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いち丼。

 おしゃれなカフェ飯として、家庭でも出来るワンプレート。でかい平皿があれば、出来てしまう。
 しかし、数種類のおかず的なものを用意しなければ成り立たない。譬えカレーライスと雖も、飯を炊いて、カレーを煮込み、福神漬けやら辣韮、おしゃれに決めるならピクルスなどを配置せねばなるまい。
 わたしの毎日の食事は、ワンプレートならぬ、ワン丼。ひとつの丼である。
 炊いた雑穀におかずとして調理したものをぶっかける。技術も見た目も無視。そんなものは食事をするのに、本来は関係ないことなのだ。
 食事は生きる為にするもので、きれいなものを愉しみたかったら、花や芸術品を眺めればいいのだ。実際のところ、喰いものは茶色い方が旨い。ショッキングピンクや水色の飯が旨いというのは、見たことも聞いたこともない。
 兎に角わたしは、二合の雑穀を電鍋で炊き、毎食のおかずを作り、それを椀に盛った飯にぶっかける。
 実に簡単、かつ、合理的な食事である。
 先づ、洗いものが少ない。面倒くさいことを極力避けたいので、これは重要な項目である。肉はそんなに好きではないが、野菜は大好きなので多く摂りたい。それには加熱することが必須である。
 野菜の栄養素は基本的に、加熱することで効率よく吸収されるらしい。わたしは幸い、冷たいものが苦手なので、サラダより煮物の方が好きなのだ。で、野菜を加熱する際、肉も投入する。
 肉といっても高級牛肉とか、高級ハムとかではなく、専ら砂肝である。砂ずりとも云う。何故ならば、それが好きだからだ。焼き鳥屋に行けば、必ず塩で頼む。塩、一択だ。

 で、この薄汚い丼は何かといえば、モロッコ隠元と砂肝を唐辛子味噌で炒めたものを、ひたし豆を入れて炊いた雑穀米にぶっかけたものである。わたしの作る飯は兎に角、見た目がよろしくない。
 しかし作ったのは自分なので、不味くないことは判っている。だからといって、こんな残飯のような喰いものを、ひと様にお出しすることはない。というか、他人に料理を振る舞う機会がない。
 これは或る意味、幸いである。

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