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 三十二才で結婚し、その翌年に妻の秋子が妊娠した。バンドのメンバーである車折に子供が出来た時、ひとごとのように(実際ひとごとなのだが)目出度いことだと思ったが、自分に降り掛かってくるとそうも云っていられない。妊娠するようなことをしなければいいのだけれども、夫婦なのだからそれもおかしな話である。
 別に子供が慾しくない訳ではない。
 何に戸惑ったかと云えば、すべてである。女の体のことなど判らない。怠い、食慾がない、生理が来ないと云われ、思い当たる節があるので病院へやり、仕事から帰ると彼女が嬉しそうな顔をして子供が出来たと云った。
 一瞬、思考が停止した。
 結婚して以来、避妊していなかったのだから子供が出来るのは当然のことだが、寝耳に水のような気がしたのである。
「嬉しくないんですか」
「え、いや、嬉しいよ」
「嬉しそうな顔してませんけど」
「ちょっと吃驚しただけで、そんなことないよ。何ヶ月だって?」
「八週間だそうです」
「八週間っていうと、二ヶ月か」
 つまり、二ヶ月前に生命が彼女の腹の中に誕生した訳である。神秘的……、とは思えなかった。神秘も屁ったくれもあるか。原因と結果が此処にある。
 それから数ヶ月、これまで体験したことのない出来事に翻弄された。車折のかみさんにあれこれ訊いてみたら、特に心配する必要はないが、妊娠中はどうしても不安になるので、なるべく安心させるように心掛けて下さいと云われた。不安にさせるようなことはこれまでした覚えはないものの、秋子は些細なことですぐ泣くので、そうしたことのないように気をつけた。
 性別を知りたいかと医者に訊かれたが、流産する可能性もあるし、胎児に人格を与えたくなくて断った。五ヶ月を過ぎれば安定期に入るから先づ大丈夫だと云われても、そんなことなど当てにならない。何が原因で流れるか判ったものではない。水子に名前をつけて年を数えるような真似はしたくない。
 自分が心配性なのか冷たいのか判らなくなってきた。
 車折には子供がふたり居るが、同じく一緒にバンドをやっている幼なじみの玲二には居ない。まあ、あいつは自分のことがあまり好きではないので、子孫を残そうとは思わないのだろう。それに、子供を育てられるとも思えない。

 十月に入って子供が生まれた。事前に出産に立ち会うかと訊かれ、きっぱりお断りした。そんな修羅場のようなところに居合わせたくない。秋子は一緒にいて慾しがったが、勘弁させてもらった。
 で、困ったのが名前である。子供は娘だった。
「秋に生まれたんだから、秋、アキ、あき……。おまえ、なんで秋子なんて名前なんだよ、候補がひとつ消えたじゃねえか」
「そんなことを云われても、わたしがつけたんじゃないんですから」
「うーん……。実るほど、頭を垂れる稲穂かな。そうだ、実穂にしよう」
「随分簡単に決めるんですね、字画とかいいんですか」
「女は結婚したら苗字が変わるんだから、字画なんて関係ねえだろ」
 ということで、子供の名前は「実穂」になった。
 生まれたばかりの赤ん坊というのは、はっきり云って可愛くない。真っ赤な顔をして猿のようだ。男か女かも判然としない顔をしている。ブスかどうかすら判らない。秋子に似てくれることを祈るばかりである。女でおれに似たりしたら、確実に不美人になる。
 おれは客観的も何も、物心ついた頃から女に取り囲まれていた。要するに、簡単に云えばチヤホヤされていたのである。そうした環境に置かれなかった輩は、
「バンドやってたからだろ」
 と、負け惜しみとしか思えない事柄を宣うが、そうではない。
 はっきり云っておれの容姿は取り立てて優れたものではないし、どちらかと云えば蔑まれても致し方ない類に含まれる。
 一重まぶたで目つきが悪く、体格だって取り立てて自慢出来るほどでもない。それなのに、常に女が頼みもしないのに纏わりついてきたので、男女共に敵が出来た。
 不幸極まりない上に、馬鹿げたこととしか思えない。相手の気持ちを鑑みず、迷惑の限りを尽くし、挙句の果てには発狂する。
 いい加減にしろ。てめえの都合ばっか押しつけるな。
 おれは体育会系ではないものの、ムカつく奴を脅してガチ殴ることが出来た。それすら出来なかったら、もう地中に潜り込んで仮死状態になるしかない。てめえらの都合で相手を仮死状態にすんじゃねえ。
 ……すみません。

