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ゆきみちさきみち

「半クラッチだって云ってるだろ、なんでそんなぱっと離しちゃうんだよ」
「一応やってるんだけど……」
「本当に微妙な動きが出来ないのな」
「今時、マニュアル車に乗ってる方がおかしいんだよ」
「おまえ、マニュアルで免許取ったんだろ。どうやって試験、通ったんだよ」
「仮免、二回落ちた癖に」
「そこを責められたって痛くも痒くもないね」
「だってわたし、滞りなく免許取れたもん」
「そこがおかしいんだよなあ。賄賂でも渡したんだろ」
「そんなお金、ないよ」
「おまえに色仕掛けが出来るとも思えないし」
「なんでそう云い切れるの」
「どこらあたりに色気があるんだよ」
「ないけど」
「自覚はあるんだ」
「でも、ひとに云われるのは厭」
「一応、自意識はあるんだ」
「ひとのこと馬鹿みたいに云わないでよ」
「馬鹿と云ったら馬鹿のひとに失礼だよ」
「ひどい」
「だって、わざわざこんな広い駐車場まで来て、一ミリも車動かしてないじゃん。自動車って云っても勝手に動く訳じゃないんだぞ」
「半クラッチね」
「なんだ、この凄いノッキングは。むち打ちになる」
「動いたからいいじゃない」
「動けばいいってもんじゃないだろ。ブレーキ踏んで。停めてくれ、死にたくない」
「車なんか一台も停まってないし、障害物もないじゃない」
「首が折れて死ぬ」
「これくらいで折れる訳ないでしょ」
「取り敢えず、車降りて」
「なにするの」
「おれの足、踏んでみな」
「いいの?」
「いいから」
「じゃあ、失礼します」
「誰が踏みにじれって云ったんだよ」
「ごめん」
「普通に踏んで、ゆっくり離してみなよ」
「こう?」
「さっと離してるじゃんか。だからエンストすんだよ」
「ゆっくりね」
「そうそう」

 …………。

「なんでお父さんの跡、継ぐ気になったの」
「せっかく店があるのに、潰すの勿体ないじゃん」
「お義姉さんが旦那さんとやるって云ってたんでしょ」
「今もやってるだろ」
「そうだけど……」
「厭なの?」
「そんなことないよ。お義姉さん優しいし、お義兄さんも親切だし」
「一良さん、あんなおひと好しだから脱サラして良かったと思うよ。営業マンなんて絶対向いてなかった」
「押し弱そうだもんね」
「でも根性あるよ。他所の店、百軒も試食して廻ってさ」
「そんなことしたの」
「姉ちゃんはさあ、一杯二百八十円の饂飩に親父みたいなこだわりは要らないって云うけどさ、うちの味目当てに来てる客も居る訳だし……。親父には『おまえはまだコシが駄目だ』って、男としては致命的なこと云われたけど」
「コシの意味が違うでしょ」
「あー、イヤラシイこと云って。おまえ、さては助平だな」
「変な云い掛かりつけないでよ。汁の色が薄いってよく云われるんだけど」
「汁じゃない、出汁。うちのは関西系、っていうか、讃岐饂飩に近いからなあ。でも味はしっかりあるんだよ。鰹節だけじゃなくていりこの方を多く使ってるし。まあ、どっちかっていうと麺勝負なんだけどな。しっかり手打ちだし。つーか、饂飩は足で踏むんだけど」
「お祖父さんが香川の出身だったんだよね」
「丸亀な」
「麺から作って二百八十円って、此処ら辺りにはないと思うけど」
「ないねえ。普通、採算が合わない」
「儲け抜きでやってるの」
「んな訳あるか。ひと使ってないからだよ。うちは家内制手工業……、生産か」
「他所は人件費が高いんだ。うちはたいして宣伝してないのに、お客さん多いよね」
「安いから一見の客も来るけど、常連が多いからね」
「鉄工所のみっさんたち、お午も夜も来てくれるもんね」
「労働者の味方だからな、うちは」
「大盛りで食べてってくれるし、李さんなんかいっつも卵二個だもん」
「あのひと、なんでもひとより多めに入れるんだよ。葱もかつぶしも」
「パンさんなんか天麩羅大好きだし」
「タイじゃ珍しいのかなあ」
「アンさんはお稲荷さん好きだよね。時々、持ち帰りまでするし」
「そういうところで儲けが出る」
「ああ、そうか」
「うちの辺りは工場が多いからな。みんな体動かして、腹減らして、賃金が安いから上等な店なんか行けないだろ。だからうちみたいな肩肘張らずに這入れる店が繁盛するんだよ。それに饂飩っていうのは腹持ちしないのな。だから、天麩羅とか稲荷寿司とか喰ってく訳」
「饂飩にお稲荷さんって、変わってることない?」
「うーん。祖父さんの田舎行った時に這入った店には、普通にあったけどなあ」
「讃岐流なんだ」
「よく判んないけど」
「調べたりしないの」
「既に親父の作った伝統があるからねえ」
「お父さん直伝なんだ」
「幸い頑固親父じゃなくて、見て覚えろとか云わずに懇切丁寧になんでも教えてくれたからな」
「一年半くらいしか知らないけど、わたしにも凄く優しかった」
「怒ったとこ、見たことないもんなあ……」

