オリーブ心中。
わたしは所謂、バブル世代である。扇子を持って踊ったことは一度もないけれども、ひとつの世代を一概に括れないのは今の世代でも同じであろう。
先端のファッションだけに入れ上げたひとや、路上パフォーマンス(踊るだけだったり楽器を揃えてバンド演奏する者など、様々な形態があった)をしたひとも居るし、校内で暴れまくり、女子を孕ませ、十代で職探しに奔走し、ハタチで廃人すれすれの有様になった奴らも居る。
その中で如何にもバブルの徒花と呼べる存在が、今でも通じる「サブカルチャー」の洗礼を受け、それに準じた人生を送っている不器用な人種である。
それがわたしだ。
何も好きこのんでそうなった訳ではない。物心ついてからずっと読書に没頭し、活字を目にしていなくては生きていられない体質になった。小学校に上がる前からノートに雑文を書き記していた変態である。今でもゲームのロード時間が長く感じられ、気づけば本を手にするほどだ。
親が映画を好んでいたので、水曜ロードショー、金曜ロードショー、ゴールデン洋画劇場、唯一字幕だったNHKの日曜洋画劇場を、欠かさず観ていた。映画館へも連れて行ってもらった。働きだしてからは、映画を観る為に金を稼いでいるような状態であった。
こんな人間なので、ファッションなどに興味を持つ閑などない。稼いだ金はすべて映画と本に費やされた。
それは映画を除いて、今も変わらない。何故映画が除かれるかといえば、映画館の入場料金の高騰により、週に二、三度、それも県外の単館劇場(と謂うのが判らなければ、各自ググってくれ)へ通っていたのをあっさり断念したからである。低所得だと、趣味は苦渋の末、切り捨てねばならぬ結果になるのが常だ。苦渋する余裕すらない。
最後に映画館で観たのは、元連合いと行った『シッピングニュース』だったと思う。地味ながらもキャストが良く(リス・エヴァンスにピート・ポルスウェイト、そして迫力のジュディ・デンチ)、後に原作本とDVD(中古)を購入した。
好みに煩瑣い元連れ合いも、この映画は褒めていた。荒々しい自然と、甘い感情など挟みようのない状況が琴線に触れたのであろう。ジュディ・デンチは恨みを持つ相手の遺灰をボットン便所へ棄て、その上で糞をするのだ。
さぞ爽快であったろう。
荒涼たる自然の中で繰り広げられるドラマに、洋画にさして関心のない連合いがそこそこ感動したのは、バンドマンだった癖にバイクと釣り好きのアウトドア人間だからであろう。
わたしは幼少の頃よりムーミンを愛好しており(白黒の頃からである、参ったか。名作劇場はカルピスのみだ)、寒々とした世界には憧れがある。一度でいいから白夜を見たいと、幼少の頃より夢想していた。
それはさておき、サブカル野郎に必須なのは、マイナーな映画である。映画に限らず、マイナーなものには雲霞の如く群がる。マイナーであれば芸術性や音楽性が低かろうが、極所でちやほやされるものであれば評価する。元々、個人の基準などあやふやで、カルトな人気さえあれば良しとするのがサブカル系なのだ。
自分は個性的だと云いながら、誰かの言辞に縋り、周囲が知らないければ優越感に浸る。そして興味を持つ対象は、己れが軽蔑する世間からも「良し」と見做されていなければならないのだ。
そうでなければ自意識が保てない。他者を見下せない。己れが知っていることを自慢出来なければ、価値がないのだ。まったく以って、愚かである。
サブカル女は世知辛いのだ。世知辛いというより、あらゆる意味で面喰いなのである。世間で持て囃されているものには興味があるけれども無視(一緒にされたくない)、一部で認知され、まだ世間では持て囃されておらず、それを知っていることで優越感が覚えられるものが好き。一般的になったら、売れない頃から知っていたけど、今はもう云々、としたり顔をする。
要するに、中身が無い。一般的では無く、一部の(昔ならば渋谷方向)特にバブルの中期ではあるが、カヒミ・カリイが「これを観た」と何かの媒体で云えば、サブカル女子は飢えた犬の如く漁りまくった。
一般大衆に認知され、持て囃されたのならサブカルチャーではない筈だ、と思われるだろうが、当時は情報の流通が現代のように、噴霧器で撒き散らしたかの如く満遍なく行き渡りはせず、それに興味を持ったひとしか知識は得られなかったのだ。
わたしが通い詰めていた「名古屋シネマテーク」や、駅裏にあった「シネマスコーレ」、今は無きゴールド、シルバー劇場、中日シネラマ。
兎に角、若い頃のわたしは、音楽よりも映画に精魂込めていたのだ。なにしろ、バイト代の殆どすべてを注ぎ込んでいたくらいだ。
田舎から名古屋という都会へ行くのだから、子供にとっては遠征である。よそいきを着なければならない。しかしわたしは、小学校まで母の作った服を着ており、クラスの子等が着ている「既製品」が羨ましくて仕方がなかった。
服の後ろについているタグが権威の象徴に思えたほどである。つまり、それくらい、馬鹿げた幻想に囚われていたのだ。
母親が内職の洋裁とはいえ、服飾に関係していたこともあり、そうしたことには関心があった。後には関心がありすぎて無関心を装うようになったが、それは若気の至りとしか云いようがない。恥ずべき歴史である。
バブルよりも前からあった雑誌「オリーブ」と「ポパイ」。ポパイは今でもあるようだが、当時からするとだいぶ変わってしまっている。オリーブは休刊して、それはもう、廃刊と同じことになっている。
そこから排出されたモデルに、市川実日子が居る。姉の実和子はサブカルチャーを代表する人物と云っても間違いではなく、オリーブとは対極のティーン向けファッション雑誌「キューティー」の紙面を飾っていた。
今や女優としての位置を確立している市川実日子をオリーブ誌上ではじめて見た時、なんちゅう野暮ったい娘だろうと思った。ボサボサの太い眉毛で、もっさりした顔。半魚人のようではあるものの、他と比べられない姉の個性とは随分違う。特徴が有るようで無く、姉の存在が大き過ぎて、印象が薄かったのだ。
それが今や個性的な女優、おしゃれな女性の第一人者である。
演技力は個性だけで押し通している姉よりもある。モデルとしても、バブルの頃の金満主義から離れた今、ナチュラル志向に実に合うスタンスと外見をしている。出演する作品も多岐に渡っており、それだけ汎用性のある女優なのであろう。
姉の美和子は半魚人面なだけあり、出演作は過激サブカル系が多い。
なにしろ村上龍原作の『昭和歌謡大全』で、顔面がヤバい女性の役をオファーされたくらいだ。目がダンチになっている訳ではないが、彼女で納得出来る配役であった。
それは兎も角、世間の流れは実加子に味方したのだ。
駄洒落みたいやん。
実加子に味方。
わたしにも味方して慾しいわ。
ともあれ、不変なものは普通と二番手である。一番になったら、あとは落ちるしかないのだ。最先端でぶっちぎったら、ゴールの果てにはメダルしかない。実加子が賢かったのは、浮かれた時代に身を任せず、自分を最も活かせる時が来るまで活動を続けたことである。
流れに棹さすことは、思うほど簡単ではない。止まるのはひとつの勇気なのだ。
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