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かみきり

「このお茶は枇杷の葉のお茶なんですよ。枇杷粗茶です」
「枇杷のお茶けか」
「そうです、そうです、枇杷茶でかっぽれです。袋の裏を見たらいろいろ書いてありました。アミグリタンサポニンビタミンBCクエン酸タンニン……。お茶を飲むだけでこんなにようけ体に入ってくるのかと思うと嬉しくなりました」
「嘘かも知んないじゃん」
「嘘でもいいのです。お茶のことをぶぶとも云いますね。『まあ、ぶぶ漬けでもあがっておくれやす』と京都の方に云われたら帰った方がいいです。……伊三郎はよううちに来ますねえ、他の子はそんなに来ないのに」
「此処、面白いもん」
「それはいいことです。休みになってすぐ来て、今日も来て……」
「あと一回くらい来られるよ」
「お父さんも大変ですねえ」
「父ちゃんも好きだって云ってた」
「嬉しいですねえ。盆正月に帰省するのを薮入りと云うんです。子供のおかげで娘はしょっちゅう薮入りですね」
「うちんとこは普通の住宅街だからね、こういうとこ面白いの」
「住宅街も楽しいですよ、血統書つきのわんころにたくさん出会えます。こういった犬はちゃんと床屋に連れていって散髪するんです。優雅ですね。この辺のひとは雑種しか飼っとりませんが、賢いですよ。いろんな血が混じってその分、頭がいいのでしょう。残った飯に味噌汁掛けたのを喜んで喰いよります。気にならないんですね、たまに残ったご馳走も入ってますから。ビフテキとかつくねとか。野良犬はもっと賢いです」
「そうなんだ」
「街に出てごみごみした処を歩いて、塵芥を拾って眺めるのもいいもんです。空き缶とか見ると楽しいですよ。昔はねえ、煙草を捨ててもモク拾いというひとが居ましてね、シケモクを集めて、それを解して紙で巻いて売っとったんです。そうすれば立派な煙草に戻る、転生するんですね。ポイ捨てもひとの為になったんですねえ。空き瓶も酒屋が買ってくれました。悪ガキは酒屋の裏から空き瓶を頂戴して持っていくんですな。賢いんですねえ。缶からもそうです。皆金になった。……今日は天麩羅を揚げると云っとったが、ようけ喰わんでいいですよ、胸焼けするから。大根おろしをがばがば喰えば消化が良くなっていいですけどね。それから、今夜は町内会の祭りがありますよ、近所のひとたちが夜店をやるんです」
「面白そうだね。ぼくもやってみたい」
「子供がやってる屋台というのも風情があっていいですね。何をやりたいですか?」
「うーん……。風船釣り」
「いいですねえ。此処の祭りは町内会がやるんです。近所のひとから集めた金でやってるんで、住民に還元せんといけません。金魚すくいでも一匹も取れなかった子には好きなのを選ばせて、くれてやるんです。香具師じゃそうはいきません、テキ屋はそれで喰ってるんですからね。まあ、死にそうなのだったら気前よくくれてやるでしょうけどね」
「優しいとこもあるんだね」
「優しいやさしくないは別にして、死んだ金魚を捨てる手間が省けるからです。貰った子はその金魚が元気になるよう尽くしてやればいいんです。いいことだらけです」
「ははは」
「わたしは熊になったことがあります」
「くま?」
「勤め先がバザーを開いたんですね。で、熊の係を申しつけられた。面白かったですよ。子供は熊さんだ熊さんだって喜んで寄ってきますしね、酔っぱらいはこの熊公めって搦んでくるんです。で、ぽかぽか殴ってくるんですよ。でも熊の頭をかむってますからちっとも痛とうない。つまみはどうですかって屋台の方へ連れてゆくと、かたじけねえって感謝されるんです」
「巧いやり方だね」
「そうですか? で、今度は何になろうかなあと思うとったら、その係はもう廻ってきませんでした。千八郎は馬になりたくないですか」
「考えたことないけど」
「馬は可愛くて賢いですよ。ひとの気持ちが判るんです。だから乗ったり出来るんですねえ。麒麟は乗り難そうですね。雀に乗ったら潰れちゃいますしね。乗る時は相手を良く見ないといかんですよ」
「おじいに乗ったりしないよ」
「海老一が乗ったって潰れやしません。象に乗るのは楽しそうですね」
「動物園に行って頼んでみたら?」
「そうしてみましょう。……『けんつく床』はどうでしたか」
「面白かったよ」
「床屋さんもねえ、ずーっと同じことをしていると飽きてくるんですね。髭をあたりながら手に持ったカミソリを眺めて、こいつの首をすぱーっと切ったらすかっとするだろうなあ、と思ったりするんです」
「床屋に行きたくなくなっちゃうじゃん」
