのきかない半身であり、

同時にまったくの真逆でもあります


私が右半身なら、

この人は左半身というように。

対で真逆で

二人で一体。


パートナーとお互いに決めてから数年。

相方は私をとても大切にしてくれていて、

この人なりの努力をお互いの人生最大を更新しながら体現してくれています。

それはもう、本当に感謝ばかり。

なのだけど。


私の内には消えない疲労感が溜まり続けていて、何をしても消えない。

それもまた事実。

確かに、一生懸命考えてくれたものでもいつも的は外れているし、かゆいところに手が届くことも殆どない。

でもそんなことでここまではならない。

なんでかと言うと、

物や行動に託してくれた

“大切にしてくれる気持”が、

私には有り難いし嬉しいから。


なのに重苦しい疲労感。

コロナ禍・緊急事態宣言に伴い、肉体は強制休養となって、身体の端々までメンテナンスできたのだけど。

そんな時間を経て尚、

重だるい粘着質の、まとわり沈み込めていくような疲労感は無くならないどころか増えている。

私は、

感じ取りながらも認めたくありませんでした。

『こんなに恵まれてるのに、100%喜ばないのは罪。エゴ。』

そんなふうに思えて否定しました。

でも、在るものは、在る。


じゃあ、何?


私は、話し合いの時間を取ることをとても大切に捉えてきました。

これは経験から得たことなので、

いつもどんなときも、出来る限りこころみてきたこと。


パートナーとは尚更、この時間にものすごく集中してきたしこだわってきました。

この『こだわり』、注意しないと循環を堰き止めやすい。


私は、前のめりになっていたのかも知れません。

そして気付いた今だから言えるけど、自分の尺度が思ったより狭かったことが見えていませんでした。

充分気をつけてはいたけれど、それでも意識の壁があり、わからなかったのです。

例えばね、目の前にりんごがあったとします。

私は、

目の前のりんごの裏側や種だったころや、さらにその前のことを想定したり、なぜ赤いのか?疑問と仮説を立てたり…、

割と瞬間的に、いくつも考えます。 

でもこれは性質や得手不得手のものだから、そうではない人だってたくさんいます。

それもひとつの性質で、良い悪いではありません。


良し悪しや優劣ではなく、

『そういうもの』ということなだけ。

得手でも不得手でも、個性の話。

私と相方氏は、そういう違いがあったわけね。


私なりに愛あればこそ、

なんだけど、

相手も愛ゆえに、

なんだけど、

話せば話すほど、対話は成立せず、ディスコミュニケーションの谷は深くなっていく。

話は可笑しいくらい噛み合わない。


こんなに噛み合わなかったのは人生初だ!

というくらい噛み合わない。

ほんとに、コントのネタみたいなやり取りになっちゃう。

怒鳴ろうが何しようが、全く進展せず、不毛なままその数時間は実りなく過ぎ去り、再びやり直さなくてはならず、やり直したところで変わらず、そのことにも精神的限界を感じ始めていました。


そして今回。


またも数時間、しかも深夜になっても繰り広げられた不毛なやり取り。

喉も痛い。

息も苦しい。

そのあまりのくだらなさに、ついに冒頭の言葉に至りました。


『疲れた』

と。


その時、スーッと、

本当に初めてツカエがとれて、

みえたのは、

相方と私は時間の捉え方が違ったということ。


認めたら、みえた。


時間軸の概念が違うとは思ってきたけれど、

私が思っていたより、

ずっとずっとであり、そもそも質が違ったということ。


時間の捉え方が違うなら、

空間はもとより、他者、組織、社会、歴史、世界、言葉、あらゆることの捉え方が違ってきます。

これまでを振り返って、納得することばかり。

『あー、そうか…』

途中ではっとしました。

気付いた瞬間、

何をしても消えなかったあのヘドロのような疲労感が、スーッと消えていきました。


私は〈未来の話〉をすることをとても大切に考えています。

過去の話より最優先は、

『今後どうしていきたいか』

『どうなりたいか』。


ちなみに、相方氏はこの話が一切出来ないということが今回わかったこと。

これに気付かなかったことが、私の『トゲ』ね。

お互い仕事に関わるし、アファメーションの大切さをよく話し合っていたから、これは私にとって盲点になっていました。

振り返ればほんと、すぐわかるんだけど。

『身内』

という執着に溺れた。


これに気付いたら、

私の工夫はもっと深まる。

私達の共に在る時ももっと充実させることができる。

〈わかっている〉というだけで、

私のフォロー力が無理せず上がります。

人は、往々にしてそういうところあると思う。

だから、

相手もパニックにならず自分の感性で動きやすい。

こういう関係性から生まれる循環が円滑になればなるほど、クリエイティビティは上がっていきます。


時間の捉え方が浅かったり平板だったりすると、

刹那的な現象しか捉えられないようで。

だから、多次元視点を持つ人からみると、読みも浅く短絡的、世界観も自ずと平板になる。(悪口じゃないよ!注意点ね)

二次元の世界の人に、三次元以上の世界が見えない、

なんて例え、あるよね。

あんなかんじ。

でもそこに優劣はないし、ヒエラルキーもなくていい。


これは私、結構、人生の危機だったから。

なんかまた回転グルマから降りられました。

ふー、やれやれ。


【素直さ】【認める】

どれだけ小さなトゲでも、身体のどんなに端っこでも、

刺されば痛む。

そのままだったらそこから炎症していきます。

どんな小さなトゲも無視しない。

丁寧に、

諦めず、

ニュートラルポジションで俯瞰したとき、

これは大きなブレイクスルーを起こします。


2020.5.18


♯透明な栄養 ♯光陰のクリスタル

『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。