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男女平等とは何か?

こんばんわ。久しぶりに今日はTwitter等でよく聞かれる男女平等に関する話題について、少し雑感を書いてみようと思います。男女平等に関する話はツイッターでよく盛り上がっており、男女平等についてあまりまじめに考えたことがない私のような人間からすると、どうしてこんなことで盛り上がれるのかな…と不思議に思います。ですが、自分なりに男女平等について思うことも実はあり、少し雑感を書いてみようかなと思います。(フェミニズムに関する書籍などを全く読まずに素の感想を書きます。お許しください。)

男女平等とは何か?

そもそもの疑問ですが、男女平等とは何を指すのでしょうか。男女平等について考えるときには、そもそもの大前提として、男女平等が何を指すのかについて考えてみる必要があると思うのですが、Twitter上の議論を見るに、男女平等といった際の男女平等が何を指し示すのか、いまいち明らかになっていません。

外から観察したところ、男女平等には、いくつかのパターンがあるように思います。四類型くらいに分けられるのでしょうか。

①性別にかかわらず同じ能力を持っていれば同じように活躍できる社会の実現をもって男女平等

②男性は(身体的なハンデのある)女性に対して一定の配慮をする必要があり、その配慮がなされる社会の実現をもって男女平等

③男性は(社会的なハンデのある)女性に対して一定の配慮をする必要があり、その配慮がなされる社会の実現をもって男女平等

④男性と女性は既に平等、もしくは男性の方が社会的に弱い立場に置かれており、男性に対する一定の配慮がなされる社会をもって男女平等

どの男女平等が正しいかはあまりコメントしたくありませんが、世間一般で言われている正しい男女平等は、①の気がします。すなわち、男性であれ女性であれ、性別にとらわれず能力さえあれば抜擢される社会を指しています。ところが、この①の立場からすると説明の難しいものとして、ある種のアファーマティブアクションが挙げられます。

能力にかかわらず女性が抜擢される社会

女性にはガラスの天井があるという話をよく聞きます。これは、女性がある地位より上を目指そうとする場合、見えない天井にぶち当たり、どこかで止まってしまうという寓話ですが、はたしてそうなのでしょうか。実は昨今の社会を見ていると、むしろ女性にはガラスのエスカレータ―が敷かれているといってもいいような怪現象がしばしば起こっているのを目にします。すなわち、能力にかかわらず、女性だからという理由で昇進、あるいは一定以上のポストに抜擢されるケースがあるということです。

これは、女性が無能だという言説ではありません。ただ、政府が女性の管理職比率30パーセント以上という数値目標を出していることからわかるように、昨今では女性が管理職にいる=善であり、男女平等を推進する企業又は組織というイメージがあります。

事例を挙げるならば、森元総理の後任のオリンピック委員会会長の件等が挙げられるでしょうか。森元総理の後任の橋本元五輪相に能力がないとは全く思いません。ただ、議論の過程を見るに、あらかじめ女性の後任ありきで決まったかのイメージは拭い去れません、公平なスタートではなく、女性を抜擢することが決まっていた話だと思っています。

これは、性別にかかわらず、能力あるものが見合ったポストに就くという①の男女平等に違反します。むしろ③の男女平等、すなわち社会的に不利な立場に置かれている女性に対して一定の配慮をすることをもって男女平等を指しているかのように思われます。

女性は社会的に不利か?

女性は社会的に不利な立場に置かれているのでしょうか。昔から女性の社会的立場の弱さを表現するエピソードとして挙げられるのが、いわゆるM字カーブ、妊娠・出産する20代後半から30代前半にかけて女性の労働力人口が低下するというものです。ただ、これについては、昨今徐々にM字カーブの谷の部分が浅くなってきており、女性が妊娠・出産することによるハンディキャップは徐々に消えてきたのかもしれません。こちらを完全になくすには、男性の育児休業等をもっと増やす必要があると思いますが…。

もっとも、個人的には妊娠・出産はあくまで女性のライフスタイルの問題で、妊娠・出産を理由に労働力人口が下がることをもって、女性が社会的に不利な立場に置かれているとはいいがたい気がします。そもそも、男女平等と女性が唱えるときに、女性が言う話は、(少なくともツイッターランドでは)、もっと働きたいというものではなく、セクハラ、家事を手伝わない等の男性に対する不平不満、後は女性の能力や性質に関して失言した者に対する過激な攻撃です。

女性に対する性暴力は深刻な問題ですが、どちらかという③の男女平等の問題からは少しずれ、②の男女平等の問題、すなわち女性は身体的に不利な立場に置かれているというような話になる気がします。この点に関しては、一応は、日本は文明社会であり、人を不用意に殴ったりすればお縄がかかる仕組みになっているはずです。女性に対する性的暴力の話と、男女平等はごっちゃになっているイメージがありますが、本来別の話かと思われます。そう考えてみると、女性が身体的に不利な立場に置かれているから配慮しろというのは、いまいち根拠がぱっとは出てこない話です。暴力を振るわれる可能性があるのは男性も同じですし、むしろ男であれば殴られてもいいというイメージが社会にある気がします。

ごちゃごちゃになる男女平等

ここまでで、①~③の男女平等の観念が出てきており、男女平等というのが多面的にとらえられる話で、かつあまり整理ができていない話だということがよくわかります。結局男女平等とは何で、そもそも両者はなぜ平等足りえないのでしょうか。

④の男性が女性より不利な立場に置かれているという論者もおります。おっしゃるとおり、男性もまた、女性と同様、あるいは女性以上に暴力にさらされたり、ステレオタイプを押し付けられたりすることがあります。個人的な印象で言うと、男は殴ってもいいが、女は殴ってはダメという価値観はいまだ疑問視されることなくこの国に残っているような気がします。男も殴っちゃだめです。

男女平等に対する活動の意味が考えれば考えるほどよくわからなくなります。そもそも女性の社会進出とは、本当に多数の女性が望んでいることなのでしょうか。専業主婦も立派な生き方ですし、多様なライフスタイルを尊重するのであれば、社会進出を果たすものも専業主婦も平等に扱われなければなりません。この矛盾がいまだ解消されないまま、女性の社会進出を促そうとするのは、単に国の労働力人口がこのままだと目ヘリするから、働ける人に働いてもらおうとする国にとって都合がいいからです。国の立場からすると、女性も働けコノヤローとは言えないので、男女平等の理念の下でごまかしている感が強いのではないでしょうか。

ますます分からなくなる男女平等の問題に、不思議だと頭を抱えながら今日は寝ようと思います。アヒルでした。





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