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おぢぎしてまいりましょう

 そこそこのアパートの部屋に、こそこそとひとりの男が這入ってきた。別にこそ泥ではない。では、ナニ故こそこそしてるのか。それは同居人、と云うか勝手に居座っている山田一要なる青年が、実にドメスティック・バイオレンスな人間だったからである。
 殴る蹴る、ものを投げつける、そこまではまだいい。世間一般の男子より女出入りの激しい彼はどうした訳か、此処の世帯主である男に接吻する癖があったのである。
 部屋の主が調べたところ、何処をどう突ついても、件の青年が同性愛者である可能性は限りなくゼロに近かった。
 男の名は小島孝次。珍しくコジマではなく、読みは「コシマ」と濁らない。だからどうという訳でもない。職業は役者であるが、脇役専門の今ひとつぱっとしない男である。それでもひとりで暮らしていける分くらいは稼げるようになった。以前は役者稼業よりアルバイトの方が忙しかったのだから、出世したものである。
 それに引き換え、一要青年は会社社長の御令息。彼以外の人間には折り目正しく真面目に振る舞うので、身近に居る者以外はその異常性には気づかなかった。就職もせず世間的にはグレているようにしか思えないこともしていたが、今はおとなしく、小島孝次に暴力を揮うだけの生活に収まっている。
 ひとりだけに迷惑を掛けているならいいだろうということで、親も黙認していた。実に不運な男である。
 さて、少々妙ちきりんな一要青年の携帯電話も飛んでこないし、玄関から這入ってすぐの部屋には姿もない。
 やれやれと鞄を置いて、煙草に火を点けたところまではよかったが、油断をすると災害は起きるものである。かこーん、と後頭部に何かが当たった。
 百円ライターである。
 投げたのは勿論、一要青年。起き抜けらしく目を擦ってはいたが、暴力だけは欠かさない律儀な男なのである。ライターを握りしめ、怒りを露わに振り返った小島は、固まってしまった。
 何故か。
 それは、今朝見た時は普通に黒かった髪が金髪に、というか、それを通り越して銀髪になっていたからである。
 出会って以来、散髪をしなかった青年の髪は、女のように長かった。いい加減、床屋へ行けと思っていたのに、此処まで極端に脱色するとは呆れかえる。ひと呼吸おいて、これは恐らく脱色剤を使用した際、眠り込んでしまったのだろうという結論に達した。青年は唐突に眠り込んでしまう奇病の持ち主であったのだ。
 理由を訊こうにも、青年は小島に殆ど口を利かない。
 うんざりしたようにソファーへ座る小島孝次の隣へ、怠そうに腰を降ろした一要は、当然のように彼の手から煙草を取り上げ、のうのうと烟りを吹きかけた。ひとがむかつくツボを心得ている。ナチュラル・ボーン・傍迷惑。
 いいものである、こんなことがまかり通る身分というのは。
 小島孝次の名が世間に知れたのは、当時つき合っていたコアに人気のあった若手女優が刺殺されたのがきっかけである。
 悲劇のヒーロー。
 だった筈なのだが、なにしろ特徴のないのが特徴という、役者としては致命的な欠陥をもった彼は、友人の映画監督である木薪八郎が「短編の神様」と脚光を浴びる中、瞬く間に過去のひとになってまった。
 だが、捨てる神あれば拾う神あり。世間一般に埋没してしまい、何処の誰やら判らなくなってしまう彼は、そのおかげでどんなものにでもなれた。別に演劇に興味があった訳ではないが、この手の人間を天性の役者というのだろうか。どんな役でも彼なりにこなし、要求以上に演じてみせた。
 という訳で、生活に困らないだけの仕事は入ってきたのである。
 大学時代からの友人である木薪八郎、通称キハチの監督作には必ず顔を出し、意味不明の端役から暴力団構成員のウエイター、雨蛙をこよなく愛する男、便所に立て籠るテロリストなど色々演じたが、その裡の一本で、山田一要と引き合わされた。
 主役の女の子を男に変更し、彼はやたらと馴れ馴れしい背後霊の役だった。生まれてはじめて演じたキスシーンの相手が男だったのは、哀れとしか云いようがない。
