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旅行

「お風呂は何処だっけ」
「フロントの右側の通路の奥」
「食事は外でするの?」
「うん。こんな遠いところまで来たんだから、色々選びたいじゃない」
「そうだね。観光地だから、美味しい店はたくさんあると思うよ」
「立派なホテルだね」
「有名みたい、知らなかったけど。外壁に蔦がびっしり絡まっててきれいだった」
「煉瓦でね。外国の建物みたい」
「結婚式場もあるし、ひとが多いね」
「恰度披露宴やってた」
「花嫁さんが転んでたよ」
「ベールふんずけちゃってね。大丈夫だったかな」
「すぐ起き上がってたから大丈夫なんじゃない? ああいう時は恥ずかしさが先に立って、痛みとか感じないし」
「おれも仆れた時はそんな感じだな」
「あんなにすぐには起きられないけどね」
「意識失ってるもん」
「倉敷ってもっと古い建物が並んでて、静かな町だと思ってたけど、美観地区は観光地化が進み過ぎてちょっと味気ないかな」
「そうだね、蔵もあったけど土産物屋ばっかだし。証券取引所まで蔵だったのには驚いたけど」
「ああ、あの用水路沿いのところのね。覗いてみたら、中は普通にテレビのニュースで観るような感じだった」
「これからどうする?」
「近所をぶらぶら歩いてみようか」

 ……………。

「あのビクターの犬がたくさん並んでるのはなんだろう」
「古道具屋みたいだけど」
「あれも売り物なのかな」
「屋根の上にあるし、あんな雨曝しにしてあるから違うんじゃない?」
「店主の趣味か」
「大切にしてるようには見えないけど」
「まあね。でも、ほんとに蔵のある辺り以外は普通の街だね」
「明日行く処は田舎だよ」
「金田一耕助の話は読んでみた。予習として」
「何読んだの?」
「リョウ君に訊いたら、そこは『本陣殺人事件』の舞台になった場所だって云われて、それ読んだ」
「ぼくは随筆を読んだけど、面白かった」
「古い話にしては難しい文体じゃないから読み易かったな」
「そうだね、専門的な知識も要らないし。探偵小説は、まあいえばエンターテイメントだからね」
「映画、観たことある?」
「あるよ。『八つ墓村』は恐かったなあ」
「どんなの?」
「岡山で実際にあった事件を元にしているんだけど、一晩で村の殆どのひとを惨殺して、自分も死んじゃうんだよ。その犯人の息子が天涯孤独に生きているところへ村のひとが探しにきて、遺産争いに巻き込まれるっていう話。主人公を萩原健一が演って、金田一耕助は渥美清だった。ショーケンはグループサウンズのザ・テンプターズのボーカリストで、渥美清は『男はつらいよ』で有名」
「グループサウンズは聴いたことないな。『男はつらいよ』はリョウ君が社長に勧められて、死ぬ思いして観たって云ってた」
「そうそう。だってあれ、四十二作もあるんだよ」
「そんなにあるんだ。一日一本観てもひと月以上かかるじゃん」
「社長もねえ、気に入ってるからって来るたんびにあれこれ勧めてってね。そんなにしょっちゅう来た訳じゃないんだけど、木下君もしまいの方は逃げ廻ってたよ」
「それで諦めたの?」
「諦めなかった。近所の喫茶店で食事してても、駐車場に泊めてある車の中で休憩してても、必ず見つけて話し込んで行ったって」
「GPSの発信器でもつけられてたのかな」
「それはないと思うけど……。勘が鋭いひとだったからね」
「勘が鋭いだけで居場所を突き止められるもんかなあ」