 …………。

「ニュートラルから一速にして」
「普通、ファーストって云わない?」
「うるさい。半クラッチ出来るようになってから口答えしろ」
「あー、にょろにょろ動いた」
「出来たじゃん」
「これ、クリープ現象?」
「マニュアル車にそんなもんないよ。半クラだとそうやって動くの。まぐれかも知んないから、もう一遍やってみて」
「……駄目みたい」
「なんでだよー」
「もう一遍やってみる」
「何度やってもおんなじだと思うけど」
「なんで、がくんってなっちゃうのかなあ」
「不器用なんだよ。繊細さがないんだ」
「練習すれば出来るようになるよ」
「百年くらいな」
「そんなにしなくても夕方には出来るようになる」
「後三時間くらいか」
「ほらほら」
「おお、また出来た」
「バックしてみる」
「冒険するなよ」
「このまま行くと向かいの植え込みに突っ込んじゃうもん」
「じゃあ、運転代わるよ」
「それじゃあ上達しないじゃん」
「今日は発進させることだけに専念してくれ」
「車校でさんざんやったんだけどなあ」
「それ、夢の中の話じゃないのか」
「免許証、ちゃんとあるよ」
「偽造したんだろ」
「そんなことする訳ないじゃん」
「なんでもいいから、場所代わって」
「するするって、なんでもないみたいに運転するんだね」
「四、五メートルバックしただけで感心するなよ」
「またエンジン掛けるところから始めるのかあ」
「そこら辺の小僧でもやれることが出来ないおまえが悪いんだろ」
「だから夕方までには出来るようにするってば」

    +

「あれ、どうしたの、その暖簾」
「威頭盧のおじさんがだいぶ草臥れてきてるからってくれたのよ」
「さすが紺屋だけあって気が利くなあ」
「お礼はいいからって云われたんだけど、そんな訳にはいかないから今、お稲荷さん作ってるんだけど……」
「楼蔵はどうしてるの」
「残業ばっかりしてるって」
「あいつ、オタクだからなあ。コンピューター関連の会社に勤めたらそうなると思った。いまだにバイクで通ってるのか」
「そうみたい」
「そのうち事故るんじゃないの」
「昔、うちの配達ただでやってくれてたわよねえ」
「バイク乗り廻したかっただけだよ。無免、ノーヘルでとっ捕まって、親父がおまわりに大目玉喰らってたじゃん」
「ああ、光治君、帰ったの」
「もう大変でしたよー。車動かすだけであんだけ手間が掛かるとは思わなかった」
「あはは。由子ちゃん、そういうの苦手そうだからねえ」
「苦手どころの騒ぎじゃなかったですよ」
「それよりもねえ、小麦の値段が上がるらしいんだよ」
「また?」
「塩とかは上がらないみたいなんだけど」
「きついなあ……」
「饂飩の価格は変えたくないからねえ、副菜の方……、揚げものとかを引き上げるしかないかなって話してたんだけど」
「それしかないよなあ。並が二百八十円って定着してるし、それで客が来てんだし……」
「薬味をこちらで入れようかとも考えたんだけど、それは駄目だよね」
「それはちょっとねえ」
「じゃあ、副菜、稲荷、おにぎりをアップするっていうことでいいかな」
「しょうがないでしょ」
「揚げものの小麦は別のを使ってるし、米だって特別なの仕入れてないからバランスは取れると思うよ」
「詐欺みたいだなあ」
「お客さんも景気のことくらい判ってるから、苦情云ったりしないよ」