 突発的に凶暴になる一要も、役に立つことがあった。彼は独学ながら、クラシックからジャズまでギターには堪能だったのである。で、何故か小島はベースギターを教わった。恐らく弦が少なかったからだと思われる。ギターを弾ける人間は、ベースくらいは普通こなせるものである。
 そのうちバンドマンの役でも来たならば、ベーシストを演ずることが出来るであろう。彼らしい、地味なポジションである。
 小島孝次、三十三才、独身。つき合っているのは絽灯崎きりえという、よく判らない名前の女だった。予定外の出産が続いて、もうこれきりでお仕舞いに、という意味を込めてつけられた名だった。いい加減な親である。避妊するということを知らなかったらしい。
 おかげで今時珍しく、五人兄弟の四番目だった。
 つまり、彼女の後にまだ孕んでしまった訳である。此処までくると、馬鹿とか無知では追いつかない生の人間の、というか、動物の本能を思い知らされる。それでも全員、しっかり育て上げた根性は見上げたものという他はない。
 稼業はサラリーマンをしながらの兼業農家であった。
 何を作っているかというと、小玉葱である。ペコロスという名で流通しているが、農家のひとびとはは皆、「ちっこい玉葱」と呼んでいる。こんなもので生計が成り立つかというと、成り立たないからサラリーマンの傍ら農業をやっているのだ。しかし、その近辺の農家は挙って小玉葱を作っている。作地が合っていたのであろう。
 何処に卸すかといえば、殆どが洋食産業であった。カレーやシチューにカットした玉葱ではなく、ころんとした小さい玉葱が入っていた時には、この国のまんなか辺りの、地味な半島に思いを馳せて慾しい。
 そこでせっせとおとっつぁん、おっかさんが畠を耕し、ちっこい玉葱をこさえているのだ。

 小島孝次の所属事務所は「Nプロダクト」といって、社長は六十近い女である。事務所自体は古くからあったが、彼女の親父が喰い潰して倒産寸前だった。それを建て直し、なんとか業界内で名刺を出しても鼻で笑われないまでにしたのは、ひとえに現在の社長である、能生田一恵の腕によるものだった。
 はっきり云って、なんでもした。政界、財界、芸能界、男から女まで、すべてを巧みに利用し、大手家電メーカーの御曹司(次男)をものにして、しっかり養子にした。
 婿の実家が家電しか扱っていなかったのを、時流に合わせてブロードバンド配信などに手を広げさせ、その他、インターネット関連の事業へ乗り出させた。すべては己れの事業に利用する為である。
 そして、元々やっていたエキストラの手配に引っ掛かったのが、キハチであった。彼がインフルエンザで寝込んだが為にその代役をし、人生を狂わされてしまったのが、小島である。
 兎に角、先を見る目だけは慥かな女なのだ。見た目麗しく、物腰だけは軟らかで、言葉巧みに相手を絡めとる。ふたつ名を「女郎蜘蛛」という。
 怖や、こわや。
 こんな生き馬の目を抜くような業界で、小島孝次がのほほんと生きてゆけたのは、恐らく彼の神経が見た目と違い、ナイロンザイルのように強靭だったからであろう。
  実際、傍目には少女といっても通りそうな人気タレントの彼女を目の前で喪っても、ゴシップネタになって弄くり廻されても、小島自身は柳に風と受け流していた。
 そこへ現れたのが、受け流しようのない山田一要である。
 なにしろ、会った途端に携帯電話を投げつけてきた。意味不明である。本人も何故そんなことをしたのか判らなかったのだから、他人に理解しろと云うのが無理な話である。電話は壊れ、その後、幾つ買い替えたのか、もう誰にも判らない。
 金持ちのぼんぼんだからそんなことなど気にもしない。すべて、小島孝次の体の何処かにぶち当たり、床に落ちた衝撃で破損した。当たった人間にとっても、壊れた電話にとっても実に気の毒、迷惑極まりない話である。
 一要青年が、役者をしているというだけでなんの取り柄もない小島孝次に、何故こうも執着するかと云うと、簡単に表現するならば、好きだからである。
 ただ、それが性的慾求からくるものではなく、彼のこれまでの不適切な行状からして、誰も男に好意を寄せるとは思われなかったが為に、他人に理解されなかっただけなのである。