「まあ、センターの近所を探せばいいことだし、センター内と駐車場には監視カメラがついてるから」
「リョウ君も災難だったねえ」
「まあね。でも社長は彼が入社して一年も経たないうちに亡くなっちゃったから」
「あの時リョウ君、凄く落ち込んでた」
「うん。食事もしなくなってたから、心配になって清世ちゃんと親しい杉下さんに相談したよ」
「すぐあとのライブはたぶんその社長の為にやったんだと思うけど、いつもぶつぶつひとりごと云うのに、むすっとしてなんにも云わなかったもん」
「あんな風に落ち込んだりするとは思わなかったな」
「そうだよね。普段はガサツ極まりないから」
「ガサツって訳じゃないけど、精神が頑丈そうだからね」
「体も細い割には丈夫だし。おれのこと、風邪も引かない馬鹿って云うけど、リョウ君も殆ど引かない」
「ぼくは気管支が弱いからよく風邪引くんだけど、木下君は一回しか休んだことがないからねえ。その時の風邪はたぶん、ぼくのが伝染ったんだと思う」
「あの楽屋でぶっ仆れた時の?」
「嘘、仆れたの」
「うん。ライブをキャンセル出来なくて酷い状態でやって、楽屋に引っ込んだ途端仆れて、アンコールはなしになった」
「そうだったんだ。悪いことしたなあ」
「そんなのわざとやったんじゃないから仕方ないよ。紘君は風邪を引くと咳が酷いよね、喘息だったの?」
「喘息じゃないけど、喉を痛めて声が出なくなったことがあった」
「そんな酷いんだ。おれ、ほんとに病気しないから」
「貧血くらいだもんね。あんなに食べないのに」
「体は丈夫だから。夕食は何処で食べる?」
「午にお好み焼き食べたからねえ。まあ、そこらを歩いて考えようか」
「カキオコは美味しかった?」
「美味しかった。冷凍の牡蠣でも大きくて食べごたえがあって」
「こっちは粉もんが盛んだから、お好み焼きとかたこ焼きは何処で食べても美味しいよ」
「ああ、粉もんって云うんだ」
「うん。時間がなかったから、船に乗れなくて残念だったね」
「天気もちょっと悪かったしね。また今度来ればいいんじゃないかな。神戸なんかもきれいだし」
「神戸か、夜景がきれいだろうな」
「ルミナリエとか凄くきれいだったよ、大学の時に行ったんだけど」
「へえ、誰と?」
「その時つき合ってた娘と」
「ふーん。紘君も青春してたんだ」
「しますよ、そりゃ」
「真面目だから勉強ばっかしてたのかと思った」
「真面目でも男女交際くらいするよ」
「どんな娘だったの」
「おとなしくて可愛かった」
「まあ、そうだろうね」
「期待を裏切らないでしょ」
「ほんとに。女子プロレスみたいなのとつき合ってたくらい云って慾しかった」
「……それはない」
「なんで別れちゃったの?」
「その娘が就職で実家の方に帰っちゃったから。暫くは連絡を取り合ってたんだけど、やっぱりね」
「遠距離恋愛は難しいんだろうね。おれは近場に住んでる娘としかつき合ったことないから、よく判んないけど」
「どんな娘とつき合ってたの」
「飲み屋とかライブハウスで知り合った子と。大抵年上だった」
「ませガキ」
「ませてないよ、はじめて女の子とデートしたの、十六の時だったもん」
「まあ、普通かな。ぼくもそれくらいだったし」
「紘君が十六才の時って、なんか想像つかない」
「今とそんなに変わってないと思うけど、考えてみたらもう、十四年も前か」
「そんな遠い目をしないで、おじさん」
「おじさんじゃない」
「おばさん」
「もっと違う」
「おじいさん」
「こら」

