見出し画像

石榴爆弾

 崖っぷちで、馬鹿な女が馬鹿な男と諍いを起こす。
 女は男を突き落とし、頭を下にもがくように墜ちてゆくその姿を、無表情で見つめていた。
 くだらないドラマの中ではよくある、陳腐でありきたりな光景だった。
 実際に起こることとは誰も思わないだろう。
 男は波間に消えた。
 鱶の餌食にでもなるだろう。
 魚らが突つき廻し、すべての肉片が喰いつくされ、白い骨になるだろう。
 女はそんなことなど、気にもしないだろう。
 その頃には、もう、忘れてしまっているだろう。
 或る時、何処かの浜辺に男のされこうべが打ち上げられたとしても、潮に晒され、あちこち欠けて、いつしか砂に埋もれてしまうだろう。
 誰も見つけることはないだろう。
 猫がその上を歩いてゆく。
 浜辺では、打ち寄せられた流木を集めて燃やしている。
 群青の空を焦がすように、燃え上がる炎でひとびとの顔は、鬼のように赤く染まっている。
 やがて火を囲み、酒宴になり、誰かが唄い出す。
 海で死んだ船乗りの歌を。
 誰も男の歌を唄わない。
 誰も彼を知らない。
 女は次の獲物を見つけ、甘えた声で何かを囁きかける。
 もうひとりの馬鹿な男に向かって。
 あたらしい男は、ねだられたものを買い与え、高い食事に連れてゆく。
 女は我が身を装飾品に切り替える。
 男が自慢げに連れ歩けるように。
 嘘を厭わない女。
 詐欺師の女。
 道化師の女。
 罪の意識を持たない罪人は、ネオンで彩られた街を、平気な顔をして歩く。
 あたらしい馬鹿な男の腕に腕を搦ませて、華奢な靴の踵のように、頼りない振りをする。
 女の希いが何処にあるのか、死んだ男の希いが何処へ行ったのか、巷のひとびとは何を希っているのか。
 それは叶えられなかったし、叶えられないだろう。
 そんなものは、泡沫のように、消えてしまうのだ。
 掬い上げて読み取ってくれる者は居ない。
 愚かに神を思うのはよせ。
 とりとめのない生、とりとめのない死。
 この星の上で、最初に死んだのは誰か、最後に死ぬのは誰か。
 指でさして、示して慾しい。
 それが誰なのか。
 生まれた赤子は、のびてのびて、やがて縮んでゆく。
 元に戻りたいと希うように。
 女の体には青い血が流れている。
 絶対零度の、青い血が。
 唇を、爪を、どれだけ赤く染めても透けて見える青い血。
 晴れた日の海に、子供らがはしゃぎ廻る。
 男の乾涸びたされこうべの上で。
 波打ち際を駆けて、水飛沫を蹴立てて、笑い声を立てる。
 貝殻を集める。
 その中に、男のされこうべの欠片がある。
 子供らはそれを知らず、砂で築いた城に貼りつけている。
 此処からは見えない、高い崖から落ちた男の頭蓋骨は、子供の玩具と成り果てた。
 それは幸いかも知れない。
 忘れ去られるより、幸いだったのかも知れない。
 つまらないサスペンス・ドラマのように、殺された哀れな男の末路。
 城に飾りつけられ、幸いだったのだ。
 ふたたび、波が攫って、海に戻るだろう。
 男の欠片が海中をひらひらと漂うだろう。
 そして、海底の砂にふたたび埋もれるのだ。
 女は新しい馬鹿な男を絡めとり、花嫁衣装を着るかも知れない。
 白いドレスで、紗のベールをかむり、たおやかな振りをするだろう。
 赤い絨毯の上を、静々と歩いてゆくだろう。
 黒い涙を流すだろう。
 花束を投げろ。
 あの崖の上から。
 石榴をもぎ取り、懐中に忍ばせる。
 微笑む女の、差し出す手の上にそっと乗せてやろう。
 これは爆弾だ、と云って。
 
 

画像1



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?