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プリティ・ウーマン。

 大ヒットした映画である。これをきっかけに二匹目の泥鰌を狙い、原題を無視してプリティシリーズが乱立したほどである。これ以外で原題に「プリティ」がつく作品は少ない筈だ。
 題名は知っていても今からするとかなり古い作品なので、観ていないひとも多いと思う。内容をざっくり紹介すると、ひとりの実業家が仕事でロサンゼルスへ行き、パーティーに厭気がさし、部下(かコンサルタントか判らんが)が所有するスポーツカーで下町へ赴く。
 いつも運転手つきのリムジンで移動している為(自己が所有するリムジンを己れで運転する者は、先づ居ない)、まともに運転出来ない。街路では売春婦が客引きをしている。立ち往生している男にひとりの娼婦が声を掛けた。
 ホテルへ送ってもらうだけが一時間になり、ことをせっつく女に余裕を持たせ一晩にし、仕事の都合で一週間雇うことになる。それだけ一緒に居れば(一が多いな)、多少なりとも情が湧く。金だけの感情ではなくなり、最終的には花束を持って彼女を迎えにゆくまでになった。
 単純な下層階級に依る、立身出世の物語である。シンデレラの現代版だ。王子はリチャード・ギアで、王女はジュリア・ロバーツ。ジュリア・ロバーツはまだ駆け出しだった。彼女は口がでかく鼻の穴もでかく、お世辞にも美人とは云えず、口を開かずとも下品さが滲み出ている。そこが娼婦に抜擢された理由でもあろう。
 しかし、彼女を凌ぐほどの下品な女優が出てくるのだ。
 それは主人公の友人である。
 この女優が他の作品に出ているのを見たことはないが、いい役者だと思う。下品さに懸けては他の追随を許さない(どんな褒め方だ)。兎に角、言葉が悪い。主人公が降って湧いた僥倖に戸惑い、こんなことになった女は居るかと訊ねたら、暫く考え「シンデ・ファッキン・レラ」と答えるのだ。
 なんだ、その云い廻しは。
 当時の人間は映画そのものを観ていなくとも、題名は知っているくらいヒットした作品であるが、その後のひとたちがこれを観たかと云うと、少なくともサブカル女子は観ていないだろう。『ハリウッド』のヒット作というだけで敬遠する人種である。
 しかし、彼女らの食指に触れる要因がある。カルト的な人気作、『ロミーとミッシェルの場合』で、主人公ふたりが愛好する作品がこれなのだ。
『ロミーとミッシェル』? 知らなーい、と云うのならば、今すぐ観ろ。面白いから。
 大ヒットテレビドラマである『フレンズ』に出演していたリサ・クドローが出ているからといって、敬遠するでない。彼女はそんなメジャーなドラマに出ていても、マイナー女優なのだ。そもそも『フレンズ』でも変人枠だった。
 しかも有名なテレビ女優にも拘らず、聞く分には(誰に聞いたんだよ)凄くいいひとらしいし、多くに認知されてないし(ただ単に気の毒な芸能人じゃねえか)。
 兎に角、わたしも『プリティーウーマン』なんか、ただのお伽噺、絵空事のくだらない映画だと思っていたが、「この映画、大好き」「サイコーよね」「もー、酷いことするわよね。可哀想」とか云って、女ふたりがベッドでテレビを観ながら大盛り上がりしてるのを見てもう一度観たら、慥かに面白い。
 ヒットする映画は必ず面白いのだ。
 当たり前だが。
 面白くなかったら、一般大衆が譬え異性をたらし込む為とは謂え、安くはない金を払ってまで観に行く訳がない。デート映画と謗られた『タイタニック』だって、二度観に耐える作品だった。
 当時、ジーパン屋で働いていた時の同僚は、三回、それぞれすべて別の男と鑑賞したらしい。ひとり一組ではないのだ。つまりカップルの動員数だけでも相当なものだったと思われる。
 それくらいヒットしたのだが、その印象で毛嫌いした。いいのか悪いのか、わたしには判らない。
 それはさておき、彼女らに可哀想と云われている部分は、主人公の娼婦が雇われた実業家にちゃんとした服を買ってこいと云われ、(彼女にとっては)大金を渡され高級衣料店へ行くものの、「あなたに合う服なんかないわ」とすげなくあしらわれ、ホテルに戻っても不審者扱い。それでも親切な支配人が手を差し伸べ、「ちゃんとした服」を手に入れる。
 服屋の店員がこんな態度を取るのか? と思うだろうが、バブルの頃のコムデギャルソンなんか、実に高飛車な店員ばかりだった。コミックソングにも、「コムデのセールで服を買おうと思ったけど、薄暗くて黒か紺か判らない。恥ずかしいから店員にも訊けない」という歌詞があったほどである。
 ジュリア・ロバーツはどう見ても不細工だが、磨けば光るものがあったらしく、大金持ちがオペラに連れて行けるまでになり、それに涙したりする。裏社会には通じていても上流社会については初心だったのだ。
 すべての男は押し並べて初心な女に弱い。これは経験豊富な男に限らず、女性経験が皆無な「男乙女ちゃん」であろうとも、己れと同じく異性経験が皆無な女を最良とするのだ。なんなら社会経験も殆どなければいいとすら思う。
 ロマンスグレーの「元妻」「元愛人」(元子供、元愛犬も)が居るリチャード・ギアは、蓮っ葉で大口のジュリア・ロバーツに骨抜きにされ、高所恐怖症を乗り越えて襤褸アパートの外階段を上り、花束を手に求愛をする。
 求愛て、野鳥かよ。
 この映画がヒットした理由はなんだろう。
 男が上位社会に属しており、惚れた相手が娼婦だったからではない。男は口答えしたり自我の強い女を嫌うし、裾貧乏な女など言語道断だと思う(裾貧乏とは、簡単にいえば下半身に節操がない女性のことである)。そして女は経済的に優位な男が好きだし、底辺の男を蔑む。
 女性がこの絵空事としか思えない映画を受け入れたのは、そこをすべて取っ払ったメルヘンだからだ。
 現実にはあり得ない物語りを、俗世に塗れているとしか見えない役者を使って映画に仕立てたからこそ、観る者の心を射抜いたのであろう。「ない」からこそ、面白いのだ。


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