「そんなひとばかりじゃありません。あれは『無精床』ともいいます。面倒くさいから掃除もしなけりゃ蜘蛛の巣も払わない、午間っからごろ寝をしてる有様でねえ。客がちょっと頭をやって貰いてえんだが……、って来ると何処持ってきゃいいんだと返す。頭アこさいて慾しいんだよって云うと、人形師じゃねえんだからそんなことは出来んと。髪を結い直していい男にしてくれって云うと、男前にするってえのは無理な注文だとぬかすんです」
「自分の仕事、判ってないんじゃないの」
「ちゃんと判ってます。髷はこの通りに、って云うと、そいつア無理だ、結い直せばきれいになっちまうと。水も客に汲ませようとするもんだから、そこの小僧を起こして汲みに行かせろってね。汲んである水にはぼうふらが湧いてるんですけど、杓でコンコンやれば沈むから大丈夫だって云うんです。呑気なもんですねえ。寝惚け眼の小僧が飯を喰いだすと、『たまにゃあ仕事しやがれ』って客が怒っちゃうんですね。小僧は奉公してから生きた人間の頭をあたったことがないので緊張しちゃって、ぶるぶるふるえてるんです。やられた方は痛いのなんの。文句をつけると、戦に行ったつもりで命懸けで堪えろと云うんですな、親方が」
「ひどいよなあ」
「で、帰りがけに血が出てきた。てめえ切りやがったな、って怒鳴ると『おお、ちゃんと切れたじゃないか』とね」
「縫うほどじゃないって落とすんだね」
「そうです。切るのが商売ですからね、いいんです」
「髪の毛以外、切っちゃ駄目だよ」
「体を切るのは医者の仕事でしたね。大工や樵は木を切ります。熟練したひとにやらせれば大丈夫ですよ、怖がることはないのです。最近のひとは頭にくるのを切れると云うようですね。切り慾にかられるのでしょう」
「そうじゃないと思うけど」
「違うんですか。……こうね、なんじゃいこりゃというもんを見ても、作った方は満足してますし、こさえられた方も存在出来て満足してるからそれでいいんです。見てて困惑するようなひとも、当人が満足してるならとやこう云う筋合いはありません。厭だったら見なきゃいいんです。亮二もそう心掛けると幸せな気分になれますよ」
「正解」
「そうです、もの判りがいいですね」
「名前のことだよ」
「亮二なのは知ってますよ。ちゃんと数字がつくことも判ってます」
「数字ってのだけが滲み込んでるみたいだから」
「……『淀五郎』という噺もあります。西洋には『灰かぶり姫』というのもあるんですが、棚ぼたの話ですね。灰かぶり娘は継母やその娘から苛められて、暖炉の掃除やらなんやら下女のようなことをして暮らしとったのです。灰だらけなんでそう呼ばれるんですな。結構毛だらけ猫灰だらけです。……で、偶然王子様と出会って恋に落ちて、めでたしめでたしとなるんですよ。幸せ者ですね。高貴なひとから見初められて婚姻するというのは女性にはままありますが、男の場合は難しいですね。女性は損得ずくでものを考えますから、面が良くてもお足がなければ、話し相手くらいはしてくれても所帯を持とうとはしません。苦労ばっかりですからね、 そんなことをしたら。コクトオ菌がついた男性ならば灰かぶり倅になれます」
「ふうん」
「最近は電話で写真が撮れますねえ、いいことです。持ち歩く電話の会社でイドーとかいうのがあったらしいんですが、単純明快でいいですね。電話が動くから『移動』、判り易いです。懐とかいうのはないんですか」
「聞いたことない」
「そうですか。……子供が撮った写真は特にいいですねえ、邪心がなくて。光りは三原色と云いましてね、赤青黄色で出来ているんすよ。ものが見えるのは光りがあるからなんです。鼻を摘まれても判らない暗闇で何も見えないのはその所為です。フィルムにはASAと謂うのがありましてね、感度の単位です。昔は100や200を使いましたが、ちゃんと撮れました。フィルムはニトロセルロースで出来ててね、燃え易いんですよ、これが。こういうフィルムで火事になってしまった映画がありました。映写技師のじいさんを助けようとして、映画館に通い詰めとった少年が小さな体でうんこらせと助けるんです。じいさんはこの火事で大火傷をして盲いになってしまうんですねえ。……で、映画が大好きな少年にいろんな話を聞かせてやるんですがね、この子が映画監督になろうと決心して村を出る時に自分が納得するまで決して帰ってくるな、電話もするなと云うのです」
「そうしたの?」
「自分に満足しとる訳じゃなかったんですが、じいさんの訃報を聞いて駆けつけるんですよ。すると、懐かしい町がまるで都会のようになっとるんですな。映画館も取り壊すところだったんです」
「可哀想だね……」
