見出し画像

『話す』ことで拓く〜“shin”マイニング〜

ここのところ、新サロン開設というタイミングもあって、どんなことをしているかということをお話しする機会が多くなりました。
説明時間が10秒しかない時は『整体やお話し、アートワークを行なっております』と言います。
大概、伝わりません。
仕方ない笑

今年はおそらくとてもタイトなスケジュールで動くことになります。
これまでよりも、じっくりご説明できる機会が限られてしまいますため、noteに書いておこうというのが本ページの趣旨です。

先生のニヤリ


私はオリエンタル療法の施術家の方に人生の要所要所でお世話になっていて(多分、命にいますぐどうこうというわけではないけどQOLがダダ下がりという不定愁訴のようなことが起こりやすかったから)、中でも直接技術指導をして頂いたのは鍼灸師の先生方ということが重なりました。
不定愁訴というのは原因が特定できないことが多いですから、毎度“患者さん”として受療していると時間もお金も大変なことになってしまいます。
自分で日常のケアを考えなければならず、そういった課題に門戸を開いてくださっていたのが鍼灸師の先生ということだったのかもしれません。
複数の素晴らしい先生方に様々な知恵や技術を教わりました。
振り返れば、先生同士は全然繋がりがない方々ですが共通項があって、それは鍼灸の技術を施術のメインとしていないところでした。
ですからお話も鍼灸のお話で止まらず、さらに拡げたり掘り下げたものになります。

私が知りたい技術や分野のお話、それも核心に近づくと、決まって皆様ちょっといたずらっ子のような顔をして、『怪しいお話をします』とおっしゃいます。

どのように活用するかはあなた次第

私個人は『怪しい』とは思いませんでしたが、結局、自分がそういった分野の話をするときに、同じような前置きをしていて、苦笑いしてしまいます。

『見つけたものをお渡ししますが、どのように受け取るか受け取らないか、活用するかしないかもあなた次第』
そういうお気持ちだったのかなあと今思いを馳せています。

先生方はそれぞれに技に名前をつけておられましたが、それがとても不思議な名前で、何を意味するのか聞いただけではわかりません。
でも、内容を知れば知るほど言い得て妙で唸ってしまうものでした。
今も度々思い出しては『なるほど』と思うのです。

shinてなんだ?

本題に入りましょう。
shinというのは、『真、芯、心』つまり中心を表しています。
ここには『神』が入ることもありますが、それは精神の『神』であり、宗教ではありません。外部から情報として教えられる絶対的な存在のことではなく、自ら感じる神聖な領域のことです。日本の人が昔から大切にしていて、八百万のかみのように概念化したもの、というとイメージしやすいかも知れません。

そして、
これは私が便宜上使っていることばです。
他にちょうど良い言葉が見つからないのでこのように表現しています。
つまりは人が生きていく上でなくてはならないものを指しています。

なんでマイニングするの?

『人は考える葦』
そうパンセは言いました。

『考える葦』
17世紀フランスの思想家パスカルのことば。彼は代表作『パンセ』の有名な断章の冒頭で、「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎(ひとくき)の葦にすぎない。だが、それは考える葦である」と述べている。広大無辺な宇宙に比べれば、人間は無に等しく、「一茎の葦」のごとく弱く悲惨な存在にすぎないが、それは「考える葦」であり、思考によって「宇宙を包む」ことができる。ここに人間の尊厳があり、偉大さがあるという。このような偉大と悲惨、無限と無という相矛盾しあう二律背反のなかで、揺れ動く人間の存在を、パスカルは「考える葦」ということばで象徴させているのである。

コトバンクより


『考える』とは人が人であるために必要不可欠な行為です。
そして思考は言葉で構築されます。

想定ならばイメージで済む場合もあるかも知れません。
ですが、思考は言語でなければ構築できないものです。

若かりし頃、このことを聞いた私は大きなショックを受けました。
自覚がなかったからです。
確かに、私は思考するためにこれ以外の方法を知りませんでしたし、他に見つかりませんでした。
自覚なく行うからムラがあり、浅く、練られていない行為の質は粗悪でした。

自らが使う言葉を常に問い、その内訳を問うていくことは大変重要なことになるとこのときに気がつきました。
残念ながら、気がついただけでは変わり映えしないのもまた事実。
行為を変えなければ現実は変わりませんが、やったことがないためうまくいきません。
試行錯誤しながら、様々なケースを知ることになり、

そして
●自分のことになればなるほど
●意外なほど明確な言葉で把握するところまで行わないケースが多く
●そのことによって自らを苦しめる檻を壊せない…

そんな状態が散見しているということも、時を重ねるほどに実感していきました。


マイニングとは採掘を意味する言葉です。
(昨今、ビットコインの話題で必ず出てきますがここではビットコインは関係ありません。)

自らの内に注意を向け、
『自分はこうだ』『この場合はこうしかない』
と思っていることが本当にそうなのか?
問うていくこと、より的確な言葉で発掘する行為が【shinマイニング】です。

深淵を覗くものは深淵からもまた覗かれる

難しくはありませんが、イージーではないのがこの行為です。

質問はキッカケにすぎない

結局のところセッションで行う私からの質問は、キッカケにすぎません。
光をあて、掘り起こしていくのも、掴んでいくのも自分しかできないのです。

とはいえ、自問自答ではなかなか出てこない質問というのも多くあるものです。
自分の中に埋まっている結晶が何か、磨くとどうなるのか、やればやるほど愉しくて仕方ない
と言って重ねて訪ねてくださることを私は頼もしく嬉しく感じています。

では本日はこのへんで。

調光師ましろ


★1月のご予約は締切ました。
現在は3月10日から3月31日までのご予約を受け付けております。
ショートコースや特殊コースのご予約はリスケジュールの際に組めるかも知れませんので、いち早くご予約をご希望の方は配信をご確認ください。
instagramの@ahsh_creativeにてお知らせいたします。
お問い合わせは〜ココロの灯台〜ホームページの問い合わせフォームかlitlinkのフォームより随時お受付しております。

AHSH CREATIVE liltink

AHSH CREATIVE lilting



『透明な栄養』をテーマに有形無形の造形活動をしています。ホリスティック~全体観~という捉え方を活動の基盤にしています。この捉え方は、いのちの息苦しさが紐解かれたり、改善される可能性をかんじます。noteでは日々の思考研究も兼ねて、この考えをもとに書いたものをシェアしています。