 本人も自分の感情にまったく気づいていなかった。犬が好きとか、猫が好きとか、きんぽうげが好きとかそういう次元の感情なので、傍から見ると訳が判らないが、子供が興味を持ったものを徒らに疵つけてしまうのと同じ次元の話である。
 性的な本能から来る感情でない分、余計に激烈な盲愛になっていったのかも知れない。
 その標的になった人間にとっては迷惑千万なのだが、危害を加えるといっても命に拘るようなことはしない。しかも相手は、親から「息子を宜しく頼む」と云われている。無力な三文役者なのである。
 女関係に非常にだらしなく見える一要青年にも、十六の時からつき合っている女性が居た。こんな手癖の悪いガキの相手をしているくらいだから奔放な女かと思えば、さにあらん。ごく普通の、喫茶店を経営する親の手伝いをしている極めて真面目な、彼より五つ年上の娘である。
 木鳥和帆という。
 コトリカズホと読む。昔は「子取」と書いた。なんでも、産婆の家系だったのでそうした名がついたということだったが、子沢山の家から、 所謂「間引き」をする役割をしていたからそんな名がついたという説もある。それがいつの間にか、木の鳥と表記するようになった。
 父親が経営する喫茶店は 『café cotori』といった。横文字にすればなんでも洒落た感じがしてしまうのが、この国の不思議なところである。
 この娘、姉御肌というのか、面倒見がいいと云うのか、彼がどんなに好き勝手しようが、叱りはするが笑って許してしまう。まるで漁師の女房のような娘であった。
  港みなとに女を作り、年に一度二度帰って来る亭主を辛抱強く待っている、そんな娘なのである。一要青年は船乗りではないから、しょっちゅう彼女と会っているのだが。
 というか、彼は自分のしていることすべてに於いて、「悪い」とは微塵も思っていないのである。それを許す環境が整い過ぎていたのも或る意味、不幸だったのかも知れないが、この先よほどのことがない限り、このまま済んでゆくであろう。
 世の中にはそういう、躓くことをまったく知らぬまま、一生を終える人間も存在するのである。羨ましいと思うか気の毒と思うかは、他人の勝手である。

 昔、女性には人権がなかった。人権どころか、モノとして扱われていた。王族ならずとも、一般市民でも男子が誕生すれば諸手を挙げてわっしょいわっしょい喜んだものだが、女が生まれると、たいして喜ばなかったのである。
 普通の家庭だったら普通に生きてゆけたが、殿様や王様の娘ともなると、年端もいかぬうちから争い事を避ける為の道具として扱われた。所謂、政略結婚というやつである。
 西洋には白い婚礼という仕来たりがあった。
 手をつけないうちは「無所属」とばかりに、あちこちの王国を盥廻しにされたのである。マリー・アントワネットなどは悲劇の女王と云われているが、嫁ぎ先が一ヶ所だっただけ幸せであったとも云える。
 喩え断頭台の露と消えようとも、それまで栄誉栄華の暮らしをしていたのだから、文句をつけてはいけない。
 貧民に向かって「お腹が空いてるならケーキを食べればいいのに」と云ったらしいが、世間知らずだったのだから、仕方がない。尤も、ケーキではなくブリオシュだったとか、そもそもそんなことなど云っていないと諸説あるが、市民の反感をかったのは事実である。
 数年前、木鳥和帆に岡惚れした男が居た。名前は伏せておく。
 彼が彼女をはじめて見たのは、大通りに面する例の喫茶店でのことである。そこで和帆は、ウエイトレスをしていた。通い詰めるうちに、そこの店主の娘だということが判明した。
 明るくさっぱりした性格で、馴染みの客に話し掛けられると気さくに答えている姿に、ひとめ惚れしてしまった訳である。彼女は実に日本的な顔立ちをしていたが、切れ長の目の睫が長く、今時珍しく、長い黒髪をお下げにしていた。
 或る時、その男が店に這入って行けば、高校生くらいの青年と彼女が楽しそうに話していた。誰あろう、山田一要である。彼はさりげなくその隣の席に着いた。
「店のお手伝いしてる時、いつもそういう頭してるの」
「悪い?」
「悪くないけど、昔の女校生みたい」
「三つ編みする方が、普通に結ぶより楽しいじゃん」
「はあ、そうか」
