見出し画像

TSUTAYAとメルカリの出品相場キャンペーンは、背景に庶民の貧しさがあるんじゃないか…という話

正直、業界関係者や本好きと一般人の感覚はめっちゃ離れてると思います。
とはいえ本屋の端くれなのに、TSUTAYAは本や出版業界を踏み台程度にしか思ってないような文化的教養に欠けたことを良くやりがちですよね。

TSUTAYAとメルカリの相場キャンペーンって?

☑︎ TSUTAYAの新刊コーナーに、メルカリ売却促すポップが登場
☑︎ 新刊メルカリでの売却相場が提示されている
☑︎ 「意外と高く売れる」キャッチコピーにお怒りになる作家さんも…
☑︎ 現在、キャンペーンは中止された

作家や編集、印刷会社など様々人が協力して一生懸命作り上げた本を、本屋そのものが新刊の本に対して価値を下げたような発言をするのが腹立たしい…という事ですね。

また、こんなポップも…。

これに関しては、メルカリでの相場を売り場で示す事によって、盗難が増えるのでは…?みたいな意見もありました。

多数の批判が寄せられたこのキャンペーンは、4/28に中止になっています。

やっぱり出版社や著者など、業界関係者が納得行くような仕組みじゃないと厳しいということですね。

買った新刊を高いうちに売るスキームは今更感

☑︎ そもそも新刊を古書店に売るスキームは昔からある
☑︎ ブックオフ等で買い叩かれる事を考えるとメルカリ出品の方が、まだ読者に利がある
☑︎ 盗品がメルカリ出品されやすい事と、新刊メルカリ出品を悪扱いするのは話が別

新刊を価値があるうちに古書店へ売却する行為は、数十年前から存在しています。
興味を惹かれた新品を買い、コレクションする必要性がなければ(再び読み返す気がなければ)、価値が高い時期に売却して、次の本の購入資金に充てます。

ブックオフなどの古書店に売却した場合、古書店の査定金額で買い取られ、そこから必要経費や利益などを足した上で販売されます。
中古市場で本を買う人は、新品よりも安く買うことが目的であることが多いため、購入先がブックオフでもメルカリでも大差ないでしょう。
ところがメルカリなど、個人間で売買するサービスを経由すると、古書店買取よりは高額で売れる可能性があるため、読者同士ではwinーwinになる可能性があります。

これと似たような現象はアパレルにもあり、予約販売などでシーズンより早めに手に入れ、数回着たらシーズンが終了する前に古着屋やメルカリに出品し、次シーズンや次々シーズンの服の購入費用に充てられます。

アパレル同様、新刊をこまめに買い、早々に売却して次の新刊を買う層の方が、本棚の空きを心配して買い控える層より、むしろヘビーユーザーである可能性は否めません。

メルカリでは盗難品なども出品されいるため、盗難によって大きく売上が削られている個人経営の書店からすれば袈裟も憎し、と言った感じなんでしょうけど、こればっかりはメルカリを目に仇にしてもしょうがないんですよね…。
何故なら、盗難された本が売却されるのは通常の古書店でも同じなので…。
(ただ、古書店の場合は盗難品と思われる大量買取に対しては拒否できるため、メルカリの方が売却しやすく、メルカリは犯罪を助長している…との見方も否定は出来ません)

生の本をコレクションしておけるのは資本があるから

☑︎ 本棚はスペースをかなり消費するため、広い部屋が必要
☑︎ 本棚を確保出来るということは、体力と資金力があることの証

田舎ではまた事情が違うかもしれないですけど、都内や政令指定都市ぐらいの規模感だと、そもそも家賃の物価自体が違います。
持ち家のハードルも高いですし。

通勤にある程度便利で、ひとり暮らしでも快適に暮らせるとなると、住居可能なエリアは絞られてきます。
当然ですが、そう言った好物件が多くあるエリアは地価も高く、家賃も総じて高い傾向にあります。
賃金が上がることはなくなり、出世も見込めない、ずっと階級が固定されるか、じわじわと下がっていくような世の中にあって、家賃というのは支出の大半を占める固定費です。
必然的に、転職あるいは副業をして給与を増やすか、狭い住居を選択して身の丈にあった暮らしにするかのどちらかになります。
そういった状況下では、外的要因でミニマリストにならざるを得ず、物を所有するコストすら贅沢品に含まれるでしょう。

若年層を中心にサスティナブルが流行る背景も、単純に環境問題の知識が浸透した他に、長いデフレ期のせいで新品購入・大量消費と言った概念が縁遠くなった事も一因としてあるかも知れません。

また、本を個人で大量に管理する場合、見落とせないのは体力的な資本です。
本は数冊であれば大した労力や手間も発生しませんが、これが数十冊数百冊となってくると、途端に鈍器や大型家具と遜色ない重量物に変貌します。

本というのは、管理出来なければ、大量の資源ゴミといっても過言ではなくなります。
ケースなどに納め丁寧に管理してるつもりでいても、実際蓋を開けるとカビが生えていたり虫に喰われたり、腐食してる場合も多々あります。
本を読める状態で長年保管しておくというのは、壁際や倉庫に積みっぱなしにしておくということではないのです。

これを適切に管理するとなると、面積は勿論の事、体力面でも大きな負担は免れません。
若年〜中年期はそれで良かったとしても、老年期に差し掛かってくるとそんな余力はなく、終活を視野に已むを得ず処分される方も少なからずいるのではないでしょうか。

個人で大量の新刊を買い大量に保管するスタイルは、そもそも文化的・体力的・金銭的資本に恵まれた強者か、圧倒的に何かを削ぎ落として本に注ぎ込む本の蟲ぐらいに許された生活なのでしょう。

まとめ

☑︎ TSUTAYA×メルカリのキャッチコピーは、出版業界や作者に配慮のない下品な文句だった
☑︎ 購入した新刊を価値があるうちに売却するスキームは数十年前から存在
☑︎ 古い体質が抜けきれない出版社業界は大量消費社会が終わっていく中で、サスティナブルなどの概念とどう向き合っていくのか

本屋というのは、作者や出版業界と読者を結びつける架け橋であり、当のTSUTAYAが作家を蔑ろにし、読者の足元を見て高く売れるから新刊を買えなどとアピールするのは、どの方面から見ても敵ばっかり作るよな〜と思います。

そもそも、新品を惜しみなく買ったり、本を大量にストックして置けるのは、高度経済成長以後、バブル期を経て団塊世代が退職するぐらいまでの一時的な価値観やライフスタイルだったのかな…と言った感想を抱く事が多くなってきました。
歴史の中で、長らく紙や書籍は高級品でしたし、頑張って買えても中古品、読めてレンタルと言った庶民の方が多かったでしょう…。

作家が生活していけないので、本は新品を買って欲しい…という理屈や業界的な仕組みはわかるのですが、それを一方的に消費者に押し付けるのも筋が違うのではないか…という気がします。
そして大量生産・大量消費が終わってしまった世界で、出版業界はサスティナブルという概念とどう向き合っていくのかが気になります。

そもそも本は長期保有や保管に適したものと、廉価を実現するために耐久性を落としたもの分かれるため、サスティナブルを考えるなら、安価で粗雑な製本を辞め、本を買取し古書として再び販売する際に何割か作者へ還元できるようなスキームを作り上げる事が解決への道のりになるかも知れません。



参考資料


🌷使っていただいたお金は、本や、資材購入に当てられます🌹