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 それまでも家事は手伝っていたので、子供の世話も分担してやった。当然のことながら乳はくれてやれないが、それ以外のことはした。半年ほど経つと、顔も可愛らしくなってくる。おれにあまり似ていないのでほっとした。そのことを秋子に云ったら、普通は自分に似ていた方がいいと思うんじゃないんですか、と不思議そうな顔をした。
 そうだけれど、そうでもない。

 子供はよく泣く。理性がないので泣き喚いて止まらない。抱き上げてあやしたところで、いつまでも泣いている。理をつくして説得出来るものではない。おれのやり方が悪いのかと思ったが、秋子がやっても泣き止まなかった。子供は泣くのが仕事のようなものなのだから仕方がない。自分も通った道である。
 兄弟が居ないので、子供の相手というのは何をすればいいのか判らなかった。男の遊びなら判るが、女の子が何をすれば喜ぶのかが判らない。子供なのだからなんでもいいのか。
 秋子に訊いてみたが、まだ赤ん坊だからぬいぐるみとかで遊んであげればいいのではないかと云った。記憶を探ってみたが、ぬいぐるみで遊んだ覚えはない。それをどうすればいいのだ。頭に載せるのか? それは愉しいのだろうか。
 ベッドの中にあるぬいぐるみを取り上げ、実穂の目の前に翳したら、嬉しそうに手を伸ばした。少し離すと、更に手を伸ばす。また少し離すと膝をついて前進した。なるほど、こうやって訓練してゆけば歩くようになるのか。
 で、ぬいぐるみに紐をつけて引っ張って歩いた。一見、犬を引き連れているように思われそうな行為だが、一応、歩行訓練である。はいはいで部屋の端から端まで移動出来るようになった。ぬいぐるみを上に持ってゆけば立ち上がるのではないかと思い、ぶら下げてみた。なんとなく釣りでもしているように見えるが、そうではない。
 ものに摑まりながら立ち上がった時には、実穂を抱き上げて大喜びした。父親になった実感が沸くというよりは、阿呆になったような気がした。
 家に帰ってからとか、休みの日には、こうやって実穂の相手をしているか、バンドの練習などに出掛けていた。責任ある社会人なのか、ぐうたらな碌でなしか判らない生活である。秋子は子供が出来てからだいぶ確乎りしてきた。やはり母親になるということはそれだけで人間を成長させるのだろう。
 おれが父親らしく成長したかというと、自分ではよく判らない。秋子は「棠野さんはもともとお父さんみたいなひとだったから、変わる必要はないですよ」と云うが、それはおっさんくさかったという意味だろうか。彼女とは九つ違うので、そう思われても仕方ないのだが。