 などと、ふたりはどうでもいい話をしていた。
「あんたみたいな真面目な子が、なんでまた働きもせず、放蕩の限りを尽くしていられるの」
「放蕩なんかしてないよ」
「どっかのバンドのリーダーの彼女を寝盗ったって聞いたけど」
「その女の子に無理矢理ホテルに連れ込まれたんだけど」
「そこに自分の意志はない訳」
「一応」
 なんとも、聞いてはいけないような話になってきた。
「十六で千人切りって噂されるのは、あまりにも凄くない?」
「嘘だから」
「あたしが知ってるだけでも、七人くらい取っ替えてるけど」
「なんでそんなに観察してるの」
「面白いもん」
 やっと他のウエイトレスが来て、オーダーを訊いていった。彼女はまったく(観察する)男に気づいていない。
「うーん。一要くんてば、別に吃驚するくらい男前でもないし、目つきも悪いし、なんでそう、女の子にウケるのかなあ」
「知る訳ないじゃん、そんなこと」
「声かな。それとも、その妙におとなしげな口振りとか」
「暴力揮ったこともないけど」
 聞いていると彼女の相手は、何やら訳の判らない青年のようである。話している感じではただの知り合いのようだが、その後、彼の姿をよく見掛けるようになった。 それも、彼女が呼んだから来ている様子である。
 会話から青年の名がイチヨウだと知り、飛び級をして国内トップレベルの大学に通っているらしいことも判った。随分聞き耳を立てたものである。
 青年は一見、真面目そうに見えるものの、何処からどう見ても未成年なのに堂々と煙草を喫っている。この喫茶店は珍しく禁煙ではなかったのだ。その所為か、男性客が多かった。
「毎回違うの喫ってるけど、もしかして女の子に貰ってるとか」
「うん」
「うんって、あんた。よくそれでこれまで何事もなくやってこれたねえ」
「なんにも悪いことしてないけど」
「その悪びれないとこがいいのかな」
「そう云うカズホさんは、なんでいつも呼びつけるの」
「面白いから」
「そっちの方が変じゃない」
「なんで法学部なんか選んだの」
「面白いから」
「お父さんの会社に関係ないじゃない」
「会社の経営にはもの凄く関係あるけど」
「あんたみたいな子が親とうまくいってるなんて、信じらんない」
「どうして?」
「親も変なのかなあ」
「変じゃないよ」
 この男は一年半の間、『café cotori』に通い詰めたが、彼女に存在を認識されることもなく、遥か北国へ左遷させられてしまった。そこで新しい恋をしたのかどうかは、知る由もない。


 何をどうおかしいと思うかは、受け取る側の感性によるものであって、糞尿を喰らおうが丸剃りにしたチャウチャウ犬に添い寝しようが、法に触れない限り、ひとの勝手である。
 傍から見れば、いつまでもぱっとしない役者を続けている小島孝次も、寄ってくる女と次々関係を持ってしまう山田一要も、それを莞爾と見守っている木鳥和帆も、他にいい男は幾らでも居るのに、これといった特徴のない売れない役者とつき合っている絽灯崎きりえも、さして裕福でもないのに子供を五人もこさえたその親も、奇妙な内容の短い映画しか撮らない木薪八郎も、ビジネスにしか興味のない能生田一恵も、あなたもわたしも皆、変人なのだ。
 基準を何処に置くかによって、あらゆる人間が「へんなひと」になり得る可能性がある。
 幼女を攫って監禁し、陵辱の限りを尽くした挙げ句、その肉を余すところなく喰ってしまい、頭蓋骨に着色を施すような鬼畜でも、ゴミを分別し、指定の曜日に出し、にこやかに近所の者らに挨拶していれば「いいひと」だと勘違いされる。
 それに比べれば、一要青年がしていることなど罪のうちには入らない。女を手篭めにした訳でもなく、同居人に乱暴狼藉を働くといっても、流血の騒ぎを起こしたりはしない。
 却って性質が悪いとも云えるのだが。

 だからこそ、他人に後ろ指をさされないよう、身成りを整えてひとは外出するのだ。にっこり微笑み会釈をして挨拶をしていれば、まともな人間だと思って貰える。
 ごきげんようと、お辞儀をして、にこやかに暮らしましょうや。


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