「此処で食べようか」
「和食の店だよね。居酒屋でもレストランでもなさそう」
「そんなに高くないし、影郎が云ってたキビナゴがメニューにある。吉備女子って書くんだ」
「こんな字なんだ、知らなかった」
「値段も高くないし、地酒も揃ってる」
「吟醸酒もあるね、此処にしよう」
「落ち着いた雰囲気でいいじゃない」
「大人っぽい。こういう感じの店は、はじめてだ」
「影郎の行くところは割と若者向きのとこが多いからね」
「若者だから」
「若者過ぎる気もするけど」
「おじさんからすればそう思えるだろうね」
「……怒るよ」
「怒ってみてよ」
「そんなこと云われると怒れない」
「左人志やリョウ君だったら遠慮なく怒るんだけどなあ」
「そういう性格してないから。何頼もうか」
「キビナゴは南蛮漬けがいいかな。刺身と天麩羅盛り合わせなんかがいいんじゃない?」
「お酒はこの『あらばしり』っていうのがよさそう」
「凄い名前。きついんじゃない?」
「蒸留酒みたいなアルコール度数じゃないよ。吟醸酒だから口当たりいいだろうし」
「じゃあそれにしようか」

 ……………。


「……あ、これは美味しい」
「やっぱ海が近いから刺身は美味しいね」
「お酒もおいしい。やっぱり日本酒が一番いいなあ」
「そうだね、特に冷やで飲むのが好きだな」
「ぼくは熱燗も好きだけど」
「さすがおじさんは違うねえ」
「もう、おじさんおじさんって云いすぎだよ。この間三十になったばかりなのに」
「だっておれ、まだ二十代だもん」
「三つしか違わないじゃない」
「三十くらい違うような気がして」
「そんなに違ったら、もう父親だよ」
「お父さんっぽい」
「影郎みたいな息子は要らない」
「酷いなあ、そこまで云わなくてもいいじゃん」
「だって子供だったら娘の方がいいし」
「で、悪戯でもするつもりなの」
「する訳ないじゃん、なんてこと云うんだよ」
「あ、キビナゴが来た」
「いいタイミングだね」
「見計らってたのかな、喧嘩にならないように」
「喧嘩はしないけどね。あ、酸味がきつくなくて美味しいな」
「紘君、男にしては酢のもの平気だよね」
「ああ、男って酢のもの苦手なひとが多いよね」
「左人志もあんまり好きじゃない」
「ハンバーガーのピクルスも抜いちゃうひと居るからね」
「おれは好きだけどなあ。味のアクセントになるじゃない」
「ピクルスとかザウアークラウトがあるのとないのとではだいぶ違うよね」
「そう。……天麩羅だ。良い感じに揚がってる」
「家でやるとべたっとしちゃうからね。影郎は上手に揚げるよね、なんかコツでもあるの?」
「特にないけど、衣を冷蔵庫で冷やすとカラッと揚がるかな」
「そうなんだ、うちの母親は下手だったよ。油ぎとぎとで」
「油も二回くらい使ったら変えた方がいいね。ほんとは揚げものは素揚げが一番いいんだけど」
「そうなの? なんで」
「素材そのものの味を楽しめるし、揚げものの中で一番カロリーが低いんだよ。表面積に依って油のつき具合が違ってくるから、一番カロリーが高いのはフライで、その次が天麩羅。素揚げは一番低くて、味も旨味が増していいらしい」
「へえ、そういうもんなんだ。まあ、カロリーの話は納得がいくけど」
「どちらにしても、揚げものはあんまりしないな」
「そうだね、ぼくもたまに食べたくなるだけだからいいよ」
「紘君はなんでも美味しいって食べてくれるけど、何が一番好きなの?」
「刺身かな。無性に食べたくなるのは寿司だったりするから」
「静岡の出身だからかな。鮪とかより白身魚の方が好きだよね」
「どっちかって云うとね。ハマチとかも好きだけど、青魚の刺身はちょっと苦手かも知れない」
「ああ、生臭いからね。山葵じゃなくて生姜で食べるものは大抵、臭みが強い」
「焼いたのは青魚が好きだけど。鯖とか鯵とか」
「DHAが豊富に含まれてるから呆けなくていいよ」
「まだそんな心配はしなくていいと思うけど」
「予防しなきゃ」

 ……………。

「はー、立派なお風呂」
「温泉みたいだね。……温泉なのかな」
「なんにも書いてなかったけど」
「景色はどうということもないけど、これだけゆったりしてると気持ちいいなあ」
「これは、大理石? 違うか」
「どうだろ、判んないな」
「アパートのお風呂はこんなに足伸ばせないもんね」
「ユニットバスだからねえ。もう慣れたからいいけど、住みはじめた時はシャワーしか使わなかったな」
「リョウ君はのぼせるから一年中シャワーらしいよ」
「そうなんだ。慥かに血圧低そう」
「体温も五度ないんだって」
「四度台なの? それは低過ぎるよ」
「おれだって平熱五度六分くらいあるのに」
「それも男としては低いよ」
「紘君は熱い男だからね」
「……普通だよ」
「今日は愉しかったな。車でこんな遠いとこまで来たのもはじめてだったし」
「ぼくもこんな遠くまで走らせたのははじめてだよ。明日ガソリン入れないと」
「あんな古い車だけど、オーバーヒートしたりしないんだね」
「山道じゃないんだからそんなことにはならないよ。それにイマイ・オートの車は状態がいいから」
「運転代われなくて悪いね」
「いいよ、運転するの好きだから」
「そんな風に見えないんだけどなあ。家で本読んだり絵でも描いてたりするような感じで」
「まあインドア派だけど、出掛けたりするのは好きだよ」
「スポーツは得意だったの?」
「中学の時、テニス部だった」
「へえ、意外。図書委員でもやってそうなのに」
「それもやってた」
「二足の草鞋ですか」
「そうでござんす」

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