   +

 ……その五年ほど前。

「しっかし、おまえも相当なおひと好しだよなあ。半年も二股掛けられてたのに、いまだに友達でいてやるなんてよ」
「いやあ、正直に云ってくれたし、あんだけ平謝りにあやまられると怒る気にもなれないっていうか……。悪い娘じゃないし」
「おれだったら廻し蹴りのひとつくらい喰らわしてやるけどな」
「……あの娘、何やってんだろ」
「券売機の使い方が判んねんじゃねえの」
「居るか? そんな奴」
「って、なんで行くかな。本当にお節介焼きだなあ」
「学食、はじめてなの」
「わあ、吃驚した」
「後ろからいきなり声掛けたからか、ごめん」
「どれがいいかなあ、って悩んじゃって」
「取り敢えず、定食とかランチのセットメニューは避けた方がいいよ」
「どうしてですか」
「不味いから」
「じゃあ、チャーハンにしようかな……」
「ああ、それ、おれが今喰ってる……。って、なんで隣のオムライス押すの」
「こういう機械、はじめてで……」
「豆粒みたいなボタンじゃないんだから、普通間違えないでしょ」
「すみません」
「謝んなくていいけどさ。その出てきた券取って。飲みものは」
「ウーロン茶を……」
「おばちゃん、ウーロン茶とこれ」
「コンビニみたいにこちらから開けられないんですね」
「こっちから勝手に持ち出せたらパクられちゃうよ。おばちゃんたち忙しいから見張ってられないし」
「ご一緒させて貰っていいんですか」
「別にいいよな」
「構わないよ」
「あ、紹介が遅れました。今年、文学部に入った加藤由子です」
「えーと、おれは去年入った工学部の梅原光治で、こいつは威頭盧楼蔵」
「去年入ったって表現はねえだろ。浪人してたりダブってたりしてたら、年が判んねえじゃん」
「……楼蔵って、変わったお名前ですね」
「恰好いいだろ」
「困惑させるようなこと云うなよ。ところで、今までは何処で飯喰ってたの」
「コンビニでお弁当買ってきて……」
「友達と?」
「高校の時の友達はみんな別の大学行っちゃって、まだ馴染めなくて」
「五月病か、もしかして」
「楼造……」
「そんなんじゃないですよ」
「ああ、おばちゃんが十二番のオムライスの方ー、って呼んでるよ」
「……なんか鈍くさそうな女だな」
「チャーハンにするっつっといて、オムライスのボタン押したくらいだからな」
「ないだろ、それ。ウケ狙ったんじゃないのか」
「そんなとこでボケかまして、なんの役に立つんだよ」
「カウンターから此処まで来るのに、なんでそんなに掛かるの」
「トレーからお皿が落っこちそうで……」

    +

 ……その一年後。

「南地区の端の方って工場が多いんだね」
「此処ら辺のは町工場みたいなのばっかだよ。本当の工場地帯はもう少し向こう」
「来る途中に大きな霊園があったね」
「ああ、旧市から移す時に都合が良かったんじゃないのかな」
「あ、『梅原うどん』。味のある店だねえ」
「先、店に這入ってて。裏に車、停めてくるから」
「はーい」