 実穂が二才になった頃、ふたり目が生まれた。経済的にもこれで打ち止めにしたい。住んでいるアパートだって2DKである。家族四人でぎりぎりだ。居間にしていた部屋は、既に子供部屋である。何やら混沌としていた。玩具で溢れかえっている。
 ふたり目も娘で、女に囲まれて生活することになった。特に嬉しくない。きれいなねえちゃんに囲まれるのとは訳が違う。
 夏に生まれたので奈都子にした。捻りも何もない。漢字だけは変えたが、それは秋子が考えた。どうやらおれには名前をつける才能がないらしい。曲が作れるのにどうしてですか、と訊ねられたが、それは別物だろう。
 煙草をやめるべきかと思ったが、無理そうだった。車折にやめた方がいいと云われたが、どうにも意志が弱くて出来なかった。つくづく駄目な人間だと思う。玲二よりましか。あそこまでいったら何処かで修行し直さねばならない。チベットの山奥とかで。おれはダライ・ラマか。
 バンド活動もやめなかった。我ながらいい加減にしろと思うのだが、誰もやめようとは云い出さないので、まあ、いいかと思い直した。しかし、ひとの親としてこんなことでいいのだろうか。自分の親がこれだったら呆れているだろう。娘に軽蔑されるのは悲し過ぎる。
 実穂が幼稚園に上がる時、はじめて背広を着た。三十七ではじめて背広を着る男というのは、あまり居ないのではなかろうか。秋子も実穂も恰好いいと褒めたが、どう見ても似合っているとは思えなかった。こういった服は貫禄がないと着こなせない。貫禄など、何処を探しても見当たらないのだ。
 子供が出来るといろいろ変わると云われたが、基本的なことは何も変わらなかった。頑なに変えようとしない訳ではないが、そういう性格をしているのだろう。もっと年を喰ってよぼよぼになっても、たいして変わりのない生活をしているような気がする。
 確たる目標もなく生きてきた。子供が出来てもその将来に期待することはない。人間はなるようにしかならないのだ。努力が実るとは限らない。娘たちには好きなように生きて慾しいと思う。男と違って、結婚するまではさほど責任を負わされることもないだろう。学歴も、高校さえ出ていればなんとかなる。おれがそうだった。
 ふと、この子たちが年頃になって、ボーイフレンドを連れてきたらどう思うだろうか、と考えた。
 そんなことになったら、取り敢えず相手を調べ尽くすだろう。家庭環境、交友関係、知能、学歴。玲二が嫁さんの父親に嫌われた理由が、今はっきりと判った。娘があんな男を連れてきたら、塩を撒いて追い返すだろう。まっぴら御免だ。
 子供の頃は尊敬出来る大人がたくさん居た。大人になって、自分が尊敬出来る人間かどうかは兎も角、そういった存在はかなり少なくなったように思える。尊敬出来る大人は何処へ行ってしまったのだろう。マンモスのように絶滅したのか?
 若者など箸にも棒にも掛からない奴ばかりである。あんな奴らに娘を任せたくないと思うのは、せめてもの親心であろう。
 おれは高校しか出ていないが、常識だけはあると思う。しかし、世の中の者は老いも若きも常識がなくなってきているように感じられる。
 先づ、他人を慮ることをしない。皆、自分が自分が、と他を掻き分けてやりたいことをする。それでいて、自分がないがしろにされると文句は一人前に垂れる。それで社会生活を営んでいるのだから恐れ入る。
 自分がされて厭なことはするべきではないし、何かしてもらったら感謝するのが当然だが、そうした発想すらないようだ。娘たちにそんな人間になって慾しくないが、周囲がそんな人間ばかりだったらそうなってしまうのは致し方ない。
 親が出来る範囲は限られている。ずっと家の裡に閉じ込めて、何からなにまで管理することは不可能なのだ。
 過保護にするのは良くないものの、手を離れるまでは出来る限りのことをしてやりたい。それは親の傲慢かも知れないが、娘などすぐに離れて行ってしまうだろう。社会のなんたるかを知らない内に、世間に放り出されて苦労をする前に、思う存分甘やかすのは悪いことではない。いずれその時代を懐かしんで、自分たちの子供にも同じことをするだろう。
 そうやって循環して、おれも育てられたのである。
 娘たちはまだ無邪気で、世の中のことも苦労もまったく知らない。半径数メートルの世界で満足して生きている。今のところ親としてその時期を楽しむべきなのだろう。先のことは判らない。手に負えないハプニングは困るが、それなりの出来事には対処出来る自信もついた。なんとかやっていける筈だ。

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