「違うんです。昔、観てはならんと検閲されとったフィルムを、じいさんが残しておいてくれたんですよ。観てはいけない部分を鋏でちょきちょき切ってしまうんですね。そして、たくさんの映画のたくさんの観られなかった場面をぜんぶ繋ぎ合わせたの。で、襤褸襤褸の映画館でそれを観るんです。もう中年男で監督としても認めらとったんですが、それを観て涙を流すんですな。……いい話です」
「ふうん」
「……フィルムはそれからアセテート・セルロースに変わったんですけど、劣化が早いんでね、ポリエステルに変えたりしていました。昔はそれこそ動物園の売店でも売っていたんですけど、最近は見掛けませんねえ」
「デジタルだからね、今は」
「ネガフィルムとボジフィルムとあって、ネガは陰と陽が逆転しているんです。面白いですねえ。穴が並んでおって、これをパーフォレーションといいます。入ってる筒はパトローネと云うそうです。サクラカラー富士フィルムコニカアグファコダックと、いろんな会社が作っておりました。カメラには関係ありませんがブリヂストンという会社は石橋さんが作ったからそうつけたんです。ブリッジ・ストーン、石の橋ですね。きっと落語が好きだったんでしょう」
「親父ギャグなんじゃないの」
「そうですか。……白熱灯の光だと黄色っぽい写真が撮れます。黄色が我もわれもと主張してるんですね。暗闇の中でもカメラの中の羽根を広げたままずーっと頑張ってると、星や魂が写ります。昔のひとは写真に撮られると魂が抜かれると恐れていました」
「へえ。ぼくも写真撮られるの嫌いだけど」
「魂を抜かれたりはしませんよ、逆に死んでも残るんです。フィルムを現像した後の液体には銀が入ってるんです。フィルムを覆う乳化剤に銀が使われておったので、それが溶け出すんですね。だから銀塩カメラと云っとったんかねえ……。世の中、宝の山です。銀八郎は写真を撮りますか」
「撮ったことない」
「目に見えるもので満足してるんですね、いいことです。カメラの形は面白いですよ、何人が作ったかで様々あります。昔は十二枚しか撮れないフィルムがありましてね、なんとかそれでたくさん撮ろうとハーフ・カメラというのが開発されました。倍撮れるんですね、貧乏人にはありがたい話です。わたしはオリンパスPENを使っておりました。可愛いんですよ、これが。軽いからペンのように持ち歩いて慾しいと名づけられたんですね。知人はアグファのPARAMATを持っとりました。洒落たカメラでねえ、レンズの廻りが白いんです。独逸のカメラなんですがパリ人が考えたんでしょうね。日本にはニコマートなんて可愛らしい名前のカメラもありました。いいですねえ」
「そんなもんの名前覚えてて、なんでぼくの名前を忘れちゃうのかなあ……」
「なんですか?」
「ひとりごと」
「三辻郎はよくひとりごとを云いますね」
「ピントがずれてんだ」
「ずれててもいいんですよ。多いに結構です。ずれ捲くって下さい。ピントが外れた写真は面白いです。写真を撮ることを『風景を切り取る』と云うひとも居ます。切り取って保存するのは楽しいですよ、新聞とかね」
「おじいの部屋はそういうのでもの凄いことになってるよね、ぼくも片づけんの苦手だけど」
「自分で何処に在るか判っていればいいんです。覚えてなくても探してるうちにいろんな発見があります。探検隊みたいで楽しいですよ。帳面を探すだけでいろんなものが見つかるので、日記に書くことが増えます」
「日記なんか書かないよ」
「ひとそれぞれです。助六は記憶力がいいからつけなくたっていいんです」
「寿司みたいに呼ばないでよ」
「寿司は嫌いですか」
「好きだよ」
「ならいいじゃないですか。好きなものの名前をつけて貰えるなんて幸せ者です」
「……まあ、いいや」

 …………………。

「午は大葉の天麩羅ばかり喰っていましたね」
「美味しいから」
「大葉が好きとは風雅ですねえ……」
「茄子も食べたよ」
「屋台では何が食べたいですか?」
「塩焼き蕎麦かな」
「屋台ではお多福ソースのしか売っとりません。無理を云っちゃいけませんよ」
「見て考える」
「じゃあ、祭りに行きましょうか。……詠七、脱いだ靴はちゃんと揃えるよういつも云ってるでしょう」
「ちゃんと履けるからいいじゃん」
「外が硝子の破片だらけで一刻も早く出なきゃならん時、散らばった靴に足を突っ込むのときちんと向きを揃えてある靴を履くのと、どっちがいいですか」
「……ああ、そうか」
「吝ん坊は夜になっても灯りを点けません。客人が暇乞いをしようとすると、脱いだ草履も見えやしない。それでも火打石すら貸さんのですね、すり減るから。 で、額をゴンと叩けと云うんです」
「目から火が出るからね」

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