「光治君、もう帰ってきたの」
「ええ、家で喰おうと思って」
「わざわざ一番忙しい午飯時じゃなくてもいいだろう」
「うちの饂飩、喰いたいって奴連れてきたんだよ」
「ハルちゃん、店の手伝いかい」
「そうじゃないけど。みっさんたち、日曜なのに仕事なの」
「今、忙しいのね」
「忙しいのイイコトです」
「あれー、居ないなあ」
「連れが居んの」
「大学の後輩……。あ、威頭盧のおっさん」
「外で女の子がぼーっと突っ立ってるけど、ハル君の知り合いか」
「なんで這入んないの」
「ちょっと這入り辛くて……」
「お化け屋敷じゃないんだから」
「なになに、ハルちゃんの彼女?」
「いらっしゃい、光治のお友達?」
「はじめまして」
「大学の後輩」
「珍しいわねえ、あんたが女の子連れて来るなんて」
「うちの饂飩、喰いたいって云うからさ」
「こんな時間だから、悪いけど奥で召し上がってもらって」
「判ってるよ」
「おじゃまします」
「やあ、いらっしゃい」
「光治君の彼女かな」
「なんでもいいじゃないですかー」
「素人さんに食べ易いのは釜玉かな」
「おお、さすが親父。おれとおんなじこと考えてる」
「おまえが作ってやりな」
「意味ないじゃん」
「お父さんが麺打って出汁作ったんだから、後はおまえがやっても一緒だろう」
「まあね」
「わあ、すごく豪華なんだねえ」
「豪華ってほどのもんでもないけど、天麩羅多すぎたかな」
「麺が違うー。すごくもっちりしてる。こんなの食べたことない」
「嬉しいこと云ってくれるねえ。いい娘、連れてきたな」
「光治君も食べないと」
「あ、すみません。かけ持ってくるとは一良さん、読心術でも操れるの」
「だってこれ以外、滅多に食べないじゃない。それだけじゃ足りないだろうから稲荷とおひたしね」
「気が利きますねえ」

   +

 ……その一年半後。

「で、店はどうするの」
「お姉ちゃんと一良さんで、ふたりでやってくわよ」
「麺は誰が打つんだよ」
「今までだって、あんたがお父さんと夜に仕込んでたでしょ。これからもそうしてくれれば……」
「午飯時はふたりじゃ間に合わないよ。おれも一緒にやるから」
「だってあんた、就職の内定決まってるじゃない」
「そんなの、断れば済むことだろ」
「駄目よ、そんなの」
「もう決めたから」
「お父さんだって許さないわよ」
「もう、上がってっちゃったよ」
「云い出したら聞かないんだから」
「光治君、お義父さんのこと尊敬していたから、いづれ継ぐつもりだったと思うよ」
「それは判ってるけど……。うちはこういう商売じゃない、だからあの子は勤め人になって普通の家庭を持ちたかったに違いないのよ。そんなちっぽけな夢も叶えてあげられないなんて……」

   +

 大鍋に入った小麦粉に塩を入れ、加減しながら水を入れる。「土三寒六常五杯」という言葉が古くからある。土用の頃は一杯の塩に三杯の水、冬は水を六杯、通常は五杯にする、という意味である。
 先づは手で捏ね、一塊にする。力が要る。それから更に足で踏む。昔は御座を被せて足で踏んだが、現在は衛生面を鑑み、ポリエチレンなどのシートを使用している。生地を熟成させる為、これらの作業は前の晩に行われる。
 薄めの出汁をかけ、天かすや蒲鉾だけが具材となるものは「かけ」、茹でたての饂飩を出汁につけて食べるのを「釜揚げ」、濃いめの出汁を少なめにかけたものを「ぶっかけ」、湯切りした釜揚げの饂飩玉に卵、薬味、出汁または醤油をかけたものを「釜玉」と呼ぶ。並や大盛りというのは饂飩玉のことで、「釜玉」以外は大盛りになると一割増の料金になる。
 梅原うどんの饂飩のメニューはこれだけである。


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