勤労感謝の日が三連休終わりってギャグですか。。。ベーシックインカムはなぜ日本では難しいのか?

働きたくねえ。アヒルです。こんにちわ。日本の多数の皆さんと同じく、三連休最終日、絶望しています。働きたくないもの。ベーシックインカムはよ。しかし沢山の人が望んでいるにも関わらずベーシックインカムは中々日本では実現しそうではありません。予想だと、50年後くらいに議論が本格化すると思いますが、それまでは議論がそもそも始まりそうにないです。今回はなぜ日本でベーシックインカムの実現が難しいのか真面目に雑感を書きます(一応考察します)

そもそもベーシックインカムとは?

ベーシックインカムの定義はあいまいですが、ここでは、所得、資産や就労の有無にかかわらず、全ての人に最低限度の生活を保障するだけの金銭を配る制度ととらえます。適当な定義です。ただ、この定義で注目すべきなのは、ベーシックインカムは貧しい人々だけ、働いていない人々だけが受け取る現行の生活保護などとは一線を画すということです。金持ちであれ誰であれ受け取れます。ベーシックインカムが配られた社会では、働くか否かは生存の問題ではもはやなくなり、自分のライフスタイルの問題になるはずです。ちょっとぜいたくな生活がしたい人々は、働いて、その分働いていない人々よりぜいたくに寿司食ったり高級なマンションに住んだりできます。辞めても死のうという話にはなりづらいです。働くのができない人々も、最低限の生活を保障されつつ、自分のやりたいことを探してのんびり追及できます。場合によっては社会に貢献する別の方法を見つけられます。みんなハッピー。これだけ見ると理想郷ですが、現実的にはなかなか厳しいものです。日本の財政状況がまず一人一人に定額で一定程度の金(12万とか?)渡すことを許さないだろうというごもっともな突込みは置いといて、思想的な側面から少し考えてみます。

技術面ではできるのか?

その前提で、技術面での話です。この前みんなに十万円配ってたことから分かるように、国民一人一人に金をばら撒くこと自体は現在でも、日本の真っ赤な財政状況を無視すれば、出来そうな感があります。この十万も話が急だったからもたつきましたが、(いわゆる住所のないホームレスさんに関わる問題は放っておけば)金を配ること自体は近い将来スムーズにできるでしょう。ミーンズテスト(所得要件)を設けなければ。一人ひとりの所得や資産を把握して、本当に必要な人に限定して金を配るというやり方は本当に大変です。生活保護にしても、役所の人がその人が真に保護に値する人かを徹底的に調べることになるわけです。ただ、基本的にベーシックインカムは、(上記で述べたように)所得等の要件を設けません。したがって、そのうち預金口座とマイナンバーが一人一人紐付けられれば、マイナンバーで符合する口座にぶち込めばいいだけのはずです。口座持ってない人もいるかもしれないので、その場合は役所の窓口で申請してもらう形式にすればいいです。ということは技術的には、細かい問題(不正受給とか)は日本のできる人々が解決してくれることを前提に、できそうです。でもできない。なぜでしょう。答えは多分色んな形があると思いますが、ここでは思想に注目して考えてみようと思います。自民党と日本人の思想です。

自民党の思想(自助・共助・公助)

自民党の大好きなフレーズに「自助・共助・公助」という言葉があります。これは自民党の社会保障の原則的な考え方で、簡単に言ってしまうと、「まず自分でやろう、だめならみんなでやろう、それでもだめなら国でやろう」というものです。自助努力を前提に、だめな場合によそからの助けが入るというものです。事実、日本の社会保障制度は今でこそ、国からの社会保障も手厚くなってきていますが、戦後しばらくは、社会保障費の負担を会社や家族に転嫁するもので、社会保障に係る手当てはどちらかといえば、日の丸さまより、家族や会社が負担してました(程度問題です)。この原則とユニバーサルベネフィット、すなわちベーシックインカムは外れます。なぜなら、ベーシックインカムは自助努力を前提とせずに全員に金を配るものだからです。事実、麻生副総理が10万円給付の際、「金持ちは受け取らない」趣旨の発言をされたそうですが、みんなに金を配るという考え方は、自民党からしてかなりアウトだと思います。彼らがこれから先も政権に居続けるであろうことを想定すると恐らく議論の俎上にさえ上りづらいでしょう。(これは自民党批判の記事ではないです。思想の話をしてます。)

国民の思想(働かざる者食うべからず)

次に国民の思想を書きます。日本人は皆さん知っての通り、働いていない人々に厳しいです。「働かざる者食うべからず」という私の大嫌いなことわざがあるように、働いていない人々はそれだけでスティグマを押されます。それは生活保護受給者に対する風当たりの強さを見てもわかると思います。この思想の下で、ベーシックインカムを見てみると、これは働いている人々も働いてない人々も平等に扱う制度です。あなたが工場やオフィスで汗を流している時間に、寝っ転がってボケーとしている人々が居て、その人々の生活もそれなりに保障されている。ベーシックインカムがあったところで、人々が働かない人々に残酷な目線を寄せるのは想像がつきます。結果大抵の人々はいやいやでも働くでしょう。するとそもそも論として、あれ、ベーシックインカム(解)って何(問題)をどうする制度だっけという疑問が浮かびます。

何のための制度か。

こんな感じでベーシックインカムを考えた時には、一体何のための制度かという点を改めて考える必要があるかと思います。そもそも、貧しい人々を助けたいのであれば、既存制度(生活保護等)を充実させることが手っ取り早く(まだ)国民の反感を買わないことが想像に難くありません。みんなが安心して暮らせる社会をつくるためといえば聞こえはいいですが、そこには恐らくスティグマがあり、結局は社会不適合者に向ける目線は残酷なままかもしれません。こんな感じの雑感でした。もっとちゃんと調べて書くべきでしたが、妄想中心の記事になったことをお詫びします。良ければまた読んでください!(おわり)

参考図書

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