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人物裏話——今井の親篇。

 中学一年の夏休みに、今井の親が海へ連れて行った時のこと。

「数見、お茶持ってきたわよ。……あら、小さい子供みたいに。こうして見ると、この子も結構可愛い顔してるのね」

 ………………。

「なんだ、要らないって?」
「ふたりして寝てたのよ。あの子、水尾君に腕枕してやってた」
「仲が良いなあ。あいつ、兄弟が居ないから淋しかったのかな」
「そうかもね。水尾君はちょっと頼りないから、弟みたいに思ってるんじゃない?」
「礼儀正しいし、確乎りしてるんだけどな。ちょっと外見は変わってるけど。今朝、あの子の服装見て吃驚したよ」
「いつも制服だからね。家が裕福なのに、なんであんな恰好してるのかしら」
「反抗期なんじゃないか。車に乗ったことがないなんて、どういう環境なんだろうな」
「ねえ、親戚の家に行く時とかどうしているのかしら」
「近くにあるのかな。陰気な感じに見えるけど、数見と一緒に居ると結構笑ったりして普通だね」
「料理も上手いのよね、来るといつも手伝ってくれる」
「子供の料理とは思えないものを作るからなあ。お母さんの手伝いをよくしてるのかな」
「掃除も洗濯もしてるみたい」
「お母さんも忙しいのかねえ」
「さあ、自分のことをあんまり云わないのよね。でも頭は凄くいいから、水尾君とつき合って、数見の成績上がったもの」
「一学期の通知表見たら、理数系以外の成績も上がってて驚いたよ。あいつ、苦手だったから」
「算数や理科は得意だったけど国語は本当に駄目だったからねえ。水尾君と会ってから性格も穏やかになったような気がする」
「守ってやらなきゃいけないと思ってるんじゃないか。そんな風に見えるよ」
「ちょっと大人になったのかしら」
「まだ十三才だけどな」
「水尾君は十二才だから、やっぱり弟分だと思ってるのね」
「素直で温順しい子だからな。でも、うちに来ると遅くまで居るよな。家に帰りたくないみたいだ」
「そうねえ、何かあるのかしら」
「お父さんと上手く行ってないのかな」
「なんかそういうことは訊きづらいしね」
「詮索する必要はないだろ。特にあの子の父親は立派な会社の社長さんなんだから」
「そんな風に見えないんだけどね、外見を除けばごく普通の子だから」
「まあ、社長の息子でも普通に育てれば他の子と変わらないだろうけどな」
「そろそろ起こした方がいいかしら、九時半だから」
「そうだな」

 ………………。

「数見、起きなさい。あ、水尾君、起きた? もう九時半廻ってるから帰った方がいいわよ、お父さんが送って行くから」
「いえ、歩いて帰ります」
「危ないから駄目よ、遠慮しないで。数見、起きなさいって」
「無理に起こさなくてもいいですよ」
「海に行って疲れたのかしら」
「そうじゃないですか」

 ………………。

「水尾君のお父さんは厳しいのかね」
「ええ、まあ」
「君が憎くて厳しくする訳じゃないんだよ、そこのところを判ってあげなさい」
「はい」
「家はどの辺かな」
「そこの角で降ろして下さい」
「家の前まで送って行くよ」
「……じゃあ、角を右に曲がって下さい。三件目です」
「ああ、大きな家だなあ」
「もとは祖父の家です」
「立派な日本建築だな。わたしたちでは一生住めないだろうな」
「広いから掃除が大変ですよ」
「そうだな、こんな家だと家政婦が必要だな。居ないの?」
「居ません。今日はありがとうございました、おやすみなさい」
「おやすみ。ご家族によろしく云っておいて」
「はい、気をつけて帰って下さい」

 …………………。

「水尾、帰ったの?」
「ああ。先刻、送ってった」
「余計なこと云わなかったよね」
「何も云ってないよ。お父さんが厳しいっていうから、悪気はないんだって云っただけだ」
「なんでそんなこと云うんだよ」
「なんでって、当たり前のことを云っただけじゃないか」
「当たり前じゃないよ。そんなこと云って、水尾がどんだけ疵つくか考えなかったの? 兎に角、もう水尾には家のことを云わないでよ」
「判ったよ、風呂に入ってこい」
「……何をむきになってるのかしら」
「さあな、どうもあの子の家庭は複雑らしいな」
「お金持ちの家のことはよく判らないわね」
「そうだな、庶民には想像もつかないよ」


 事情を知らない相手に応対するのは辛いものがある。そして、よく知らないことには口を出さない方がいい。どのような言葉が相手を疵つけるか判らないからだ。しかし水尾は今井の両親に感謝していた。恐らく荒れ果てた家庭に育った彼にとって、今井の家はオアシスのような場所だったのであろう。気の毒な子供である。
 今井宅は借家で、彼が高校を卒業するのと同時に転勤した為にひとり暮らしを始めた。水尾が死んでから大学を卒業するまで実家には帰らなかった。当然のことながら、今井の両親には水尾が見えない。エミが水尾の恋人だったことは知っていたので、結婚した時、彼らは複雑な心境だった。
 まあ、そうなるのも無理はない。

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